「“ただの”人、なんていない」田中元子さんが喫茶ランドリーにかけた、自分らしくなれる魔法

2021年12月13日

東京の両国駅から徒歩10分。マンションが建ち並び、人通りが少なくひっそりとした住宅街の一角に、「喫茶ランドリー」はあります。

2018年1月にオープンしたこのカフェは今、新しいまちづくりを実現する拠点として注目を集めています。全国に6店舗のフランチャイズを構え、さらに新店舗の計画も進んでいます。しかし、最初は想定外の船出でした。

喫茶ランドリーのオーナーで、「1階づくりはまちづくり」をモットーに掲げる会社「グランドレベル」の経営者を務める田中元子さんは、笑顔で振り返ります。    

「この場所でカフェをやることになり、いくつもカフェをやってる実業家の友達に、一緒にやらない?って声をかけたら、『こんな人通りの少ない場所でお店をやる人いないでしょ』って言われたんです。でも、すでにそのころはビルのオーナーさんも不動産屋さんもカフェをやるということで合意して動いていたから、今さらやめますとは言えない状況でした。それで、もう仕方なく、私が一人でやることにしたんです。不安しかなかったですね(笑)」

田中さんが「引くに引けなくなって」オープンした喫茶ランドリーに、いったいなにが起きたのでしょうか。キーワードは、田中さんが目指した「私設の公民館」。    

18歳で「第2の人生」の幕が開ける

1975年、茨城県で生まれた田中さん。小学校に上がる時、父親が水海道市(現在の常総市)で病院を開業し、18歳までその町で過ごしました。今はとても明るくフレンドリーな雰囲気の田中さんですが、高校時代までは「いつもびくびくして、人の顔色を見ている子」でした。

「親は私が医者になることしか望んでいなくて、ほかの夢を持つなんて許さないという感じだったんですよ。一度、『将来は、"天声人語"を書く人になりたい』と言ったら、『なに言ってんだ!』と怒られましたからね。また、兄からは高校に入るまで暴力を受けていました。だから家族の誰とも仲が良くなかったし、ほんと、高校までの記憶が薄いんです」

大学受験では、親の求めに従って地方の大学の医学部を受験し、合格しました。しかし、「自分が本当にやりたいことではないし、半端な状態で将来が決まっちゃうのが怖い」と、その大学には進学せず、予備校に行くという建て前で上京。

「親には『予備校に行くから』と言って東京で住む家を探し、実際に東京に来てからは、身を隠すためすぐに違う家に引っ越しました。パチンコ店やマージャン店でアルバイトをしながら、一人暮らしを始めたんです。家族から逃げて、第2の人生が始まったのが18歳の時ですね」

フリーターの生活は、決して楽ではありませんでした。それでも、好きな人ができて一緒に暮らすようになると、物心ついてからはじめて心安らぐ時間を過ごすことができ、”満ち足りる”という気持ちを知りました。

「お金もめちゃめちゃカツカツだったし、将来の夢とか希望もなかったけれど、本当に幸せだったな。人のことを信じてもいいんだとか、夢、希望、お金、そういうものがなくてもこんなに幸せでいられるんだってわかった時間でした」

たまたま手に取った本で建築に出会う

このころ、田中さんは「デザインやグラフィックがかっこいい本」を読むのが好きで、書店でよく立ち読みをしていたそうです。ある日、たまたま手に取った本を開くと、世界のおしゃれな建築物がたくさん掲載されていました。パラパラと眺めているうちに、ページをめくる手が止まらなくなっていたといいます。    

田中さんが建築にはまるきっかけになった、スペインの建築家 カンポ・バエザの作品集

「すごくかっこいいし、めちゃくちゃ面白い!」

この本をきっかけに、建築に興味を持った田中さん。しかし、アルバイト先にも、周囲にも建築の話をできる仲間がおらず、寂しさを募らせました。そこで、「建築の話ができる人」を求めてインターネットの某掲示板に書き込んだところ、建築好きがその掲示板のスレッドに集まってきて、一つのコミュニティになっていきました。

1999年、そのコミュニティのオフ会で知り合ったうちの一人が、大学の建築学科に通う大西正紀さんです。二人はすぐに打ち解け、大西さんの大学に遊びに行くようになった田中さんは、建築学科の教授や大西さんの同級生などに話しかけ、建築を語れる友人をどんどん増やしていきました。大西さんはその後、公私ともに田中さんのパートナーになり、二人でさまざまな活動を企画することになります。

