芸能人から料理家に転身。長谷川あかりさんに聞く“自分との向き合い方”

2023年2月15日

ライフステージや環境によって、自分の「やりたいこと」や「やれること」は変わるもの。
小学生から『天才てれびくん』に出演して芸能界で活躍するも、早婚をきっかけに学生に戻り、人気料理家になった長谷川あかりさんもその一人です。

4歳からダンスを習い始めダンサーを目指すようになりましたが、その後10歳で受けたオーディションで子役タレントとして芸能活動を開始。その後は舞台女優になりましたが、結婚して初めて芸能界以外の道を考え、22歳で大学へ進学し、栄養士の資格を取得しました。卒業後は芸能活動の中で培ったスキルを活かし、SNSでレシピを発信。わずか半年でTwitterのフォロワーが15万人を突破するほどの人気料理家になっています。

ターニングポイントを迎えるたび、自身の「やりたいこと」や「やれること」に向き合って新しい道を選択してきた長谷川さんに、人生の岐路に立ち、選択に迷ったときの“自分との向き合い方”について伺いました。

ダンサーを志すも、適性を自覚してタレントの道へ

――長谷川さんは、どんなきっかけで芸能活動を始めたのでしょうか?

4歳から地元のさいたま市でダンススクールに通っていて、芸能の仕事ではなくダンサーを目指していました。小学校5年生で、ダンスの先生に「ダンサーになりたいなら、ダンサー部門が設けられているavexの全国オーディションを受けてみたらどうか?」と勧められ、初めて大きなオーディションを受けました。

オーディションの途中で、avexの方から『天才てれびくん』のオーディションも受けてみないかと声をかけられ、それに受かったらavexに所属できるということだったので、avexオーディションと同時に天才てれびくんのオーディションにも参加したんです。当時はエイベックスで倖田來未さんやBoAさんなどが活躍していた時期で、ダンサーを目指すならavexだと思ったんです。

――ダンサーではなくタレントとして活動することに抵抗はなかったのですか?

抵抗感を感じる暇もありませんでした。なにせ半年前までダンサーを目指すただの子供だった私が突然NHKにレギュラーで出ることになったので、毎日必死で(笑)。それに、avexに入ったきっかけはダンスでしたが、仕事やレッスンを通していろいろな経験を積ませてもらったおかげで、演劇などダンス以外の芸能活動に興味を持つようになり、自然と「これからも芸能で頑張ろう!」と思えました。

――芸能界に入ってから、どんな変化がありましたか?

「自分に何ができるか」を客観的に見るようになりました。ダンスにも真剣に取り組んでいましたが、仕事ではなくあくまでも習い事だったので、それほど自分を客観視していなかったんです。

たとえば、仕事を始めるまでは、恥ずかしながら「自分はかわいい」と思っていたのですが、芸能界に入ったら全国から集められた美少女がたくさんいて、中身のスキルを磨かないと出番がなくなってしまうと肌で感じました。常に「ほかの子たちができなくて、自分ができることは何だろう? その中で結果を残せることは何だろう?」と考えていました。

――中学2年生で『天才てれびくん』を卒業してからは、何をしましたか?

周りは芸能活動を続ける子ばかりだったので、迷わず続ける道を選び、芸能活動と両立しやすい高校へ進学しました。ただ『天才てれびくん』は子どもがメインで活躍する特殊な番組で、卒業後は新たな道を探さなければなりませんでした。ドラマや映画に出るいわゆる子役や、ティーン紙のモデルであればその後も比較的活動しやすい傾向にあるのですが『天才てれびくん』のような仕事はほかに存在しないんです。

しばらくはいろいろなレッスンを受けながら片っ端からオーディションを受けていましたが、なかなか仕事が見つからず……。決めたら続ける性分なので迷わず突き進んでいたものの、オーディションに落ち続けたストレスで食がどんどん細くなるなど、当時は少なからず追い詰められていました。

