TikTok発・泣ける絵本の作者に聞いた、元デザイナーが「絵本作家」と呼ばれるようになるまで

2022年12月21日

「ぼくはうしだから もうじきたべられる——」

自分の宿命を受け入れた一人ぼっちの子牛が、最後にお母さんに会いに行く。命のありがたみを改めて考えさせられる絵本『もうじきたべられるぼく』が、今話題です。

火付け役となったのは、TikTokの読み聞かせ動画でした。10数年前にイラストレーターとして活動しているはせがわゆうじさんによって描かれたこの作品は、当時書籍化されておらず、絵本アプリ上でのみ公開されていました。それが現在、TikTokで「号泣注意」のキャッチコピーとともに拡散され、再生数は360万回に上っています。

はせがわさんは、イラストレーター歴約40年。これまで、『もうじきたべられるぼく』のほかにも数々の絵本や、NHK『みんなのうた』のイラスト、小学校の教科書の挿絵などを手がけてきました。その柔らかな色合いと優しいタッチの画風は、ある人からの影響も受けているといいます。

『もうじきたべられるぼく』は、どのような経緯を辿って絵本化されたのでしょうか?はせがわさんのイラストレーターとしての歩みにも触れながら、絵本を描き始めたきっかけや、キャリアの築き方について深掘りします。

10数年前の作品が、TikTokで360万回再生

——『もうじきたべられるぼく』は、どのような経緯で、今になって絵本として出版されたのでしょうか。

10数年前年に作品を描いた時、当時お付き合いのあったいくつかの出版社さんに「こんな企画があります」と持ち込んだんです。

その中で、一人の編集者さんがすごく気に入ってくださったんですけど、社内では「食べられて終わるのはハッピーエンドではない」という意見もあり、企画が通らなかったようで。

なんとか出版できないかと頑張ってくださったのですが、結局、出版に至りませんでした。

——物語の方向性を変えて、リトライしようとは思われなかったのですか。

自分の中でもテーマが重いことは自覚していたので、方向性を変えるというより、「また次をつくろう」という気持ちのほうが強かったですね。

それが、2013年に丸の内の丸善さんで絵画展を開いた時、絵本アプリ・PIBOの社長さんに「こういうサービスを始めるので、登録してみませんか?」と声を掛けていただいて。秋のPIBOのリリースと同時に、『もうじきたべられるぼく』と、ほか1冊を掲載いただきました。

——それが2021年、VTuberの絡苺るぷりさんの目に留まり、TikTokで紹介されたのですね。

そのころ、『もうじきたべられるぼく』の出版元でもある中央公論新社さんで、別の絵本2冊の出版準備をしていたんです。ところが「TikTokの再生数がすごい」ということで、急遽『もうじきたべられるぼく』の絵本化が決まりました。

実はぼく、今では“絵本作家”と呼んでいただけることも多いのですが、自分ではイラストレーターの色のほうが濃いと思っています。これまでの絵本も、ほかの方が書かれた物語の、挿絵のみを担当したものが多いです。

『もうじきたべられるぼく』は、自分で物語もつくった数少ない作品なので、書店で、素敵な紹介文の書かれたPOPと一緒に絵本が並んでいるのを見た時は、うれしかったですね。

——TikTokで話題になっていることを知った時は、どのような気持ちでしたか。

TikTok自体をほとんど見たことがなくて、若い方たちがダンスをしている印象しかなかったので、「こんな(絵本を読み聞かせる)使い方があるんだ」と驚きました。

ただ、そこについているコメントはやはりいいものばかりではなくて……。嬉しさと同時に、「こういう、重めのストーリーが好きじゃない人もいるよな」とも思いましたね。

——TikTokで紹介された10数年前の物語と、現在の絵本では、結末が異なることも話題になっています。

最後の言葉は、当時物語を描いた時から自分の中に何パターンか候補があって、迷っていたんです。ただ、ぼくはやなせたかしさんの『やさしいライオン』という絵本がずっと好きで。主人公は、優しい犬に育てられたみなしごのライオン。ある日2人は人間の都合で離ればなれになってしまい、母犬に会おうと檻から抜け出したライオンが、最後にまた人間の都合で……という、決してハッピーエンドではないお話なんです。