この時期、もう一つ大きな出会いがありました。田中さんが東京の表参道の歴史的建造物「同潤会青山アパートメント」の保存再生運動「DO+」を主宰していた時に、ある建築専門誌の記者がその取材に訪れます。その際「建築が好き」と話したところ、「うちで何か記事を書いてみる?」と声をかけられたのです。

建築に惚れ込んで以来、「こんな素敵な分野に少しでも関わることができたらなあ」と考えていた上に、子どものころ、「『天声人語』を書く人になりたい」と夢を抱くほど「書くこと」が好きだった田中さんにとって、記者の提案はこれ以上ないオファーでした。これが縁となって、田中さんは建築系のライターとして活動を始めることになりました。

新しい「趣味」に目覚める

仕事の依頼の多くは、建築家やデザイナー、建築関係者へのインタビュー。田中さんには専門知識がなかったけれど、ハンデにはならなかったそうです。

「建築業界の人はアカデミックで頭が固いイメージがあると思いますが、みんな優しいんです。だから、私みたいな高卒のライターが来て、そんなことも知らないのっていうような基礎的な質問をしても、むしろ面白がっていろいろ教えてくれてたんですよ。たくさんの建築家やデザイナーと知り合えて、超刺激的でした」

ライターとして活動をしているうちに、「建築の分野はアカデミックな上に専門的な情報が多すぎて、建築の面白さと大切さが一般の人に伝わっていない」と感じた田中さんは、2004年、大西さんと一緒に建築やまちの楽しさを一般の人々に伝えることを目的にしたクリエイティブユニット「mosaki(モサキ)」を結成。建築コミュニケーターと名乗り、取材、執筆に加えて、イベントやワークショップの開催など活動の幅を広げていきました。

こうして世の中に建築の魅力を伝える仕事にやりがいを感じていた田中さんですが、2013年に、新しい「趣味」に目覚めます。mosakiの事務所にバーカウンターを作り、友人知人、仕事の関係者にお酒を振る舞い始めたら、それがあまりにも楽しくて、病みつきになってしまったのです。    

「若いころにつらい経験があったせいか、私は人のことを愛したいという気持ちが強いのね。でも、いきなり『あなたのことを愛してます』と言ったら、どうしたのってなるじゃないですか。それが、お酒を振る舞って、『どうぞ』という言葉に愛を載せると、自分の気持ちをうまく伝えられている気がしてうれしかったんです」

「私、初めてコーヒー飲むんです」

そのうちに、「こんなに面白いことを、限られた空間だけでやっていちゃダメだ」という想いが募り、2014年、手作りの屋台で町に出て無料でコーヒーを振る舞う「パーソナル屋台」を始めました。すると、それまで他人、大衆、市民というまちの景色や記号でしかなかった人たちの顔が見えるように。それは、田中さんにとって「最高!」の体験でした。

「私は知らない人に対して何も期待していないから、特にリアクションがなくても傷つきません。お礼も言わずに何人前作ってよって言う人がいたら、『こんな人、本当にいるんだ!』と驚くだけだし、でもありがとうって言われたら『ありがとうって言ってくれた』とうれしくなる。すべてが新鮮で、楽しかったんです。ひとり、ひとりが宇宙人みたいに、自分とはまるで違う存在だと思うと、ワクワクしました」

田中さんには、忘れられないお客さんがいます。ある日のこと、高校生の女の子が少し緊張した様子で近づいてきて、こう言いました。

「私、初めてコーヒー飲むんです。だから、なるべく苦くなく作ってください」

「この子の人生の『初めて』になれた!」という興奮は、何ものにも代えがたかったと言います。

このパーソナル屋台をさまざまな場所で開くうちに気付いたのが、「1階の重要性」。たとえば、1階に人を惹きつけるような店があると、人はそこに興味を持って足を止めたり、店に入ったりします。しかし、1階に面白みがない通りでは、人はただ歩き去っていくのみ。「屋台を出しているだけで道行く人たちが興味を持って近づいてきてくれるのだから、町の1階が良くなればもっと面白い世界になる!」と感じました。

「1階づくり」に特化して起業

2016年、この発見をまちづくりに活かすために、大西さんと一緒に「1階づくり」に特化した会社「グランドレベル」を設立しました。当初、共感してくれる人は少なかったそうです。

