ブレイクまで苦節10年…人気声優・白井悠介を支えた「なんとかなる」の精神

2023年5月9日

昨年2022年4月には500万DLを突破したスマートフォン用ゲームアプリ『アイドリッシュセブン』。YouTubeに投稿された公式MVには再生回数約4,400万回を突破する作品もある音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』。

これらのコンテンツに登場するキャラクター・二階堂大和(『アイドリッシュセブン』)役や飴村乱数(『ヒプシノスマイク』)役をはじめ、数多くの人気作品に出演する声優・白井悠介さん。近年ではWeb CMに実写出演するなど、幅広い活動が注目されています。

順風満帆な声優人生を歩んでいるように見える白井さん。しかし、デビューに至るまでにはさまざまな「回り道」を経ていました。専門学校も養成所も2回ずつ入学し、ようやくデビューしてからも4年間オーディションに落ち続ける……それでも歩んでこれたのはどうしてだったのでしょうか?そこには目標に向かって進んでいくためのヒントが隠されています。

子どものころは自分の声が好きじゃなかった

──白井さんは子どものころからアニメや漫画がお好きだったそうですね。声優という職業を知ったのも、アニメ作品がきっかけですか?

小学生のころですね。『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』(第1期放送開始:1996年)がドンピシャな世代でした。それからはアニメに夢中になって、寝ている間もアニメの世界を旅する夢を見るくらい。そのころから「ぼくもアニメの世界に入りたい」って、なんとなく思っていたんでしょうね。

いろんなアニメ作品を観ていくうちに「このキャラクターの声、別のアニメでも聞いたことあるな」と気付いたんです。そこが最初に声優というものを認識した瞬間だったのかな。それからは自然と、ストーリーだけじゃなくキャラクターの声にも注目しながら作品を観るようになりました。

──当時、特に憧れていた声優さんはいましたか?

菅原正志さんや菅生隆之さんなど、吹き替えやナレーションをされている声優さんの渋い声に憧れがありました。高校生のころには、ぼくも低くてかっこいい大人の男性の声を出したいと思って、お二人が演じていた役のセリフを読んでみたり、それをボイスレコーダーで録音して夜な夜な聞いたりと、ちょっとした練習もしていましたね。

──録音した声を聞いて、ご自身で「自分は声優に向いているな」と目覚めていったのでしょうか?

いえ、それは全然思いませんでした(笑)。実際に録音した自分の声を聞いてみると「うわ、何これ。自分に聞こえている声と全然違う!」って違和感が強くて。

でも、続けていくうちにだんだんと慣れていって、自分の声が嫌いじゃない、むしろ好きかもしれないと思えるようになっていったんですよね。それが、夢に向かって一歩を踏み出すきっかけになった気がします。

回り道の裏にあった「なるとかなるさ」の精神

──高校卒業後に上京して声優の専門学校に入学されたそうですが、声優を目指すことに対してご両親や周囲の人はどういった反応でしたか?

親には反対というよりも、心配されましたね。ぼくの兄も声優を目指し、地元である長野から上京したんです。「本当に声優になったとして、食っていけるのか?」とは何回も、何十回も言われました。

ただ、ぼく自身は父親譲りの楽観的な性格なんです。絶対に声優になれるという根拠のない自信がありつつ、ダメだったらダメだったで、別のことをすればいいという気持ちもあって。「なんとかなるさ」の精神ですかね。

──ただ結果的に、声優の専門学校卒業後もかなり回り道をすることになりましたよね。

そうなんです。専門学校卒業後は、ナレーションの授業で褒められたのがうれしくて、ナレーターの養成所に入ったものの、蓋を開けてみたら舞台系のレッスンばかり。正直、楽しめていませんでした。

そんな時、自宅でドラマを観ていたら急に「俳優も楽しそうだな」って思えてきてしまって。悩んでいたところにちょうど楽しいものがぱっと出てきて、目移りしちゃった感じですね。

勢いでナレーターの養成所も退所して、アルバイトをしながら演技のワークショップやレッスンに参加したり、俳優としてのオーディションを受けたりしていました。

でも、どこにも引っ掛からず、まったく上手くいかず。それが1年半ほど続いたあと、もう一度声優になろうと思い直して、声優事務所が運営する養成所に再入学したんです。

──声優になることをあきらめたわけじゃなかったんですね。

俳優を志したあともアニメ自体は大好きだったのでよく観ていたんですよ。その時間がすごく楽しくて、当時のぼくにとっての癒しでもありました。それで「やっぱりアニメが好きだな」「自分もあの世界に入りたいな」という気持ちが再燃したんだと思います。

