佐久間宣行さんが振り返るキャリア 「自分の武器は自分じゃわからない」【イベントレポート 前編】

2021年5月18日

22年間勤めたテレビ東京を退社し、今年4月にフリーに転身したテレビプロデューサーの佐久間宣行さん。

2021年4月26日にオンラインLIVEとして放送した『グッバイもやもや!佐久間宣行と‟はたらく″トーク』では、新しいはたらき方を始めた佐久間さんに、ご自身のこれまでの、そしてこれからのはたらき方について語っていただきました。

全3回に分け、本イベントの様子をお届けします。
今回は、佐久間さんが、自身のこれまでのキャリアについて語った部分を紹介します。

人に言われて、自分の武器に気付いた

<佐久間さんの就職活動について>

僕がテレビ東京に入社したのが、1999年。実は、第一志望は、ラジオ局のニッポン放送でした。
ラジオがずっと好きでディレクターをやりたいと思って受けたけれど、落ちて。
ちなみに、そのときに受かったのが、よっぴー(笑)。 ※吉田尚記さん

佐久間宣行 1999年テレビ東京に入社。『TVチャンピオン』などで経験を積みながら、入社3年目に異例の早さでプロデューサーとして抜擢される。『ゴッドタン』のプロデュース・総合演出をつとめるほか、『ピラメキーノ』『キングちゃん』『ウレロ☆未確認少女』『有吉のバカだけどニュースはじめました』などのプロデュースを担当。2021年3月にテレビ東京を退社後、フリーランスとして活躍。

なんでマスコミを志望したかというと……。
僕は1994年に大学に入学して、大学1年目に広告サークルに入ったんですね。そのときは将来テレビ業界に入りたいと思っていたのだけど、そのサークルで出会ったのが、西川美和(現在映画監督として活躍中)、依田謙一、渡辺良介(ともに現在テレビプロデューサーとして活躍中)という3人。

彼らと出会って、その才能を見て「あ、こういう人たちがクリエイターの世界に入れるんだ」と感じ、自分には無理だと、大学1年のときに一度夢を諦めたんです。
大学では、趣味として好きな映画とかテレビとか散々見ていたけれど、仕事は自分の向いていることをしようと思って、就職活動では、メーカーや商社とかの営業を中心に受けて、そこでは内定がすごい取れた。

マスコミ業界はというと、最初はフジテレビしか受けていなかった。ほかの局よりも面接のタイミングが早く、記念受験で受けていた人も多くて、その中に混じって受けていた。
その面接で「何やってきたの?」って聞かれて、「こういう映画観た」「FUJI ROCK FESTIVALの1回目を観に行った」とか楽しく話していたら、「そんなに観てる人いないよ」と言われて、最終的には落ちたけれど、結局5次面接まで進んだんですよ。

その中の2次面接で言われたのが、「君テレビ向いているから、今からでも間に合うテレビ局受けたほうがいいよ。」って言葉。のちにフジテレビの社長(現在は退任)になる亀山 千広さんに言われて。

フジテレビに応募したときは、自分に自信がなくて、制作としてではなく、ビジネス側の職種で応募していた。でも、そういう言葉を受けて、はじめて「やりたいな」「自信つけないと」と思って、ダメ元ではじめて制作として受けたのがテレビ東京で、そこで受かったんですよね。

「マスコミ業界に受かる自信がない」って人も多いと思うんだけど、俺もそうだったからね。
あと、自分の武器は自分じゃわからない。映画とかたくさん観ていたけど、当時は、それが武器になるとは思っていなかった。
だから、他人が評価するまで、壁にぶつかるまでは、やってみたほうが良いと思いますよっていうのが、俺の就職活動のアドバイスだね。

“女子高生のおにぎり”が転機に

<仕事が楽しくなったのはいつ?>

自分に自信がつくまでは、「楽しい」って思えなかったかもしれない。
でも、「自分の仕事がクリエイティブに直結している」って思えたのは入社して半年のとき。ADをしていたのだけど、当時は「ADって、俺のやりたいクリエイティブなこととは関係ないな。なんでこんな下働きしなきゃいけないのかな」って思ってた。

