総フォロワー20万超「元保育士芸人」が、あえてバイトを辞めずに芸人をする理由。

2024年7月5日

保育士経験を活かし、YouTubeやInstagram、TikTokで「保育士あるある」動画を発信している、お笑い芸人の「元保育士たいこ」さん(以下、たいこさん)。卒園シーズンに投稿された「ある園児との出会いと別れ」をテーマにした動画は50万回以上再生され、現役保育士や保護者の共感を呼びました。SNS総フォロワー数は20万人を超えます。

一方でたいこさんは、2007年にお笑い芸人になって以来、約10年間は「芸人としての年収はゼロ。むしろ数万円の赤字だった」という遅咲きの苦労人。その歩みの背景には、どのような努力や苦労があったのでしょうか。たいこさんに伺うと、彼女がモチベーションを保ち続けることができた、等身大の理由が見えてきました。

家族の反対を押し切って上京した

——たいこさんは、芸人になるのが夢だったのですよね。なぜ一度、保育士の職に就いたのですか。

私は中学校時代からお笑い番組が好きで、芸人への憧れがあったんです。文化祭で友達とコンビを組んでネタを披露したりしていました。でも、将来のことを考えると、「芸人を夢見る自分」と「現実的で冷静な自分」が常に心の中に両方いて。

結局「現実的で冷静な自分」が勝って、幼児教育科のある短大に進んで保育士を目指しました。小学校の時から図工の成績だけは良かったことと、幼稚園時代に大好きな先生がいたことが、保育士を選んだ理由です。

でも実際にはたらいてみると、図工のスキルより何より大事なのは「体力」だと知りました。私はもともと病弱ではないのですが、保育士になった途端、子どもたちの風邪や病気をすぐにもらうようになってしまって。風邪をこじらせて、3年間で4回肺炎になったんですよ。

今思えば忙しさから免疫力が落ちていたのかもしれませんが、さすがに4回目に肺炎になった時、保育士を辞めよう、と決めました。

——もう保育士は無理だと感じた時、どんな心境でしたか。

相当落ち込みましたね。

自分には保育士の資格しかないのに、それがだめなら今後どうすればいいの?と。実家暮らしだったので、すぐに衣食住に困ることはありませんでしたが、家族からもきっとがっかりされるだろうな……と思いました。

——なぜ、芸人の夢を追いかけようと思ったのでしょうか。

人間の身体って意外と脆いんだな、と痛感したからです。

肺炎で入院した時、呼吸困難になって一瞬「死」が頭をよぎったんですよね。その時思ったんです。「芸人」と呼ばれないまま人生終わるのは嫌だなって。「芸人になるぞ」というよりは、「何がなんでも、一度でいいから芸人と呼ばれたい!」という気持ちでしたね。

実は保育士の仕事をしながら、地元の小さな劇団にも入っていました。芸人に通じることを何かしてみたくて。そこで演技を学んでいたのが唯一の自信になって、芸人を目指そうと決めたんです。

当時は島根に住んでいたので、2年間アルバイトをしてお金を貯めて、家族の反対を押し切って上京しました。

芸人の収入は赤字。必死にバイトを探した

——なんのツテもない中で、どうやって芸人の仕事を探したのですか。

2007年、26歳の春に上京してすぐ、インターネットで中野区にある「Studio twl」というライブハウスを見つけたんです。そこではネタ見せ(オーディション)にさえ参加すれば、よっぽどのことがない限り誰でもライブに出演できるシステム。もちろんギャラは発生しませんし、毎回数千円の出演料を実費で払う必要があります。

初舞台のお客さんは4人。そのころは、青木さやかさんや鳥居みゆきさんがブレイクされていて、女性芸人=毒のあるネタが主流の時代でした。そこで私もピン芸人として、保育士とは関係のないブラック系のネタを披露したんです。4人のお客さんが、耳を澄まさないと聞こえないくらいの小さな声でしたがクスクスッと笑ってくれて。

うれしくて、ネタが終わると同時に号泣しました。

InstagramやYouTubeでの「保育士あるある」動画が人気のたいこさんだが、芸人になったばかりのころのネタは、保育士とは無関係だった

——そのころ、生活はどうされていたのですか。

芸人としての収入は赤字なので、アルバイトをしていました。給食センターでの皿洗いや居酒屋、日雇いのバイト……。芸人になると決めてから2009年に結婚するまでの約4年間、バイトは20個以上経験しましたね。

お笑い芸人の世界では当時、「芸人一本で食えないやつは芸人と呼べない」という根性論のような風潮がありましたが、私はいつもタウンページやハローワークで必死にバイトを探していました。

だから、駆け出し芸人のイメージにありがちな「超極貧」ではないけれど、狭くて壁の薄いアパートのワンルームで、節約のために100円のマックポーク(マクドナルドのハンバーガー)をよく食べていましたね。

——「保育士ネタ」は、いつからやり始めたのでしょう。

芸歴20日目の時です。自分がやれるキャラってなんだろう?と考えた時、保育士経験を活かすしかないと思いました。実際にやってみたら、芸歴は浅くても保育士経験なら3年あるせいか、自信を持って舞台に立てたんですよね。ネタは「保育士あるある」ではなく、性格の悪さを全面に押し出したようなブラック系の内容でした。

「私が復帰しようがしまいが、誰にも迷惑をかけない」

——結婚して、一度芸人を辞められた時期があったとか。

私はもともと、「結婚したら家庭に入って子育てをする」という山口百恵さん(昭和のアイドル歌手)のような生き方に憧れていて。だから2008年7月に今の夫と結婚することを決めた時に、ライブ中に「結婚します!」とステージにマイクを置いて(笑)、引退宣言をしたんですよ。その後広島へ移住し、入籍に向けて新生活を送っていました。

だけどSNSで東京の芸人仲間と交流していると、芸人への思いが再燃してきて。ただ引退宣言をした手前、復帰するなんて恥ずかしくてしょうがない!