でも、そこからも順風満帆というわけではありませんでした。入り直した養成所でもプロデビューをかけた事務所所属テストに落ちてしまって……。

──それは焦りますね……。

当時はすでに20代半ばに差し掛かっていましたからね。それまで、自分はできるという根拠のない自信あったので「なんとかなるさ」と思っていたんです。それがテストに落ちてしまったことで「え、どうしよう?この先のこと何も考えてない」と初めて焦りはじめました。

急いでほかの養成所に応募しようとしたのですが、どこも募集期限が過ぎていて。窮地に立たされましたね。

──そのあと、どのようにピンチを乗り越えたんですか?

クラスメイトが「ここの専門学校、まだ募集しているよ」って教えてくれたんです。藁にもすがる思いで応募したら、無事合格。再入学した1年後に、今の事務所への所属も決まりました。友達の一言がなかったら、今のぼくはここにいなかったかもしれません。

──結局「なんとかなった」わけですね。

運が良かったんだと思います。

ただ「なるとかなるさ」って、ある意味楽な方に逃げているとも言えるけれど、頭を切り替えられるということでもあると思うんです。たとえば、落ち込むことがあっても「さあ、家に帰ってサッカー観よう!」みたいに、楽しいことが目の前に現れるとすぐに気持ちが切り替えられる。

嫌なこととばかり向き合っていると、自分自身もずっと嫌な気持ちになっちゃうじゃないですか。だったら「いいな」と思うほうに目を向けたほうがポジティブでいられると思うんです。そのほうが、生きていく上で楽ですよね。

2つの作品出演をきっかけに人気声優へ

──現在の事務所に所属され、2011年にゲーム『閃乱カグラ』でデビューされました。しかし、そのあとなかなか役を得ることができない日々が続いていたそうですね。 

デビュー以降、4年間オーディションに落ち続けていました。でも、くじけることはなかったですね。オーディションの結果が届いたときは「あー、まただめだったか」ってなるんですけど、事務所がすごく応援してくれて、売り出そうとプッシュしてくれたんですよ。

チャンスはあったし、絶対に応えようという気持ちのほうが強かったです。

──ここでもやっぱり声優をあきらめようとは思わなかったのですか?

少しはチラつきましたね。私の兄も事務所に所属して声優として活動していましたが、30歳になるタイミングで実家の家業を継ぐことにしたんです。ぼくも家業を継ぐという選択肢がないわけではなかったし、30歳を目前にして、1つの節目になるかなとは思っていました。

でもやっぱり、自分を信じているという気持ちが強かったですかね。あとはやっぱりここでも「なんとかなる」精神が発揮されて、「そのうち受かるでしょ!」と思っていましたから(笑)。

──もどかしい日々が続く中で、2015年に『美男高校地球防衛部LOVE!(以下、防衛部)』『アイドリッシュセブン』という2つの出世作とも言える作品への出演が決まりました。

『防衛部』は放送当時からかなり話題になり、ありがたいことにTV放送はシーズン2まで、そのあと劇場版OVAも制作され、長い付き合いになりました。

「白井悠介」という声優の名前が広がったきっかけになったことは間違いなくて、ここから徐々にゲームやドラマCDのお仕事を指名でいただけるようになっていったので、ぼくにとっては大きな転機でしたね。

『アイドリッシュセブン』はほかのメインキャラクターは有名な売れっ子声優さんばかりで、指名をいただいたときはなんでぼくに?と驚きでしたね。正直、今だに謎です(笑)。

ただ、『防衛部』で一緒だった増田くん(増田俊樹)もいてうれしかったし、資料をいただいたときから「これはすごい作品になるぞ」という予感はありました。台本を読んでいて、ここまで引き込まれる作品ってなかなかないので。

──そこから声優としての階段を駆け上がっていくことになったわけですが、これまでのキャリアを通じて思い出深い作品はありますか?