この物語のように、「読んでくれた人自身に考えてもらえるような終わり方にしたいな」と思い、当時は結末を“ぼわん”とさせていました。当時は心のどこかで、「そのほうが格好いい」と思っていた気もするんですね。

でも、10年の間に、自分の中でも変化がありました。

一番のきっかけは、SNSで流れてきた黒柳徹子さんの言葉です。ある国の難民キャンプでは、どんなに苦しい状況の中でも、自殺をする子が一人もいない。日本では子どもが自殺する。こんな悲しいことがあるでしょうか……といった、あまりにも重い内容でした。

それを読んでから、だんだん「格好いいとか悪いとか、もうどうでもいいや」と思うようになって。自分の言いたいことをストレートに伝えたり、好きなものを好きと言おう、と思えるようになったんですね。出版社から指示があったわけではなく、そんな変化もあって、最後のセリフを「生まれ変わったらまた蝶々さんと遊びたい」という内容から、「ぼくを食べた人が、自分の命を大切にしてくれたら……」という意味の内容にしました。

27歳でデザイナーからイラストレーターに

——はせがわさんは、子どものころから絵を描くのがお好きだったのですか。

そうですね。チラシの裏の白いところに、よくアニメキャラの絵なんかを描いていました。引っ込み思案で、大勢の中ではいつも端っこにいるタイプでしたが、絵を描いたときだけは周りが「おお!」と褒めてくれて。高校で美術部に入り、名古屋の芸術大学へ進みました。

——イラストレーターになったのは、どのような経緯ですか。

大学4年の時、デザイン事務所でアルバイトを始めたんです。一応、美術の教員免許を取っていて、家族や先生からも「教員になれ」と言われていたんですけど……当時行った中学校の教育実習で、ぼくには無理だ、と思いました。人前で話すことがまず苦手ですし、教科担任とクラス担任を兼務する先生がたを見て、「世の中の先生はすごい」と思いましたね。

アルバイト先のデザイン事務所に入り浸っていたこともあり、そのまま就職しました。

——デザイン事務所では、何を制作されていたのですか。

春日井製菓の『ミルクの国』というキャンディ、ご存じですか?この「ミルクの国」という文字と背景の青いリボンは、ぼくがデザインしたものがずっと使われているんです(笑)。パソコンのない時代だったので、リボンの曲線はコンパスで、フォントも手書きで描いた思い出があります。

このころは「デザイナー」という立ち位置だったので、どちらかというと絵を描くより、パッケージのデザインなどの仕事が多かったですね。

ただ、クライアントからの要望の中にも、どうしても「絵」を入れたくなってしまう自分がいました。そのうちに、自分がやりたいのはデザインじゃなく、「イラストレーション」なんだと気付いたんです。

そして「イラストレーションだけでやっていこう」と決めて、27歳でフリーランスになりました。当時、仕事として受けられそうなものは圧倒的にデザインのほうが多かったですが、「デザインはやらない」と心を鬼にして(笑)。

——優しいタッチの画風は、初めのころからですか?

28歳の時、やなせたかしさんが編集長を務める『詩とメルヘン』という雑誌のイラストコンクールに応募したら、優秀賞に選ばれたんです。以来長年、『詩とメルヘン』の挿絵を描いたり、年に1回行われる、やなせさん主催の「星屑忘年会」の幹事長をやらせていただきました。

やなせさんが昔からおっしゃっていたのが、「ちょっと心が弱っている人に焦点を合わせて絵を描いている。だからぼくの絵は、元気な人にとっては気恥ずかしいものなんだ」ということ。

ぼく自身も、自分の絵が世に出るようになって、いろいろな方から手紙やメールをいただくんですけど、その多くが、ちょっと心の弱っている方なんですよね。だから自然と、そういう方たちに届けることを意識して描くようになりました。

引用元: 風の散歩道

映画から影響を受けた、絵本の作風

——初めて絵本を描いたのは、いつだったのでしょうか。

32歳の時、『こころの森』という絵本を描きました。

1990年出版の『こころの森(ウオカーズカンパニー)』。檻の中に閉じ込められ、お母さんを恋しがっていた子犬を、同じ檻にいたみなしごの動物たちが総出で逃がしてやるストーリー