でも、よく考えれば私は山口百恵さんじゃない。そもそも芸人としての存在をほぼ知られていなかったのだから、私が復帰しようがしまいが誰にも迷惑をかけないし、誰の人生にも影響を与えないぞと気付いたんです。

「それなら楽しいほうを選ぼう」と、入籍前に、夫に「やっぱり芸人を続けたい」と伝えました。「ズコーッ!」と言われましたが(笑)、夫は応援してくれましたね。

——「家庭に入って子育てをする」という選択肢は、その時もうなくなったのですか?

よく考えると、私は料理も苦手だし、家庭的ではありません。保育士をしていたので子どもは大好きですが、子どもを“育てる”となると、そこまでしっかりした人間ではないな、とブレーキがかかってしまって。

それを夫に話したら、(子どもについては)「俺もそうだな」と。二人で慎ましやかに生きていくほうが私たちには合っているかもしれないね、と意見が一致しました。あくまでも私たちの例ですよ。

大きな成功は望まず、大切な人と笑って生きていきたい

——現在は、東京にある、漫画家の東村アキコさんが経営されるお笑い事務所「東村プロダクション」に、「広島在住のお笑い芸人」として所属されていますよね。

2009年3月の入籍後、広島でDJとして活動されているNaomi february⁶さんとmixiで出会い、DJイベントでネタをやらせてもらったのをきっかけに、広島でも少しずつ舞台に立つようになりました。

そのころ、私は『東村アキコと虹組キララの身も蓋もナイト』という(YouTubeやPodcastで配信されている)ラジオの大ファンで、ある日の配信で、「東村プロダクションで芸人を募集している」と聴いたんです。

「広島在住の私でも大丈夫かな?」と懸念しつつ、「もう行っちゃえ!」と、勢いでSNSでつながりのあった虹組キララさんに連絡。「東村プロライブ(お笑いライブ)に出演させてください」とお願いし、2018年5月、一時的に上京してライブに出演させてもらいました。

そのライブを見ていた東村アキコさんに、「うちはもともと漫画家事務所だし、絵が上手だからいいよ」と言っていただき、その日に所属が決まったんです。以来、初めて芸人としての年収がプラマイゼロになりました。

そこまでの約10年は芸人としての年収はゼロで、むしろ赤字。「いつかチャンスがある」と思って続けてきたというよりは、お金を払ってでも芸人でいたかったんですよね。

東村アキコさんに認められ、東村プロダクションへの所属が決まった

——SNSで人気の「保育士あるある」ネタは、いつから始めたのですか。

「これからはコンプライアンスを守っていかないと。元気で明るいネタやらないとね」という東村アキコ先生の一言がきっかけです。私についての言及ではなかったのですが、ブラック系のままではまずいぞ、と自覚しました。

2020年のコロナ禍、東村プロの芸人同士で「各々のSNSをバズらせよう!」と盛り上がり、私が無理なく投稿できそうなのが「保育士あるある」ネタでした。5月にYouTubeで配信を始めて数カ月後、「おすすめ」に掲載されたのを機に動画がバズり始め、2021年6月、YouTubeの収益化でやっと芸人としての年収がプラスになりました。

背伸びせず、ありのままの自分で演じられるので、皆さんに伝わりやすかったのかもしれません。

2024年3月の「東村プロライブ」の様子

——なぜ、そうまでして芸人を続けようと思えるのでしょうか。

私の目標は「芸人として一生食べていく」ことじゃなく、「芸人と呼ばれたい」という小さなものだったからかもしれません。保育士の芸をすることで、本当は保育士を辞めてほしくなかったであろう親をやっと喜ばせることができたかなとも思います。

自分の足で立って生きていくために、一本の大きな柱を立てる人もいますが、私は「一本一本は細くても、たくさんの柱を立てて生きていければそれでいい」と思うタイプ。大きく成功しなくていいから、大切な人と笑って生きたいだけなんです。

今でも「夢見る自分」と「冷静な自分」は5:5くらいで常に存在していて、YouTubeの収益に波があるので、週3でパートもしています。もし「夢」だけに全振りしていたら、途中で立てなくなっていたかもしれません。

夢はどれだけ勘違いしてもいいし、突っ走ってもいい。だけど同時に安全策を取ると、心のバランスが取れて、私は笑って暮らせたんですよ。自分が笑えていると、いつの間にか、ポジティブに生きる素敵な方に囲まれていました。

「夢か現実か」じゃなく、両方バランスを取る生き方が、私には合っていますね。

(文:原 由希奈 写真提供:元保育士たいこさん)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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