解体が検討されるニュー新橋ビルの50年に触れたら、「はたらく」ってことが少しだけ分かった

2021年12月20日

50年間、はたらく人に寄り添ってきた「サラリーマンの聖地」

大きな黒い蒸気機関車のモニュメントの脇をスーツ姿のビジネスパーソンが忙しく往来する──。そんな新橋駅前のいつもの風景の傍らで、変わらず新橋のシンボルとして建っているビルがあります。それが「ニュー新橋ビル」です。

昭和の趣が感じられるレトロなビルに一歩足を踏み入れると、そこはちょっとした異空間。定食屋、居酒屋、喫茶店、マッサージ店、薬局、たばこ店、ジューススタンドなどなど。業種、時代、国籍、あらゆるものが混在した無秩序は、雑然としていながらどこか親しみも感じられる不思議な空間です。

昼休みのランチに仕事終わりの飲み会に、「サラリーマンの聖地」として長く愛され、今年で50周年を迎えたニュー新橋ビル。実はビルの老朽化に伴い、解体・再開発の話が進んでいます。

いくつかのメディアでは来年にも解体──という文字が踊りますが、多くの人たちの話し合いによって計画が決められるため、実際には何年後になるかはわからないそうです。しかし、解体することは既定路線。

古くからニュー新橋ビルに入居し、新橋のビジネスパーソンを見守ってきた人々は、今、何を思うのでしょうか?過渡期にある「サラリーマンの聖地」の地下1階に入居する2つのお店のオーナーに、お話を伺いました。

ニュー新橋ビルの歴史とともに歩んできた純喫茶

ニュー新橋ビルが建つエリアは、戦後しばらく青空市場(闇市)だった場所です。1971年、東京都が主導して再開発のためにニュー新橋ビルを建設し、一部の青空市場ではたらいていた人にもビルの区分所有権が与えられました。

その名残りもあって、ニュー新橋ビルは今も350以上のオーナーがそれぞれの区画を所有するという、独特な形態で運営されています。

それぞれのオーナーが自由にお店を出したり、貸したり、売却したりすることで、新陳代謝を繰り返しながら、独自の進化を遂げてきました。

「ビルの開業当初から入居しているお店はもう片手で数えられるくらい」と話すのは、『喫茶フジ』のオーナー、市原宏昭さん。

喫茶フジは、ニュー新橋ビルの竣工とともに開店した創業50年の純喫茶です。市原さんの父である前オーナーが、不動産業の傍ら営業をはじめました。

喫茶フジのオーナー、市原宏昭さん

「お店ができたのは、まだ私が6歳の時です。もうだいぶ昔ですし、当時の記憶はあまりないですが、小学校高学年の時にお店に設置されていたインベーダーゲームをやりたくて、遊びに来ていたのは覚えています」

社会人になり、会社員としてセールスの仕事をしていた市原さん。前オーナーの急逝により、2000年に実家の不動産会社とともに喫茶フジも引き継ぐことになります。「銀行印と実印の違いがわからないくらい、本当に右も左もわからなかった」という市原さんは、喫茶フジの営業を継続することに決めました。

「最初は、別に店を閉める必要もないし……ぐらいの感覚でした。ただ、喫茶フジは界隈では結構有名なんですよ。私の会社では不動産に関わるさまざまな事業をしているのですが、『喫茶フジを経営しています』と言うと誰にもわかりやすく、名刺代わりになるというのはメリットとしてありましたね」

喫茶店は“休憩する場所”から“はたらく場所”にも

平日はビジネスパーソン、土日は新橋の場外馬券場から流れてきた客で賑わっていたという喫茶フジ。市原さんが経営している中でも、少しずつ時代模様は変わっていきます。

「私が喫茶フジの経営に携わりはじめたのは2000年代に入ってからですが、それでもいろいろと変化はありましたよね。以前は喫茶店で仕事をする人はあまりいなかったんですよ。ビジネスパーソンがお店に来るのは、ご飯を食べにくるか、営業で外回りをしている人が仕事の合間にさぼりにくるか、どちらかでした(笑)。

でも、今はパソコンで仕事をしている人が本当に増えましたね。だからうちもフリーWi-Fiを導入したり、座席にコンセントを付けたりと、いろいろ工夫しているんです」

思えば、今では当たり前になったスマートフォンやモバイルパソコンがビジネスシーンに普及したのも2000年代から2010年代にかけて。いつでもどこでもはたらける時代になったことで、喫茶店はいつの間にか“休憩する場所”から“はたらく場所”としても、役割の幅を広げていったのです。

「あと、東京五輪のタイミングに合わせて禁煙・分煙の流れが来たのも大きな変化でしたね。その前はもう、店の中がたばこの煙でモクモクだったんですよ(笑)。

スモーキングコントロールのための都条例が出されて、2020年から完全分煙のための設備を導入したんです。

そうしたら、すごくお客さんが増えました。たばこを吸う場所がほかに少ないから喫煙者の人が来てくれるし、非喫煙者も、分煙だから安心して来店してくれる」

80年代や90年代の日本の映画を観ると、くわえタバコをしながら執務スペースで仕事をしている──、なんて描写があってドキッとすることがあります。当時は会議室にも灰皿が置いてあるのが一般的でした。

現在ではオフィス内の全面禁煙は当たり前のこと。隔世の感があります……。

意地でもずっと続けていれば、神風が吹く

少しずつ時代に合わせながらも、純喫茶としての形を守り続けてきた、喫茶フジ。市原さんの知り合いの同業者の中にはドトールコーヒーやスターバックスのようなコーヒーショップに業態を変えたところも多いそうです。

なぜ、市原さんは純喫茶にこだわるのでしょうか?