これは、自分の中にベースとなった映画がいくつかあります。たとえば『ET』や『エレファントマン』。どちらも、一人ぼっちの主人公を、周囲が協力して自由にさせてやるようなストーリーです。こういう、「自分を犠牲にしてでも誰かを守る」というストーリーに弱くて……。

自分でもそんな物語がつくりたい、と思ってつくったのが『こころの森』でした。今はもう出版社がなくなってしまいましたが、絵本アプリ『PIBO』や絵本通販サイト『YOMO』では読むことができます。

——『もうじきたべられるぼく』の内容にも通じるものがありますね。この時期から、絵本の仕事が増えたのでしょうか。

自分で物語までつくったのは『ベンジャミンの空』と『うさぽんのたび』、そして『もうじきたべられるぼく』ぐらいなんです。当時は特に、広告関係・百貨店関係のイラストの仕事が多かったですね。

2002年出版の『ベンジャミンの空(サンリオ)』

——フリーランスのイラストレーターとしては、常に順調でしたか。

イラストレーターをはじめた28歳の時はちょうどバブル期だったので、軌道に乗るのは早かったと思います。収入も比較的安定していて、今思うと「世の中ちょろいな」なんて、舐めた考え方をしていましたね。

でも、30代になってバブルが崩壊して、大手の仕事が見事に来なくなりました。幸いにもゼロになることはありませんでしたが、同じ仕事でも収入はずいぶんと減ってしまって……。それでも、「きっと(景気は)一瞬で戻るだろう」と思っていました。

「これが普通なんだ」と実感するまでには、だいぶ時間がかかりましたね。

——その際、はせがわさんの中でどのような変化がありましたか。

一つひとつの仕事を、より丁寧に、心を込めてやるようになった気がします。たとえば、忙しかったころはあまり受けられなかった、小学校の教科書やドリルの挿絵。

ぼくは子どものころ勉強が大っ嫌いだったので、「きっと自分のような子は、問題よりイラストのほうを見るだろう」と考えながら(笑)、「よし、楽しませてやるぞ」という気持ちで描いていました。

——2022年の今は、挿絵を含めて、すでに絵本を3冊出されているはせがわさん。これから、イラストレーターとしてやってみたいことや、夢はありますか。

実は大学時代、映画監督になりたい、と思っていた時期もあったんです。映画業界ではたらく方に「人に嫌われても平気なぐらい、ずぶとい人間じゃないとなれない」と聞いてやめてしまいましたが……。

だから今も、「自分の描いた絵をアニメーションで動かしてみたい」という夢があります。すでにYouTubeで、パンダの絵をPhotoshopで簡単なアニメにしていくつか投稿しているんですけど、今みたいに仕事の合間につくるんじゃなくて、数カ月間それだけに没頭してみたいですね。

アニメーションをつくる作業って、マウスで地道にキャラクターの動きを微調整していくので、根気との戦いなんですよ。

2022年、『もうじきたべられるぼく』と同時期に制作した『ふたごパンダのこころコロコロ(中央公論新社)』。はせがわさんは挿絵を担当

——夢に手が届かない、うまくいかない、と悩んでいる方に向けて、なにかメッセージがあればお願いします。

昔やなせさんが、星屑忘年会で、絵を描き始めたきっかけをお話しされたことがありました。

子どものころ、どこかの美術館で、川が紫色になっている絵を見て、やなせさんは「川が紫だなんておかしい」と思ったそうです。それが、ある日の夕暮れに河原で野球をしていた時、日が沈む直前の一瞬だけ、川が紫色に見えた。「こういうことか!」と思って、その情景を描いたことが始まりだとおっしゃっていました。

アニメーションをつくるのと一緒で、イラストも、こつこつ地味な作業を続けて、やっとできるようになるものだと思います。だから、どんなに「自分ってだめだな」と思う時期があっても、どんな形でもいいから持続すること。自分の場合は、人のご縁に恵まれたり、運もあったと思うんですけど、やめなかったから今も続けてこられている。

大切なことはシンプルで、「夢は諦めたら終わり」。それに尽きると思いますね。

(文・原 由希奈 写真提供:はせがわゆうじさん)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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