ポーランド人が秋田でソーセージ作り!SNSで話題の“タベルスキ”さんの異国奮闘記

2022年11月1日

「どうも~、食べるの大好き、タベルスキ・マイケルと申します!」

秋田弁訛りの流暢な日本語で話すのは、ポーランド出身のタベルスキ・マイケルさん。一度聞いたら忘れられない名前です。現在、秋田県大仙(だいせん)市でソーセージやハムを製造する「IMI(アイ・エム・アイ)」の代表として活躍しています。

ポルミートの商品「スマイルソーセージ ハイチーズ」(画像提供:IMI)

「いぶりがっこソーセージ」、「醤油チーズフロマージュ」など、さまざまな味の種類がある同社のシリーズ「ポルミート」は、伝統的なポーランドのソーセージを、秋田の素材で再現。県内のスーパーで売られているこれらの商品には、マイケルさんの写真とともに「うマイケル」「サンキューベリーーマッチーズ!」などのダジャレが書かれてあり、そのクスッと笑えるパッケージがSNSで話題になりました。

秋田県をこよなく愛するマイケルさん。その気持ちは、地元の人たちにも届いています。

「秋田のどこでも、『おめぇ、タベルスキじゃねぇか』って声をかけられるんです。近所の人たちもズーズー弁(東北の方言)で普通に話しかけてくれて、すごくアットホームなんですよ。でも東京に行くと、『日本語、わかりますか?』って聞かれる(笑)。それで『あ、外国人だったんだな』って思い出すんです」

会社を設立して12年。マイケルさんはまったくの未経験からソーセージを作り始めました。いったいなぜ、ポーランドから遠く離れた異国の地・日本でソーセージを作っているのでしょうか。

「大変なこともあったし、周りの人のありがたいサポートもたくさんありました」という、マイケルさんの道のりを聞きました。

飛び級で小学校へ入学

1982年、マイケルさんはポーランド西部のポズナン市で生まれました。人口約53万人の商業都市に住んでいたマイケルさんは自身のことを「都会ボーイ」と呼び、幼少期を振り返ります。

「なぜか分からないけど、2歳から文字が読めたり書けたりできたんです。でも保育園に行ったら、みんなゼロからスタートで、保育園に通うのが耐えられなかったんですね。ホントよくないことだけど、周りのみんなをバカにしたり、やんちゃして先生を困らせたりしていました」

幼少期の頃のマイケルさん(画像提供:IMI)

できることを学ぶのが苦痛だったマイケルさんは、いつも反抗的な態度をとっていたそうです。手を焼いた保育園の先生が「この子はもう小学校に行かせたい」と教育委員会に相談。マイケルさんは知能を図るためのテストを受けることになりました。その結果、4歳児ながら小学1年生の知能を持つことがわかったのです。

これを受けて、マイケルさんは小学校へ飛び入学。「みんな酉年、私だけ戌年(笑)」と、マイケルさんはいたずらっぽく笑います。

当時のポーランドは、小学校8年間、高校4年間の義務教育(現在は、日本と同じ小・中・高の学校制度)でした。小学校ではしばらく保育園と同じ状況が続きますが、地元の高校に入って数学や物理を学び始めるころ、マイケルさんは授業を受けることが苦ではなくなりました。

高校1年で音楽に目覚め、デスメタルのバンドを結成。インディーズでCDを発売するほど力を注ぎます。高校を卒業後は地元の国立大学に進学。物理学を応用したサウンドエンジニアリング(音楽や映画の録音に携わる専門領域)を学びました。

「将来は自分のスタジオ持って、海外のアーティストの歌を録音するような仕事に就こう」

母国で生きていく自分の姿に、この時はまったく疑いを持っていませんでした。

大学生のころのマイケルさん(画像提供:IMI)