――仕事がうまくいかないストレスを、どのように消化していましたか。

長谷川さんのInstagram より

勉強と料理です。私は何かに打ち込んでいないとしんどくなってしまうタイプなので、仕事がなくてもほかのことに取り組んでいました。勉強と料理にハマったのは、芸能活動と違って「答えがある」から。オーディションだと何が審査員に受けるのか分からなくて、答えがない道を走り続けないといけません。でも、例えば料理だったら、レシピ通りにきっちり進めていくと必ずおいしい料理にたどり着くのが新鮮で、それが嬉しかったんです。

結婚を機に芸能界を引退。「不安は自由の裏返し」と前向きに受け止めた

――その後、芸能活動を引退した理由は?

結婚がきっかけです。高校3年生の終わりから2年ほど舞台女優として活動していて「このまま舞台で活動し続けようかな」と思ったタイミングで、お付き合いしていた方からプロポーズされました。それほど結婚願望はなかったのですが、結婚を特別視していなかったからこそ「この人とはずっといっしょにいたいし、じゃあ結婚しようかな」と特に大きく悩むことなく結婚を決めることができました。

「芸能活動を辞める」という選択肢が急浮上したのはそのときです。結婚により自分の人生が自分だけのものではなくなったことで、初めて「違う道を選んでもいいかも」と思えました。それまでは「芸能を続ける」という決定事項をただひたすらに守っていた感覚だったので、キャリアとしてはこれが初めての変化であり、決断だったかもしれません。それで芸能界を引退し、心のどこかで「行ってみたいな」と思っていた大学へ22歳で進学することにしました。

――10代から続けてきた芸能のキャリアを手放す不安はありませんでしたか?

ありました。辞めた直後は「続けたほうが良かったかな」と後悔した瞬間もありましたし、大学に進学してから2年生になるまでは「これからどうしたらいいんだろう」と泣くこともありましたが、人生はまだまだこれから。「これからどうしたらいいんだろう」という不安は「これから何にでもなれる」という自由の裏返しでもあります。未知数の可能性は不安と表裏一体なので、不安だけにとらわれず、今までになかった新鮮な“迷い”を前向きに受け止めることにしました。

――大学では料理にまつわる勉強をしていたのですか?

栄養学を専攻していました。大学を検討する段階で「好きな物事の専門性を高める勉強をしたほうが継続できるだろう」と思い、高校生からずっとハマっていた料理を軸に学部を選びました。ただ、当初は「料理家になりたい」とは思っていなくて、栄養について学ぶ中でやりたいことが見つかったらいいな、という感覚で入学し、栄養士と管理栄養士の資格を取りました。栄養士は主に健康な方を対象にした栄養指導や給食の運営を、管理栄養士はそれに加え、病気を患っている方や高齢で食事がとりづらくなっている方を対象にした栄養指導や栄養管理、給食管理を習得する資格です。

自分を客観視する能力を生かし、わずか1か月で人気料理家に

――そこから、なぜ料理家を志したのでしょうか。

大学3年生で「健康的なレシピを発信することで、より多くの人の健康づくりに貢献したい」という思いが生まれたからです。であれば、これまで芸能活動でやってきたような、メディアを介して発信していくということが「やりたいこと」につながるんじゃないかと思い、大学を卒業した翌月の今年4月から、料理家としてTwitterやInstagramにレシピを載せるようになりました。

――SNSでの発信で心がけたことは?

「どういう人に届けたいか」をイメージしました。たくさんの人に広く届けたいけど、ターゲットがぼんやりしているとだれにも響きません。レシピには、おのずと考えた人のライフスタイルが反映されます。私が考えたレシピは私みたいな人のライフスタイルに合うので、まずは「都内近郊に住んでいて、忙しいけどおいしい料理を手軽に作りたい20~30代女性」をイメージしてレシピを投稿するようにしていました。

最初にバズったのは中華粥のレシピです。「生活になじむ、ほんのりおしゃれで健康的なおいしい料理」が私に合っていて、かつニーズのあるレシピなんだと実感しました。中華粥がバズったことをきっかけに、方向性が定まったように思います。

――発信を続けるコツは?

