ツッコまずにはいられない……日本一ボケる遊園地「ひらかたパーク」はなぜ愛される?

2021年12月16日

大阪は枚方にあるローカル遊園地「ひらかたパーク」(通称、ひらパー)。地方の遊園地ながら毎シーズン発表されるユニークな広告や企画展などがネットで話題になり、大阪のみならず、他府県からの来場者もたくさん訪れているそうです。

ひらかたパークはなぜこんなにも人を惹きつけるのか?営業部・広報宣伝担当の田中逸馬さんと岡田理花さんにお聞きしました。

ひらパー流。ボケ倒したプロモーションで心をつかむ。

写真(左)営業部・広報宣伝担当の田中逸馬さん。(右)岡田理花さん。

──関西人にとって「ひらかたパーク」といえば、岡田 准一さんが、ひらパーが大好きな兄さんとして演じるCM『超ひらパー兄さん』の印象が強いです。今期のCMもすごくおもしろかったです!

田中さん:ありがとうございます!岡田 准一さんには、2013年から“超ひらパー兄さん”として、テレビCMやいろいろな広告に出演してもらっています。 “超ひらパー兄さん”は、みなさんから好評で。僕らも、出演いただいていることに本当に感謝しています。映画や大河をはじめとするドラマに出演する今をときめく方がこんなにボケてくれていますから。正直奇跡みたいな話ですよね。

──本当に、スターの岡田さんがこうしてボケている姿を見ることはあまりないですよね。

岡田さん:毎年、こういった広告を展開しつつ、映画の公開に合わせてパロディポスターまで作らせていただいて。ありがたいことに毎回大反響をいただいております。

来るひらパー110周年に向けて、カウントダウンしている岡田 准一さんが描かれているポスター。着用しているのは「カウントダウンジャケット(冬物)」

──そもそもよくOKをいただけましたね!

田中さん:実は、枚方市は岡田さんの出身地なんですよ。「地元の遊園地からのオファーなら」と、快く引き受けてもらえて。ほかにもひらかたパークではさまざまな広告を仕掛けてきたのですが、弊社の広告は印象に残ることを意識してます。今展開している“超ひらパー兄さん”で言えば、オリジナルソングをバックに“冬将軍“の立ち回りをしたり、プールの晴れ乞いのために、岡田さん得意の格闘技で雨男を退治したり。

──やっぱり関西だから、ボケる広告に対して反応がいいんでしょうか?

田中さん:それはあると思います。関西という地域はボケ文化もありますが、ツッコミ文化でもあると思います。だから、おもしろい広告を作ろう!となったら、しっかりとツッコミどころを残します。“超ひらパー兄さん”の広告においてもそうで、見ていただいた方が思わずツッコミたくなる表現になっていると思います。ひらかたパークの園長である“超ひらパー兄さん”の「園長資料室」というコーナーがありまして。ここでは、園長関連グッズや広告などを展示しているので、気になる方はぜひとも見に来てください。

ひらかたパーク内にある、園長資料室

──“超ひらパー兄さん”のような広告の仕掛けほかに、ユニークなアトラクションなど、来園後に楽しんでいただく仕掛けもあるのでしょうか?

岡田さん:弊社は頻繁に新しいアトラクションを導入できないので、今あるアトラクションをさらに楽しんでもらえるように工夫します。たとえば、弊社の観覧車は眺望がいいと好評なんですが、あえて景色を見えなくした「ロシアン観覧車」という企画だったり……。

ゴンドラのうち4つだけを外が見えない仕様に作り変えた「ロシアン観覧車」。
※現在は実施されておりません。

──観覧車なのに景色が見えないなんて……。でも、おもしろいです。

岡田さん:そのほかにも、「目隠しライド」と題して、もとあるジェットコースターに目隠しで乗る企画を実施したり。万博誘致が決まりそうなタイミングで行った「枚方万博」のミイラ展で「乾きもの」の展示を行ったり、一つのゴミ箱に捨てる穴が10箇所ついた「分別しまくりゴミ箱」を設置してみたり。いずれも低コストで実施できて、ネットで話題になりました。