日本の予備知識ゼロのまま、秋田県に移住

大学4年生になった21歳の春、マイケルさんの人生を変える出会いが訪れます。仕事でポーランドに滞在していた9歳年上の日本人女性・千秋さんと恋に落ちるのです。

大学卒業の時期に差し掛かったころ、千秋さんのお腹に2人の子どもが宿ったことがわかります。そこで、マイケルさんは大きな決断を迫られることに……。

「彼女は子どもを日本で育てたいと思っていたんです。けっこう意思が強い人なので、『バイバイするか、一緒に行くか、どっちなの?』って言われて。10秒ぐらい考えて、『しょうがねぇべ、日本に行くか!』みたいになりました。それが秋田に住むようになったキッカケです」

潔く日本への移住を決めたマイケルさんですが、当時、日本語はおろか日本に関する予備知識はまったくありませんでした。2003年8月、千秋さんの出身地である秋田県大仙市に移住し、入籍。

秋田県に移住後、生まれてくる子どものためにお金を稼ごうと、横浜にある国際ホステスクラブに出稼ぎに行き、バーテンダーとしてはたらくことになりました。

夕方4時から深夜4時まで毎日無休ではたらき、食事は1日1食だけ。土地勘もなく、言葉も通じない場所ではたらき詰めの日々……。ポーランド生まれの青年にとって、日本での生活は戸惑いの連続だったといいます。

「お店でカレーを頼むと、スプーンが付いてくるじゃないですか。『何だよ、外人だから箸が使えないって、バカにしてるんじゃねぇか』と思って、箸で一生懸命カレーを食べてました(笑)。これが日本ゼロからのスタートのレベルです。本当に、何一つわからなかったですね」

心細い思いで過ごしながらもガムシャラにはたらき、3カ月間で100万円を貯め、マイケルさんは秋田に戻ることにしました。

クリーニング店の社長との出会い

秋田に帰り、いくつかのアルバイトを経験した2003年9月、大手メーカーの秋田工場で契約社員としての仕事を得ました。3年ほど務めて、会社から正社員の打診をもらいますが、「ここでは自分の将来像が見えないな」と感じ、転職を考えるようになりました。

ある日、大仙市でクリーニング店を営む社長に飲みに誘われる機会がありました。その社長は近所の人から「変わった外人がいるらしい」と聞きつけたようでした。マイケルさんは千秋さんを連れて、社長夫妻と近所の飲み屋へ。そこで、マイケルさんと社長は意気投合。「マイケル、うちではたらかないか?」と聞かれます。

社長の人柄を好きになったマイケルさんは、2つ返事でその誘いを受け、大手メーカーを退職。クリーニング店の経営に携わることになりました。

「社長は私をうまく引っ張って、新しいことにたくさんチャレンジさせてくれたんです。秋田大学や筑波大学と一緒に『洗剤を使わない洗濯機』を開発したり、中国に店舗を出そうと視察に行ったりね。私のビジネスセンスを買ってくれて、『次はうちの息子が社長になるから、マイケルは裏から見てけれ』って言ってくれました」

会社に勤めて5年経ったとき、社長がすい臓がんを患い、急逝。社長が変わったことで、マイケルさんは会社での居場所がなくなったと感じ、次の勤め先のアテもないまま退職することになりました。

職を失ったマイケルさんは、東京や仙台のあらゆる業種の会社へ履歴書を送りますが、結果はことごとく不採用。途方に暮れる日々が続きます。

妻・千秋さんに相談すると、「私のヒモにならないでね」と一蹴。まさに八方塞がりの状況ですが、この言葉を受けてマイケルさんは肩の力が抜けたといいます。

「もうなんでもいいやって気持ちになりました。私のことを誰もいらないのであれば、自分の会社をつくるしかないなと思ったんですよ」

会社を設立するも豚コレラで大ピンチ!

