「見えない部分こそ手を抜かない」何百年後も残る技術を残すためにベテラン宮大工がしていること

2022年2月4日

新たな年の幕開けを感じるこの時期。過ぎた年に感謝し、新年がより良い一年になるようにと初詣へお寺や神社に足を運んだという人も多いのではないでしょうか。境内をよく見てみると、荘厳な門構えや木細工の精巧さ、それぞれのお寺や神社には個性と歴史があるもの。

こうした日本の伝統と木造建築の歴史や技術を後世に遺すべく、裏方として支えるのが宮大工と呼ばれる人たちです。吉川輔良さんもその一人。55年間培ってきた経験や哲学、そこから確立された仕事観を掘り下げるべくお話を伺いました。

これまでの歴史を伝える、伝承者としての役割

──まず始めに、宮大工とはどのようなお仕事なのか教えていただけますか?

ひと口に「大工」といっても、手がける建築によって専門分野も名前も変わってくるんですよ。家を作るのが家大工。お茶室を作る数寄屋大工、船を作るのが船大工。そして、お寺やお宮さんを作る我々は宮大工や堂宮大工と呼ばれています。

私たち宮大工は歴史的に培われてきた技術を元にして、お寺や神社を新たに設計したり、お祭りの山車や文化遺産の修繕・施工などをしています。特に我々宮大工の独自な職人技と言えるのが「継手(つぎて)」や「仕口(しぐち)」という、金属の釘などを一切使用せず、木を組み合わせていく技術。この技術は鉄器のなかった三内丸山遺跡のように、縄文時代から今日に続き、時代が経つにつれ複雑になり、進化しながら受け継がれてきました。まさに日本の伝統工法の継承と言えます。

たとえば、以下の動画の「四方差し車知栓継ぎ」は仕口の基本となる形の一つなのです。

ほかにも何十もの種類があって、それらを適宜、各場所で使い分けていくんです。建物の新築や修繕だけでなく、1,000年以上続くこの技を遺していかなくてはならないと感じています。

──伝統技術を後世につなぐというのは大事な仕事の一つなんですね。吉川さんは、なぜ宮大工という職業を選んだのでしょうか。

父が伐採の仕事をしていまして、器用な人だったので、趣味でよくいろいろなものを手作りしてくれました。その影響か、子どもの頃から私も一緒になってよく木工品を作っていましたし、祖母はお寺の娘だったので、今日社寺建築に携わっていることは祖母との何か不思議な縁を感じますね。

何十年後、何百年後も、宮大工の技術が残るように設計図がすべて丁寧にアーカイブされている

でも、「宮大工になりたい」と感じた一番の原体験は中学校の修学旅行です。訪れた先の奈良県や京都府でお寺や神社を目の当たりにした時、とても感動したのを覚えています。これが14歳のこと。15歳で中学校を卒業し、最初は家大工の師匠のところへ修行に行き大工の基礎を学びました。

給料なんてあってないようなものだし、休みも月に2回ほど。仕事の合間には親方の子どもの面倒をみたり、家の薪割りをしたりしていましたね。そんな時代だったんですよ。5、6年は下積みとして修行をして1年はお礼奉公(育てていただいたことのお礼として、月給の半分を棟梁にお支払いする制度)、7年ほどで基礎ができるようになり、その後宮大工として、3年はたらいて、10年目を迎えた節目に独立しました。

宮大工になりたいという確かな気持ちを糧に

──10年の修行はとても長いですね!修行期間ではどのような苦労があったのでしょうか?

15歳で大工修行に入り、まだ“素人”のときは3年間毎日毎日、鉋(かんな)と鑿(のみ)を研ぎ続けました。当時は研磨機なんてないので、手で一つずつ研ぎます。研磨機がある今日でも、見習いが研いでいるので、そこは今も昔も変わらないですね。大工の世界は縦社会が厳しいので、これも弟子の大事な仕事なのです。

それに、若手のころはとんでもない失敗もたくさんしましたね。建物の要である梁を切ってはいけない採寸のところで切ってしまったこともあります。こっぴどく怒られましたが、そこでは同じことを繰り返さないように意識して作業に取り組んでいくことが大事だと教わりました。

また、宮大工というのはとんでもない量の覚えることがあるんです。継手しかり、設計図の引き方にしても一番大事なのは、建物の様式や年代の歴史と系譜を学ぶということ。たとえば、お寺は宗派によってデザインが変わるので、古いものや文脈を知らないと、その先に繋がる新しい建物を作ることはできません。

お寺や神社には一つとして同じ部品はないので、一から考えて組み上げていくのは大変です。逆に、出来合いの部品を組み立てるような単純な仕事ではないので新しい発見の連続が楽しさでもありますよ。