「さんざん、バカにされましたよ。それ、どんなビジネスモデルなのとか、誰がお金だすのとか、めっちゃ言われました。ひどいよね(笑)」

それをものともせず、「1階づくり」についてあちこちで熱く語っていたら、あるビルの持ち主から、もともと手袋の梱包作業場として使われていた1階スペースの活用法について相談を受けました。

その時に頭に浮かんだのは、以前デンマークのコペンハーゲンで立ち寄った「ランドロマット カフェ」のイメージ。店の隅に洗濯機が置いてあるそのカフェには、高齢者も家族連れも若者もいて、それぞれがリラックスしながら、時間を共有していました。その様子を見て、いろいろな人が集まる「公民館」を思い浮かべた田中さんは、「この風景が日本にも欲しい」と感じていたのです。相談を受けた田中さんは、この「ランドリーカフェ」を提案しました。それが今の喫茶ランドリーです。

ただし、最初はコンセプトや設計を担当して、カフェの運営については事業者を誘致するつもりでした。ところがひとけのない住宅街の裏通りという立地のせいでそれがうまくいかず、やむを得ず自分で経営することになったという流れは、冒頭に記した通り。

しかも、準備段階から躓いてしまいます。資金が足りず、コイン式の洗濯機を導入できなかったのです。「これじゃあ、ランドリーカフェにならない……」と頭を抱えた田中さん。そんな時に、店の設計を依頼した旧知の建築家が言いました。

「あなたはコインランドリー業をやりたいわけじゃなくて、公民館的な寄り合える場所を作りたいんでしょう。いろんな人が来てくれるきっかけが欲しいだけなら、コイン式にこだわる必要ないんじゃない?」

「確かに!」 開業を諦めかけていた田中さんは、この一言が「私の人生を変えた」と言います。

再びのフリーコーヒー

ランドリースペースには、コイン式ではない業務用の洗濯機を入れることを決めました。さらに、ミシンやアイロン、裁縫箱や編み物道具なども置いて、その一角を「まちの家事室」と名付けました。

内装や食器にもこだわりました。意識したのは、格好よくし過ぎないこと。緊張感のあるおしゃれカフェでは、お客さんが気軽に入って来れません。どんな人もくつろげるように、「人が和む雰囲気だけど、ださすぎない空間」を追求しました。

2017年12月、喫茶ランドリーのプレオープン。数日後、田中さんは「やばいものに手を出しちゃった……」と青ざめていました。まったくお客さんが来なかったのです。もともと観光客が足を踏み入れる場所ではなく、ターゲットは地域の住人。でも、マンションの裏手に面して人通りの少ない場所だから、住人にも存在を知られていませんでした。そこで田中さんは、大胆な行動に出ます。道行く人たちに声をかけ、無料でコーヒーを振る舞い始めたのです。

「お金はいらないから、お店の中でコーヒー飲んでいってくださいね」

パーソナル屋台で培った警戒心を抱かせない振る舞いには、自信がありました。そうして少しずつお客さんを呼び込んでいきました。

「1回でも座ってコーヒー飲んでもらえれば、きっとお客さんになってくれると思っていました。そのぐらいお店の空間やコンセプトには自信があったので、最初の1回、お店に入ってもらうためのフリーコーヒーでした」

結局、プレオープンの2週間、ほとんど無料でコーヒーを出し続けました。もちろん、リピーターも歓迎しました。するとある日、お客さんの一人から「そろそろお金取ってよ、来づらいじゃない」と言われたそうです。それまでは別の仕事もしながら不定期で営業していたのですが、この時ようやく、お金をいただく形での通常営業を始めようと思うことができました。

「想定外の出来事」を待ち望む

2018年1月5日、「どんなひとにも自由なくつろぎ」というコンセプトで喫茶ランドリーはグランドオープンしました。プレオープンの時にふるまったフリーコーヒーの効果は抜群で、お店にはすでに顔なじみになっている近所の人たちが足を運んでくれるようになりました。

喫茶ランドリーは、スペースが4つに分けられています。半地下のモグラ席、いわゆる一般的なカフェのようなフロア席、6名から8名がけの大きなデスクがあるコワーキングスペース、そして「まちの家事室」。それぞれレンタルスペースとしても貸し出していて、基本的になにをやるのも自由です。