よく燃える、まあまあ燃えるなど、燃えるジャンルを考えるのに苦戦したそう。
※現在は実施されておりません。

──お金はないけど、アイデアでお客さんを楽しませようとしているんですね。

田中さん:実際に、SNSで話題にしてもらう機会も増えているので、結果としていろんな人に楽しんでもらえていると、実感しています。あとは、やるならとことんだな!と思って、当時のプロモーションで超ひらパー兄さんにも「目隠しライド」を体験していただいたので、お客さんも“超ひらパー兄さん”になりきれるように、岡田 准一さんの目をプリントしたアイマスクを販売しました。

こうした、さまざまな仕掛けのおかげで、今では皆さんに遊園地として親しまれていますが、実はひらパーの始まりは遊園地ではなかったんですよ。

元々は菊人形の展示会場だった!?ひらかたパークの意外な前身とこれから。

まだ遊園地になる前の全景図。当時の名前は「枚方菊人形館」。いくつかアトラクションはあったが、施設のメインは菊人形だった。

──そもそもの、ひらかたパークはどんな場所だったんですか?

田中さん:菊人形をご存知でしょうか?菊の苗を細工して飾り付けた、日本の伝統芸術です。菊人形の展示会場として、1912年にひらパーは始まりました。かつては100体ほどの人形を飾っていた時期もあったようですが、職人さんや菊農家の後継者不足もあり、年々展示の規模は縮小していきました。今年は3体の菊人形を展示していました。規模は縮小されても、菊人形の文化を継承し、次の世代に伝えていくことは我々の使命だと考えています。

菊人形の新しい表現の形として、クリエイティブカンパニーNAKEDとコラボし、プロジェクションマッピングと掛け合わせる展示を行った。

──菊人形と聞くと少し地味なイメージだったのですが、こうしてみるとかなり華やかですね。

田中さん:そう言っていただけて嬉しいです。ただ、菊は1年中咲いているわけでないので秋しか展示ができません。そこで、ほかの季節でもお客さまに来ていただくためにアトラクションを作ったり、プールやスケートリンクを増設したり。菊人形以外も展示イベントができるようにイベントホールを建てたり。進化を続けて今のひらパーの形になりました。

創業から100年以上かけて増築されていった、現在の「ひらかたパーク」。

──そんな歴史を辿ってきたんですね、ちなみに、今後やっていきたいことはありますか?

岡田さん:コロナ禍なのでまだどうなるかは不透明なのですが、実は、ひらかたパークは来年で110周年を迎えるんです。なので、それに絡めたイベントができればいいなと思っています。    

──最後にお二人が思う、ひらかたパークの魅力をお聞かせください。

田中さん:ひらパーは「おもちゃ箱のような空間」です。ジャンル問わず、楽しいものがたくさん詰まっています。歴史ある遊園地なんですが、超ひらパー兄さんのCMだったり、「枚方万博」のような面白い企画もできたり、いろいろなことにチャレンジできる遊園地はひらパーの強みかなって思います。

岡田さん:すごいアトラクションがあるわけではないんですけど、地元の方が来園すれば小さいころに遊びに来た時の記憶を鮮明に思い出せるところだと思っています。今来園してくれている子どもたちが大人になって、家庭を持ち、また子どもを連れてひらパーに来ていただいて……、そういう施設になっていくのが私たちの夢なんですよね。何世代も愛されてきた場所ですので、その流れを次の世代にも伝えていきたいと考えています。

(文:関戸直広)

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編集者/ライター関戸ナオヒロ
さいたま生まれ、さいたま育ちの26歳。居酒屋、ホテルスタッフ、介護施設などで働いていた後、気がついたら大阪に移住。現在は家賃5000円の電気しか通っていないビルの3階に暮らしています。

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