自分なりに楽しさを感じたり、ものづくりが好きだったりしてこの業界で長い間やってこれましたが、体力的にも精神的にも厳しい世界なので辞めてしまう人の方が多いです。そんな中で一人前になるには辛抱強さも大事だけれど、同時に「物を作り、残していきたい」という真摯な想いこそ大事になるのだと思います。

──厳しい修行期間を経て、宮大工として初めて手がけた建物の話をお聞かせください。

10年の修行が終わったとき、25歳だった私が初めて一から作り上げた最初の建物が町田市にある園林寺の鐘楼堂です。私が修行時に作ったお寺の模型を見た住職さんが、「ぜひ鐘楼を作って欲しい」と言ってくれたんです。まだまだ私は半人前でしたが、こいつならやれるって思ってくれたのかもしれません。この時、何事も手を抜かずにやっていれば、見ていてくれる人がいて、ちゃんと自分の実績になっていくのだと感じました。大工は自ら売り込みにいくわけでもないし、こうして積み重ねていく一つひとつの建物が宣伝になっていくんですね。

吉川さんが初めて宮大工として手掛けた円林寺の鐘楼堂

──宮大工のお仕事は大きく分けて新築と修理があるとのことですが、それぞれどのような過程があるのでしょうか?

まず、新築の場合は使用する住職さんをはじめとした依頼主に設計図、概算の見積もり等を提案し、設計者としての要望をまとめ、説明を尽くして始めます。ちゃんと納得してもらい、契約してはじめて仕事にとりかかります。これも仕事の一つであり、大事な工程でもあります。そして設計図に基づき、木材の調達を始め、原木を見極める作業をしたのち、適材適所で製材していきます。

文化財修理に関しては、解体修理など既存の様式と仕様を確認し、修理においては既存古材をなるべく再利用しながら、元の姿に忠実に戻るように再建をはかります。

修理する際に解体を「ほどく」といい、これが一番技術の学びになります。

何百年前もの建物を解体するということは、当時の大工の技量を目の当たりにできるまたとないチャンスであり、まるでまるで技術のタイムカプセルのようなものなんです。

このように長い間、残る建築をこしらえた大工には感服しますね。特に印象に残っているのは、40代のころに解体した府中市片町にある高安寺観音堂。外からは見えない部分の隠された梁組みがとても綺麗で感動しました。

妥協なき職人技術と細部に宿る美学を受け継ぐ

──吉川さんが仕事に取り組む上で、大切にしている哲学はありますか?

私は見える場所は一番大事ですが、見えない部分こそ美しく組むことが大事だと思っているんです。美しいものって、見た目だけでなくちゃんと合理的にできていて、そこに強度も備わっている。だから見えない裏側の部分こそ手を抜かないことが大切だと思っています。宮大工の仕事によって生まれたものはこれから何百年と残っていくものです。その分、恥じないものを作りたいという気持ちは強いですね。一件一件の現場がまさに真剣勝負。同時に、自分の手で作ったものを遺していくという宮大工としての心意気でもあるかもしれません。

自分が解体作業をした時、昔の大工仕事に感動したように何百年か経って私の仕事をみてに同じような気持ちを持ってもらいたいものです。

──今後の展望をお聞かせください。

宮大工として今も現場に出るほかに、全国組織で日本伝統建築技術保存会の理事として伝統建築の技術を伝える活動をしています。長男と次男が宮大工として第一線にいるので、私の中では「継承」がキーワードになっています。技術面では息子や弟子に対して細部にまで目を向けて細かく指導しています。そうして、経験値を上げさせていくことが大事だと思っているので、かつて自分がそうだったように失敗しても良いので、なんでもやらせています。精神面では「恥じない仕事をしろ」と言い聞かせていますね。私の哲学や想いを伝えています。

──20代30代、キャリアや仕事に悩んでいる方に声をかけるとしたらどんな言葉をかけますか?

自分に向いてないと感じた仕事はいつまでも頑張る必要はないと思います。昔はそうもいかなかったですが、時代が変わってきて、はたらき方やはたらく人も変わりましたよね。若いときに色々な仕事を経験して、自分に合った仕事をやるべきだと思います。実はこの前辞めていった弟子がいるのですが、「大工に向いてない」と私が判断して辞めることを促したんです。本人も言ってもらって、ふんぎりがついたようでありました。その人の資質を見極め、導く上司がいることも大事かもしれませんね。

大工という世界で生きてきて、私が成長すると思うのは素直な人。そして、何事も憧れだけではうまくいかないのでセンスも大事です。しかし、長く続けて力をつけていくのに何より重要なのは、本当にこの仕事をやりたいという真摯な気持ちがあるかだと、私は思いますね。

(文/カンダマリン 編集/高山諒(ヒャクマンボルト) 写真/Ban Yutaka)

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ライター・編集者カンダマリン
ライター・編集者。1995年、東京都出身。カルチャー雑誌やメンズファッション誌の編集を経て、アートブックを扱う会社で働く。

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