「発信するためのレシピ」はあまり考えないようにしています。「バズらせる」ことも目的に料理をしても私自身楽しくないですし、そういうのって、見てくださっている方にも伝わってしまうと思うんです。

もちろんバズるということはとっても大切なのですが、「自分が食べたいから作ったレシピ」の方が食べるシーンも添えてよりナチュラルに発信できますし、作っていても楽しいので、無理なく発信を続けられます。

やっぱり料理そのものを楽しむ感覚は忘れたくないので、私がふだんから作っている「簡単だけど本格的でおいしい料理」の中からシェアしたいものだけを発信して、みなさんにも同じ楽しさを味わってもらえたらと思っています。

過去の経験は今に生きる。時には“人のせい”にして、身軽な一歩を

――10代から芸能活動をしてきて苦労も多かったと思いますが、どうやって乗り越えてきましたか?

精神的にきつくて胃がキリキリしたこともありましたが、当時は逃げるほうが怖くて続けていました。ただ、芸能活動が今の料理家としての活動に生きているように、今まで蓄積したものは回りまわって今につながると信じています。その、努力の蓄積を信頼して行動してみるのが、一番いい乗り越え方なんじゃないかと思います。

オーディションに落ち続けるストレスで胃がキリキリして食が細くなったとき、「少ない量しか食べられないなら、せめておいしいものを厳選して食べたい」と思って、高校生ながらデパ地下のお惣菜を買って食べたりしていました。そこで食の感性も磨かれて、料理への興味も増したので、料理家の基礎能力を培えたと思います。

持っているスキルを無理やり「生かそう」と思わなくても、勝手にどこかで生きてくるものだと思うんですよね。積み重ねてきたことへの信頼が、自分の決断を後押ししてくれるように思います。

――それでも変化が怖いときは、どうやって自分と向き合ったらいいでしょうか?

自分一人の決断だと思って背負い込むとしんどいので、いい意味で“人のせい”にして言い訳してもいいと思います。私だって、なんだか偉そうなことを言っていますが、芸能界を引退して大学に進学したのは「結婚して私だけの人生じゃなくなるし」という名目があってのことです。

結果が出なかったことを人のせいにするのはよくありませんが、他人の力を借りながら決断して、そうやって進んだ新しいステージで一生懸命努力して道を切り開くのも、決して悪いことではないのかなと今となっては思います。

それに、ダメだったらダメで戻ればいいんですよね。結婚するときも「どうしてもダメだったら離婚する選択肢もあるしな」とと思っていたし(笑)、大学に進学したときも「ダメだったらまた芸能活動をゼロから始めればいい」と思っていました。意外とやり直せるので、自分で「重大な切断をしたんだ!」と思いこみすぎない、ということも大切だと思います。

――今後の展望は?

今とやることはあまり変わりませんが、やはり、より多くの人にレシピを届けていきたいです。それがたくさんのメディアに出ることなのか、どこかに登壇して話すことなのか、具体的なことはまだ分かりませんが、過去の自分が頑張ってきたことも生かしつつ、目の前にある仕事に全力で取り組みながら「気がついたら健康になっていた」って思えるようなレシピをシェアしていきたいです。

(文:秋カヲリ 写真提供:長谷川あかりさん)

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エッセイスト・心理カウンセラー秋カヲリ
1990年生まれ。ADHD、パンセクシャル、一児の母。恋愛依存や産後うつなどを経験し、現在は女性の葛藤をテーマにしたコラムを中心に執筆。求人広告→化粧品広告→社史制作→フリー。2018年にYouTuberメディア『スター研究所』を公開、2021年に『57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室』を出版。

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