夏目漱石は“引きこもり”だった?なじめない環境で下した決心とは

2020年12月21日

現代に語り継がれる偉人たちにも、私たちと同じように悩み、もやもやしていた時期があるもの。そんな偉人の等身大の姿から学ぶ『実は完璧ではなかった偉人の裏話』。第一回目は明治の文豪、夏目漱石(なつめ そうせき)に迫ります。

明治の文豪、夏目漱石の“もっとも不愉快な2年間”

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』を代表作に持つ日本の小説家、夏目漱石(なつめそうせき)。明治の文豪として、かつては千円紙幣の肖像になり、一部では「I love you」を「月がきれいですね」と訳したとも言われています。(若いとき、意中の人に「月がきれいですね」とメールを送り、意味が通じず失敗した経験がある人もいるのではないでしょうか? )

漱石は大学予備門で、ほとんどの教科で主席になるほど優秀でした。中でも得意だった英語を活かし、東京帝国大学英文学科へ入学。卒業後は中学と高校の英語教師を経て、英国に留学しました。

そして帰国後、東京大学の講師になり、『吾輩は猫である』を雑誌『ホトトギス』に発表。その後、『坊っちゃん』をはじめ、数々の作品を執筆しました。経歴だけ見れば、文句なしの偉人。

しかし、漱石にも人には言いたくないような過去があったのです。それは、英国留学中の出来事──。

夏目漱石は “引きこもり”だった!?

英語を得意としていた漱石。大学では教授から依頼されて『方丈記』を英訳するほどその英語力を認められていたそうです。

その後英語教師として活躍していた折、文部省から英語研究のため英国留学を命じられ、イギリスへと渡ります。このとき漱石は33歳。もともと精神的に強くはなかったと言われる漱石ですが、妻や子どもを松山へ置いて、一人で留学へ行くというのはさぞ不安だったことでしょう。

案の定、イギリスでの生活には馴染めず、はじめは勉学に励んでいたものの、日本で英語教師をしていた漱石の英語は現地でまったく通じなかったそうです。

当時は、英語学習に必要な録音機器も発達しておらず、ネイティブの発音や会話を学ぶのが困難だった時代。いきなりイギリスに渡り、ネイティブと話さなければならないのは、たしかに難しかったのかもしれません。また、国からもらったお金だけでは足らず、貧しい生活をしていたと言われています。

そうした不安感を『文学論』の序論でこう記しています。

“倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。”

(倫敦に住み暮らした二年は、最も不愉快の二年です。私は英国紳士の間にあって、狼の群れに肩をならべる一匹のむく犬のように、あわれな生活を営みました。)

『文学論』「序」

慣れない異国で孤立し、貧しい生活を強いられていた漱石。そんな状況が続き、漱石は部屋から一歩も出なくなってしまいました。今風に言うと、”引きこもり”です。

みなさんも、大なり小なり、似たような経験があるのではないでしょうか?

夢にまで見たキャンパスライフ。サークルに入って大学生活をエンジョイしようと思ったら、なかなか友達ができずまわりに馴染めない。新卒で入社した職場。同期に差をつけるためバリバリ仕事をしようと思ったらまったく結果が残せず、自分の居場所を見つけることすらできない。

人間誰もが新しい環境に順応しようと努力すれば、大きなエネルギーを必要とします。やる気があっても、自分の力だけではどうにもならないこともあります。そんなとき、程度の差はあれ心身ともに引きこもりがちになってしまう……。

人生を変えた、発想の転換

日本では認められた英語能力も現地では通用せず、貧しい暮らしの末、引きこもりになってしまった漱石。

その引きこもり度合いは、毎日閉じこもって泣いているのを心配した下宿先の主人が友人に相談し、日本にも「漱石狂せり(漱石が発狂した)」との噂が広まるほど。

では引きこもっている間、彼は何をしていたのでしょうか?

“余はこゝに於て根本的に文学とは如何なるものぞと云へる問題を解釈せんと決心したり。”

(私は、ここにおいて、根本的に文学とはいかなるものと言う問題を解釈しようと決心しました。)

『文学論』「序」

留学中、自分が日本で学んできた文学と英文学との違いに気付いた漱石は、「根本的に文学とは何かという問題を解釈すると決心」という言葉を残しています。この決心が、漱石の文学を花開かせることになるのです。

環境に適応するのではなく、発想を逆転させた漱石。留学中は人との接触を絶ち、現地の本を読みふけり、「文学とは何か」「自分と自分以外のものは何か」を研究していきました。

帰国後、知り合いから「衰弱した精神を和らげるために小説を書いてみないか?」と勧められた漱石は『吾輩は猫である』を執筆し、発表。その後、『倫敦塔』や『坊っちゃん』など立て続けに作品を発表し、小説家としての地位を向上させていきます。

漱石の代表作の一つに、『坑夫』という作品があります。炭鉱という閉鎖的な世界で主人公自身が変わっていくさまが描かれているこの小説には、以下の一節が記されています。

“暗くなったところを又暗い方へと踏み出していったら、遠からず世界が闇になって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。”

『坑夫』

漱石に坑夫の経験はありません。しかし、暗く息苦しい地底で精神的に落ち込み、そこから試行錯誤のうえ地上に戻っていく姿の描写には、静かな迫力が感じられます。留学中の引きこもりと、帰国後に小説家として日の目を見る経験があったからこそ、漱石はこのような描き方ができたのかもしれません。そしてこの作品もまた、多くの人の心を打ち、今なお読まれ続ける作品になりました。

たしかに、漱石は留学先でうまく生活を送ることはできませんでした。しかし、その経験がなければ、明治の文豪・夏目漱石は誕生しなかった可能性もあります。

漱石ほどの偉人でも、環境の変化は心理的に大きなストレスでした。もしあなたが自分の置かれている状況に馴染めず悩んでいたら、漱石が英語教師から小説家になったように、視点を変えてみるのもありかもしれません。ただ頑張るだけではなく、ふとした瞬間に立ち止まって自分の気持ちを書き留めたり、自分自身が置かれている状況を客観視してみてみるのも良いでしょう。

そうして自分のことが分かってきたら、場合によっては、環境を変えるというのも一つの選択肢です。仕事の変化が人生の変化につながり、もしかしたら、漱石のようにポジティブ思考への転換のきっかけになるかもしれません。

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フリーモデル/ライター大川竜弥
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