そんなときに、ある現場で、ドラマのADとして小道具を用意する仕事で、監督に「女子高生が作ったお弁当を用意しろ」って言われて。サッカー部のマネージャーが、キャプテンに告白するシーン(後にフラれる)で渡すお弁当ね。
「そんなのレトルトでいいじゃん」って思ったけど、「手作り感が欲しいから、下手でもいいから、お前に作ってほしい」って言われて、夜中に作りはじめた。

最初は冷凍食品で作っていたんだけど、「好きな人への弁当だったら、ちょっとは工夫するよな」と思って、そこでふと頭に浮かんだのが、サッカーボール型のおにぎり。面倒くさいけど、サッカーボール型のおにぎりを作った。

それで、翌朝5時に現場に行って、監督にそのおにぎりを見せたら、「なるほどな。ちょっと台本変えるわ。この弁当の出来がいいから、弁当を中心にしたシーンにするわ。この弁当を映した方が、フラれたのが際立つから」って、スタッフに指示を出しはじめたの。

そのとき、俺が「くだらないな」って思っていた仕事も、クリエイティブに繋がるんだということが分かったのね。当時、ホントに文句ばかり言っているクソADだったんだけど、そこから仕事の態度が変わって、小道具で面白くなりそうなことを増やしていったら、スタッフの人も認めてくれるようになって、ほかの仕事も任せてくれるようになった。

そういうところから、仕事が、完全に楽しいとは言えなかったけど、徐々に「クリエイティブってこういうことなのかな」っていうのが分かるようになってきた。
辛いときに大切だと思うのが、「周りの態度は自分の鏡」だなっていうこと。クソみたいな態度を取っていたときは、みんなから信頼されてなかったけど、アイデアをガンガン出すようになったら、任せてくれる仕事が少しずつ増えたから。

自分ができないことを認め、チームで臨む

<上司になってからの苦労>

ディレクターになった当時のことを振り返ると、部下の仕事で「ダメだ」と感じたものを、自分で引き取っちゃっていたことは、良くなかったなと思います。

「お前が出来ないんだったら、俺やるよ」って引き取り続けると、部下の仕事のクオリティが上がっていかない。上司として、部下が仕事をよくできるようになるためのアイデアを出してあげないと、チームが豊かにならないってことに気付いたね。

自分が部下だったころ、「仕事を引き取ってくれる上司はラク」だなと思っていたけれど、今思えば、その人のもとではロクな仕事できていなかったなと感じる。最後まで粘って、自分の力を引き出してくれた上司の方が、自分がいい仕事できたなって。
そういうことに気づいてからは、面倒くさいけど、ちゃんと部下の仕事に付き合うようになった。

あと、チームのボスになってからは、「自分が出来ないことは、30代半ばくらいで諦めたほうが良い」って気づいた。30歳くらいになってチームを持つと、「もっと自分の能力を伸ばしたい、できる範疇のことを増やしたい」って思うんだけど、どうあがいても自分より他人の方が得意な仕事に関しては、他人に任せた方がいい。

俺の場合は、その仕事が「ビジュアル」だった。それまでもテロップのデザインとか自分で作ってきたのだけど、番組を3つくらい作ると、同じようなデザインになるんだよね。ビジュアルセンスがないし、興味もないから。途中で「あ、これは絶望的に向いていないわ。センスないわ、認めよう。」って思って。

ちょっと勉強して辿り着けるところが50だとしたら、はじめから100を持っている人がたくさんいるんだから、俺が諦めたほうが番組は良くなるし、自分が寄与できるものに集中しようと思ってからは、何段階か番組も面白くなり、オシャレになった。

その象徴が、プロデューサーとして作った『ピラメキーノ』という子ども番組。子ども番組向けのポップなビジュアルのセンス、自分には絶対ないなって思って(笑)。それに必要なスタッフを集めると、「自分だと届かないところに、チームなら届く」ってことが分かった。

自分ができないことを、ちゃんと認める。足りないところを補ってもらおうと思って、チームを編成する。
そして、そのあとで大事なのは、「ボスが一番努力する」っていうこと。出来ないことは認めて、任せるところは任せるんだけど、一番準備してくるのは自分。そうすると、チームのモチベーションが上がっていく。そういうやり方をとるようになってからは、自分がボスをしたどのチームも、活気ある状態になったなあって思います。