一つひとつの作品すべてが思い出ですが、やっぱり『ヒプシノスマイク』の飴村乱数(あめむららむだ)役でしょうか。声優がラップをするという、声優業界にもアニメ業界にも新風を巻きこしたコンテンツですが、ぼく自身の役の幅を広げてくれたなと思います。

『ヒプシノスマイク』はオーディションだったんですけど、最初は違う役で受けていたんですよ。それが蓋を開けてみたら「白井さんはこの役でお願いします」と連絡がきて、それが乱数だった。

それまでクールでなお兄さん役を担当することが多かったから、最初は全然信じられませんでした。こんなに可愛いキャラクター、何かの間違いじゃないですか?って。

──ラップをするということも含めて、演じること自体がとても難しそうです。

自分の中の限界値の可愛さやあざとさを凝縮させつつ、その上でさらにラップをしないといけないという二重の難しさがありました。

HIPHOPやラップミュージック自体は昔から好きだったので馴染みがなかったわけじゃないんですけど、それを役に落とし込むのは初めての挑戦で。ただ、大変だという気持ちよりも、楽しさや面白さが断然勝っていました。

目標はいくらでも更新されていくもの

──『ヒプシノスマイク』『アイドリッシュセブン』も、リアルな場でのライブを開催するなど、白井さんの活動の領域も広がっていますよね。

最初のころはキャラクターとして舞台に立つことにも難しさを感じていました。今思えば、プロとしての認識が甘かったなと思います。

でも、場数を踏んでいくうちに「このキャラクターだったらどんな動きをするかな」「どんな表情で歌うかな」というのが自然と考えられるようになっていきました。奥深い世界なので、まだまだ勉強中ですが。

──声優になるという夢を叶えて、そして今白井さんは業界の第一線で活躍する存在となりました。「やりきってしまった」ということはないですか?

目標はいくらでも見つかるんです。声優に成り立てのころはオーディションになることが目標だったし、そのあとはずっとアニメの主役のオーディションに受かることを目標にしていました。

ありがたいことにアニメの主役をさせていただく機会ももらったのですが、やっぱりそこでは終わらないんです。もっと話題のヒット作に出演したいとか、ロボットアニメに出演してみたいとか。

ぼくが声優を目指した最初の動機は「アニメの世界に入りたい」というものでしたが、今はアニメ以外にも吹き替えやドラマCD、ナレーション、ラジオ、ライブなど、活動の幅は多岐に渡ります。声優さんがTVのバラエティ番組に出ることも普通になってきました。

だから、目標はいつまでたってもなくなりません。ぼくの夢はまだ全然叶っていないんです。

(文:石澤萌 写真:小池大介)

※皆さんからの仕事の質問・相談に、白井さんにご回答いただきました。後日、連載「もやもや お仕事ポスト」にて掲載予定です。更新情報は、はたわらワイド公式Twitterでお届けします!

※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。

112

あなたにおすすめの記事

同じ特集の記事

  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る
編集者・プランナー・ライター石澤萌
合同会社sou代表。1992年、東京生まれ。大手広告代理店で営業を経験したのち、カルチャーメディア「CINRA.NET」編集部に所属。記事制作と並行して商業施設や消費財メーカー等のPR企画プロデュースを担当。その後独立し、編集者/ライター/プランナーに。一人ひとりのあらゆる状態や感情を肯定できる人でありたい。趣味は漫画・アニメ、ひとり旅、Podcast。

人気記事

日本で最初のオストメイトモデル。“生きている証”をさらけ出して進む道
スタバでも採用された「最強のカゴ」。老舗工具箱屋が、アウトドア愛好家から支持を集めるまで
SNSで話題沸騰!『おたる水族館』の、人びとを笑顔にする“グッズ開発”の裏側
自分で小学校を設立!北海道で“夢物語”に挑んだ元教師に、約7,000万円の寄付が集まった理由
「歌もバレエも未経験」だった青年が、劇団四季の王子役を“演じる”俳優になるまで
  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る
編集者・プランナー・ライター石澤萌
合同会社sou代表。1992年、東京生まれ。大手広告代理店で営業を経験したのち、カルチャーメディア「CINRA.NET」編集部に所属。記事制作と並行して商業施設や消費財メーカー等のPR企画プロデュースを担当。その後独立し、編集者/ライター/プランナーに。一人ひとりのあらゆる状態や感情を肯定できる人でありたい。趣味は漫画・アニメ、ひとり旅、Podcast。

人気記事

日本で最初のオストメイトモデル。“生きている証”をさらけ出して進む道
スタバでも採用された「最強のカゴ」。老舗工具箱屋が、アウトドア愛好家から支持を集めるまで
SNSで話題沸騰!『おたる水族館』の、人びとを笑顔にする“グッズ開発”の裏側
自分で小学校を設立!北海道で“夢物語”に挑んだ元教師に、約7,000万円の寄付が集まった理由
「歌もバレエも未経験」だった青年が、劇団四季の王子役を“演じる”俳優になるまで
  • バナー

  • バナー