「私は、日本の文化も、古いものも、大好きな人間です。もちろん、フリーWi-Fiを設置したように、新しい物事へのアンテナは張っているんですよ。でも、わざわざうちがスターバックスのようなシアトル系のコーヒーを出す必要はないし、喫茶フジは喫茶フジで良いと思っています。

たぶん、意地なんだと思います。ただ意地をはって、ずっと続けていると神風が吹くことがあるんですよ。そのチャンスは逃さないようにします。

あと、最近はビジネスマンのお客さんが少しだけ減ったと思ったら、純喫茶ブームみたいなのがあるみたいで、若い女性がよく来店してくれるんですよ」

“変わらない”ということは、短期的に見れば時代遅れにも感じられるかもしれません。でもさらにずっと“変わらない”と、それがオリジナリティになり、文化になり、価値になるのでしょう。

85歳の名物女将が語る、失われつつある日本の文化とは?

「50年、休まずこのお店に立ち続けていましたよ。もともとは田舎の百姓娘だからね、体が丈夫なのよ」

そう語るのは、御年85歳、現役で日本料理屋「秩父」の女将としてはたらく、千島よし江さんです。

秩父の名物女将、千島よし江さん

埼玉県白岡市で生まれ育ったよし江さんは、女学校を卒業後に銀座の松坂屋に就職。デパートガールとしてはたらいていたそうです。

「当時は松坂屋のデパートガールと言えば、そりゃ、なかなかのもんだったんだよ」とうれしそうに話す、よし江さん。銀座の街で、秩父の前身となるお店を経営していた旦那さんと出会い、結婚を機にお店を手伝うことになります。

そして、お店はニュー新橋ビルへの移転とともに「秩父」という屋号に改名。以来、よし江さんは50年にわたりニュー新橋ビルでその時代のビジネスパーソンたちを見守ってきたのでした。

若かりしころのよし江さん

「サラリーマンの方たちにも、よく使っていただきましたよ。仕事の話をしながらさ、昼間からお酒を飲んで接待するの。新橋ってそういう文化の街だったのよね。

浜松町が船着き場だったでしょ?だから、出稼ぎの船乗りが浜松町に着いて、それから新橋で飲んでから家に帰ったりしてたのよ」

飲み会や接待など、昭和のサラリーマンとお酒は切っても切れない関係。そんなお酒の席から見た時代の移り変わりを、よし江さんは次のように語ります。

「会社の上下関係ってあるじゃない?そういうのがだんだんと消えてきたような気がするね。昔は上司が『今日は飲みに行くぞ』なんていうと、若い人は喜んでついていってね。飲み食いで心をほぐしてから、会話の中で自然と社員教育をしてたのよ。

でも今は『今日は飲みに行くぞ』って言っても『急に言われても予定があります』なんて断られちゃうんだって。でもさ、会話がないと相手の心が分からないじゃない。相手の心を慮るのって、日本人の大事な感覚なのにね」

飲み会や接待の文化が失われつつあることを寂しげに話す、よし江さん。その背景には、銀座・新橋という日本一の飲み屋街の第一線で戦ってきた“女のプライド”があります。

「水商売って馬鹿にされたりもするけどさ。芸者だって、新橋芸者は会話からして違ったんだよ。品があって、教養があってさ。そういう会話の中でみんな勉強していたんだよね。

銀座も新橋もさ、昔はデートするときにはパンプスにロングスカートをはいて、そういうお洒落をしていったものだけど、今はちょっとカジュアルになっちゃったね、お店もそうだよ」

今ではどちらかと言えば庶民的なイメージのある新橋。その象徴であるニュー新橋ビルもまた大衆的なイメージがあることは否めません。

国籍も新旧もさまざまな事象が混沌としているからこそ魅力的にも感じるニュー新橋ビルですが、50年にわたり背筋を伸ばしてお店の品格を守ってきたよし江さんにとっては、そのことが少し悲しいようです。

出会う人の文化に触れることが、何より楽しい

今まさに解体・再開発の検討の只中にあるニュー新橋ビル。

秩父のよし江さんに、「ニュー新橋ビルの再開発後もお店に立ち続けるつもりですか?」なんて、お節介な質問をすると、次のような答えが返ってきました。

「私も85歳だから、正直先のことはわからないよ。でも、もしそのとき体が元気だったら、新しいニュー新橋ビルでまだまだやりたいっていう気持ちはあります。

でもまあ、今日は今日だから。おいしいもの食べてもらって、おいしいお酒を飲んでもらって。そこに自分の人生があれば、それでいいじゃない。

この仕事をしていて一番楽しいのは、毎日いろいろなお客さんに会えることなの。一人ひとりがみんな、それぞれの文化を持ってるじゃない。そういう人たちと会うのは、家でゴロゴロしているよりずっと楽しいのよ。それが自分のためになるのね」

きっとよし江さんにとって、はたらくことは手段ではなくて、それ自体が人生なのでしょう。

なぜ、人ははたらくのか。ニュー新橋ビルとともに人生を歩んできた2人のお話は、そんな日々の悶々とした問いにヒントを与えてくれます。

(文:ベリーマン 撮影:小池大介)

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