批判の中、信念を貫いた与謝野晶子の人生。あの代表作に見る信念とは

2020年12月21日

現代に語り継がれる偉人たちにも、私たちと同じように悩み、もやもやしていた時期があるもの。そんな偉人の等身大の姿から学ぶ『実は完璧ではなかった偉人の裏話』。第二回目は明治の歌人、与謝野晶子(よさのあきこ)に迫ります。

与謝野晶子は明治版“インフルエンサー”だった?

与謝野晶子は近代歌壇を代表する歌人で、その代表作には『みだれ髪』や『君死にたまふことなかれ』があります。

「情熱の歌人」と呼ばれ、現代詩において多大な影響を与えたほか、晩年は女性問題,社会問題などの評論でも活躍し、女性の社会的権利を求めた文化人でもあります。そうした与謝野晶子の多彩で真摯な活動は現在、文学面だけでなく教育・言論界など多方面から高く評価されています。

そんな晶子のデビューのきっかけは雑誌への短歌の投稿です。晶子はその投稿が編集者の目に止まり、出版にいたりました。現代風にいえば、インフルエンサーのようなものでしょうか。現代も似たような流れがあり、Twitter、Instagramなど、SNSへの投稿が評価された結果、インフルエンサーとなり、本を出版するケースも少なくありません。

そして、SNSで人気を集めた後の展開としてままあるのが、インターネットでの炎上。インフルエンサーとして人気を集めると、それまで著者を知らなかった層が一斉に叩きはじめる。いわゆる、アンチの発生です。

実は与謝野晶子も『みだれ髪』を上梓後、各方面から批判を受けることになります。現代では炎上やアンチが理由で、SNSのアカウントを削除してしまったり、活動自体を自粛してしまう人もいますが、与謝野晶子はどのようにして乗り越えたのでしょうか?

与謝野晶子は女性の恋バナが許されない時代に“恋愛ポエム”を詠んだ

まず、与謝野晶子がインフルエンサーとなり、炎上するまでの過程を振り返っていきましょう。

明治28年(1895)ごろから、雑誌に短歌を投稿するようになった晶子。一方、後に夫となる鉄幹は明治32年(1899)に文学結社「東京新詩社」を結成し、翌年に『明星』を創刊。『明星』に短歌を投稿するようになっていた晶子は鉄幹と出会い、明治34年に結婚します。これが2人の馴れ初めです。

同年、晶子は処女作として、鉄幹との恋を大胆に歌った『みだれ髪』を上梓します。風邪をひいた鉄幹にあてた有名な作品をいくつか紹介しましょう。

病みませるうなじに細きかひな巻きて熱にかわける御口を吸はむ

(あなたの首に腕をまき、熱で乾いた口を吸ってしまいたい)

『みだれ髪』

みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてぬませの君 ゆりおこす

(乱れた髪を、京風の島田(日本髪の髪型)に結い直して 朝まだ寝ていてくださいと言ったあなたを 私は揺すって起こします)

『みだれ髪』

うつくしき命を惜しと神のいひぬ願ひのそれは果してし今

(命と引き換えにでも叶えたかったこの恋。その美しい命を惜しいと神様が言ったから願いが果たされて今がある)

『みだれ髪』

現代の若者は、「キスしたいならすればいいじゃん」と思うかもしれません。しかし、当時は女性は奥ゆかしい振る舞いや言動が好ましいとされた時代です。直接的な恋愛表現を歌った晶子の『みだれ髪』は若者の心をつかみ、大ヒット。『みだれ髪』が掲載された『明星』は売れ行きを伸ばすことになります。

その影響力は凄まじく、晶子の歌を模倣した詩が新聞歌壇には多く投稿されました。なんと、その中には有名な詩人である石川啄木や北原白秋、萩原朔太郎もいたのだとか。

しかし同時に、『みだれ髪』の表現には「下品だ」「わいせつ行為だ」と、批判も多く浴びせられました。
中でも批評家の鮮張生は

「此一書はすでに猥行、醜態を記したる所多し、人心に害あり、世教に毒あるものと判定するにはばからざるなり(この本はわいせつ行為、醜態を書いているところが多く、人の心に害があるし、世の中の教えに害があると判断せざるをえない)」

と手厳しい評説を残しています。

多くの非難を受けても、ありのままの自分の気持ちを発信し続けていた

『みだれ髪』の発表により、批判を受けた一方、多くの支持者も得た晶子。晶子はその後も、批判を恐れず、ありのままの自分の気持ちを歌うことに努めました。晶子の代表作としても広く知られる『君死にたまふことなかれ』では、そんな晶子の揺るぎない創作への信念が伺い知れます。

あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ、末に生れし君なれば親のなさけはまさりしも、親は刃をにぎらせて人を殺せとをしへしや、人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。

(ああ弟よ、あなたのために泣いています。弟よ、死なないで下さい。末っ子に生まれたあなただから親の愛情はたくさん受けただろうけど、親は刃物を握らせて人を殺せと(あなたに)教えましたか?人を殺して自分も死ねといって24歳まで育てたのでしょうか?)

『君死にたまふことなかれ』

戦時体制下の発言が難しい時代に、この詩は物議をかもしました。そんな非難の声を物ともせず、その7年後の明治44年(1911年)に晶子はこんな詩を発表しています。

一人称にてのみ物書かばや われは女ぞ 一人称にてのみ物書かばや われは われは

(一人称だけでものを書いていきたい 私は女だから。私は女だから。)

『そぞろごと』

『そぞろごと』で晶子は、自分の言葉で表現し、自分の思想を確立することの大切さを歌いました。その後、晶子は婦人参政権を訴え『婦選の歌』を制作。その歌は山田耕筰によって作曲され、第一回全日本婦選大会で披露されるにいたりました。

時代の流れに左右されず、自己開示をし、率直に抱いた自分の想いを歌ってきた晶子。思えば生きるスタンスは『みだれ髪』のころから一貫しているように思えます。

心が折れそうなときこそ、“自分を信じる気持ち”と“客観視する姿勢”を忘れずに

『みだれ髪』で赤裸々な恋心を詠み、批判も受けた晶子。しかし、批判に屈することなく信念を貫いた結果、“強い女性像”が多くの人の共感を集めたのです。

晶子の姿勢から学べることは、自分の意見が批判されても間違っていないと思ったら押し通すこともときには必要ということ。企画書が通らなかったり、前例のない提案は忌避されたり、ビジネスシーンでは想いが形にならず心が折れそうになる瞬間が多々あります。

しかし、自分が間違っていないと思ったら、相手の理解を得られるまで真摯に向き合い、ときには戦うことも必要です。そうすることで、いずれ共感してくれる仲間が増えていき、自らの想いを遂げられるようになるかもしれません。

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