“円満な退社”に至るまで

<なぜテレビ東京を退社?>

40歳を過ぎたくらいから、この年齢で収録現場でカンペ出しをやっている人間が、俺しかいなくなって。

テレビ東京からは「管理職をやらないか」「他の番組のチーフプロデューサーをやらないか」と言われたんだけど、そうすると、自分が今担当している番組にかけられる時間が薄くなる。
だから、打診された5年前は「自分の番組まだやりたいことがたくさんあるんで」って断ったけど、2年前にもう一度詰めたお話があって、フリーになることを考えはじめた。

テレビ東京とは何回も話し合ったうえで、「やっぱり自分の番組をやらせてください」と伝えた。会社からは今はその希望を叶えられる制度がないけど、番組はお前しか作れないものだと思っていると言われ、何度も言っているように、“稀にみる円満な退社”に至ったというわけです。何度も言うと嘘っぽいけど(笑)。
それで、テレビ東京の番組は、今も全部レギュラーとしての関わりを継続させてもらっていて、同時に、フリーとしてこういうイベントにも参加しています。

~視聴者の皆さんからの「仕事の工夫」を紹介

事前に、仕事を良くする工夫をホームページで募集しました。職場・労働改善コーナーですね。これ、オールナイトニッポンのパーソナリティで出来るの俺だけだからね(笑)。それだけは言っておきたい(笑)。

よく誤解されるけど、俺のチームって、テレビ東京では一番女性がはたらいているんだよね。
チームにある女性のスタッフがいて、産休・育休明けで彼女が戻ってきやすいように、22時からの会議を朝10時からに変えたりした。それは、俺の子育てのためっていうのもあるけど(笑)。

スタッフも年齢を重ねてきたし、子どもを持つ人も増えたから、昔は22時からノンストップで朝までやっていたような会議も、細かく分解して、10時から13時までには終わるようにするとか、はたらき方の改善はやっていますね。

<ペンネーム「セカンド7番で死んでいく」さん からの投稿>

わかる。
去年の3月くらいに、テレワークが本格化しそうということで、PC周辺環境を全部変えたんです。Wi-fiを良いものにしたりとか。正解だったなって思うね。

で、オンライン会議をやっていたら、「自分のカメラの画質を良くしたい」っていう気持ちが湧いてきて(笑)。それでWebカメラを買い、今度は「声を良く届けたい」とおもってマイクを買い、今はオンラインライブが出来るくらいの環境になってる(笑)。ちょっとだけでも、自分の環境を良くすると、やる気も出るもんね。

***ほか、放送では3名の「仕事の工夫」を取り上げました。当日の様子はアーカイブ動画よりご覧いただけます。(2022年4月25日まで)
※動画の公開期間は終了いたしました

ーーー

次回のレポートからは、視聴者の皆さんからの「もやもや」や相談への回答をご紹介します。
更新情報は、はたわらワイド公式Twitterにてお届けします!

※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。

29

あなたにおすすめの記事

同じ特集の記事

  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る

人気記事

日本で最初のオストメイトモデル。“生きている証”をさらけ出して進む道
スタバでも採用された「最強のカゴ」。老舗工具箱屋が、アウトドア愛好家から支持を集めるまで
SNSで話題沸騰!『おたる水族館』の、人びとを笑顔にする“グッズ開発”の裏側
自分で小学校を設立!北海道で“夢物語”に挑んだ元教師に、約7,000万円の寄付が集まった理由
「歌もバレエも未経験」だった青年が、劇団四季の王子役を“演じる”俳優になるまで
  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る

人気記事

日本で最初のオストメイトモデル。“生きている証”をさらけ出して進む道
スタバでも採用された「最強のカゴ」。老舗工具箱屋が、アウトドア愛好家から支持を集めるまで
SNSで話題沸騰!『おたる水族館』の、人びとを笑顔にする“グッズ開発”の裏側
自分で小学校を設立!北海道で“夢物語”に挑んだ元教師に、約7,000万円の寄付が集まった理由
「歌もバレエも未経験」だった青年が、劇団四季の王子役を“演じる”俳優になるまで
  • バナー

  • バナー