お客さんたちは、最初は遠慮がちに、次第に大胆に喫茶ランドリーを活用し始めました。「まちの家事室」では、ミシンが得意なお客さんが講師役を務めるワークショップが開かれるようになり、コワーキングスペース用のデスクは、「みんなでパンをこねるのにちょうどいいテーブルだね」と、近所の女性たちが集まってパン生地を作りました。

最近では、「普段聴く機会の少ないマリンバを、気軽に見て・聴いて・体験してほしい」というマリンバ奏者が3日間、まちの家事室をレンタルし、マリンバを置いて演奏をしたり、お客さんに楽器を触ってもらったりという催しも。

「うちにたまに来るお客さんがスチールパンも弾けるミュージシャンで、マリンバとセッションを始めたんですよ」

店内には友人が持ってきたLPレコードや、田中さんとスタッフ、さらにお客さんが着なくなった古着が売られ、常連の絵本コーディネーターがセレクトした絵本も並びます。取材の日は店内で写真の展示が行われていましたが、これもお客さんが写真家だと知って開催が決まったそうです。

「つまらない事務室のような空間にいると、遊び心って湧いてこないじゃないですか。この店が、誰かにとってやりたいことができる場になれたらっていうのはすごくあったし、インスパイアできたらいいなと思ってます。喫茶ランドリーは私にとって実験なので、想定内の出来事だけで終わるぐらいなら、やらなくていい。想定外の出来事が起きることが楽しみだったので、こういうカオスすぎて手に負えない状態になって、本当に幸せです」

「実験」は続く

田中さんが求める「想定外」は、スタッフにも起きています。以前からの友人で、調理師免許を持っている女性にメニュー開発を任せたら、カレーがおいしいと評判になり、雑誌から取材を受けるほど評判に。料理人として雑誌に掲載されたその女性は「ただの主婦だったのに、こんな人生になるなんて」と言ったそう。その女性にとっても、喫茶ランドリーに携わったことで予想もしなかった人生が動き始めています。

「『私なんて、ただの』って枕詞を付けがちじゃないですか。でも、ただの人なんていないんです。『あなたが調子に乗って、良かれと思ったことを精いっぱいやることが大事で、あなたにしかない人生を生きることが一番会社の財産になるからね』ってスタッフに伝えています。悪いところは片目というよりほとんど両目をつぶって見ないことにして(笑)、できることを褒めて浮足立った状態にしておいた方が見ていてうれしいですよね」

田中さんが作り上げたのは、お客さんがたくさん来て儲かるカフェではなく、お客さんもスタッフも活き活きと自分らしくいられる「私設の公民館」。現在、“理念のフランチャイズ”と称し、依頼を受けては、さまざまな施設をプロデュースする形で、そのスピリットを全国に展開しています。たとえば北海道・帯広で財団法人とかち財団が運営している創業支援を目的としたスペース「LAND(ランド)」では、役場から出向してきているスタッフがYouTuberになり、地域の情報発信を始めています。

味や接客で心を動かすカフェは全国に数あれど、自分のやりたいことを見つけ、殻を破るきっかけとなり、その舞台にもなるように設計されたカフェはほかにありません。その魅力とポテンシャルに惹かれた自治体や企業から、続々と相談を受けるようになりました。これが、開業から4年で全国に10の“理念のフランチャイズ”を展開するようになった理由です。

田中さんが喫茶ランドリーを開業する前から口にしてきた「1階づくり」という言葉も、田中さんが関係しない建築のプロジェクトでよく目にする言葉になりました。田中さんが手掛けた「1階づくり」が街を活性化させているだけでなく、拡散した「1階づくり」というコンセプトが日本のさまざまな街を少しずつ変えようとしているのです。「実験」の成果が見えた今、次になにを目指すのでしょうか?    

「パブリック屋台みたいに、まっさらな他人と接することが私は大好きなんですけれど、いろんな人にその面白さを知ってもらいたいですね。これから人口が減少するから、他人がそこにいるということ自体がありがたいことになると思います。それなら他人を警戒するより、ポジティブに向き合える環境を作ったり、向き合う術をもっと探していきたいですね」

まだまだ実験が続きそうですね?というと、田中さんはニッコリとほほ笑みました。

「そうですね。人間のことはわかりきらない。だから最高に楽しいです」

(文:川内イオ 写真:玉村敬太)

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稀人ハンター川内イオ
1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に伝えることで、「誰もが稀人になれる社会」の実現を目指す。
近著に『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(2019)、『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(2020)。

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