マイケルさんの母国・ポーランドには約2,000種類のソーセージが存在し、肉の加工食品は伝統的な食べ物です。マイケルさんの実家でも、ソーセージを使った料理が毎日食卓に並びました。

一方、日本では、ソーセージを毎日食べる習慣はありません。そのため、マイケルさんが日本にやってきた当時は、市販のソーセージの種類が少なく、値段も高かったといいます。マイケルさんは日本で売られているソーセージに満足することができませんでした。

ふと、亡き大叔父がソーセージ職人だったことを思い出し、ハッとします。

「そうだ、ポーランドからソーセージやサラミを日本に輸入しよう!」

2010年、ポーランドの加工食品を輸入する会社として「IMI」を設立。マイケルさんは母国の食文化を日本に広めようと奮闘します。来日して7年の月日が経ったそのころには、日本語も人とのコミュニケーションも上達していました。

自らスーパーマーケットなどの卸先に営業に行くと、「タベルスキ」という苗字のおかげで、「『食べる好き』って本名なの?」と話が弾み、少しずつ注文が入るようになっていきました。

売り上げが順調に伸びていた2014年2月、マイケルさんに大きな試練が待ち受けていました。

ポーランドで豚コレラが発生したという知らせが届いたのです。あっという間にソーセージを輸入できなくなり、会社の売り上げが立たなくなってしまいました。

「コツコツ4年間頑張ってきて、いきなりゼロですよ。どこの会社もダメ、自分で会社やってもダメ、『もう、自分って何もできないじゃん』って思いました。頭がおかしくなりそうでした」

どん底から救ってくれた空手の世界

窮地に立たされたマイケルさんは、意外な行動に出ました。なんと、「空手」を始めたのです。

実は秋田県大仙市は昔から武道が盛んな地域。マイケルさんは「まずは弱った心を鍛えよう」と、空手道場の門を叩いたのだといいます。

空手の練習では、「最初は何もできず、ただぶっ飛ばされてましたね」というマイケルさん。しかし、一緒に武道に取り組む人たちと練習したり、話をしたりするうちに、「続ける先に、成長があるんだ」と思うようになりました。

「武道をやる人は、みんな我慢強いんです。自分との戦いだからだと思います。そういう人たちと空手に取り組んで、頭をリセットできたんですね。くよくよ考えずにストレートに進もうと思えたんです」

空手道場の仲間と。(画像提供:IMI)

空手を続けながらモチベーションを取り戻したマイケルさんは、仕事の打開策を見つけようと、取引先である、隣町の横手市にある食肉工場に相談。すると、工場の社長から意外な言葉が返ってきました。

「マイケル、輸入できないんなら自分で作ればいいんじゃない?」

マイケルさんは目を丸くしました。いくらソーセージに慣れ親しんだポーランド人だからといって、作り方を知るはずがありません。でも、食肉工場の社長は「もし作れるなら、売るよ」と言ってくれたのです。

その言葉を聞いて、マイケルさんはすぐさま「私、作ります!」と約束。なぜ即決できたのかと言うと、「じゃないと、商売はやってけないからです」とマイケルさん。

こうして、秋田の地で、マイケルさんのソーセージ作りが始まったのです。

見よう見まねでソーセージ作りを開始

2014年の夏、マイケルさんは、鶴の一声をくれた食肉工場の社長の元でアルバイトをしながら、自宅の車庫でソーセージを作り始めます。本とネットを手掛かりにほぼ独学でした。半年間、毎日1本(約20g)を作り、少しずつ形のよいソーセージを作れるようになりました。

最初は車庫でソーセージ作っていた(画像提供:IMI)

手ごたえを感じたマイケルさんは、「次は工場だ!」と考え、建設費用の融資を受けようと銀行に足を運びました。けれど、元手もなく、まとまった顧客を持っていないマイケルさんに、銀行は簡単にお金を貸してくれません。

ただ、銀行は一つの条件を出しました。それは、経済産業省が運営する「ものづくり補助金」の申請が通れば、融資を検討する、というものでした。ものづくり補助金とは、中小企業に向けて設備投資を支援する国の制度です。

さっそくマイケルさんは補助金の申請書を提出。数週間後、「申請が通りました」という通知が届きました。これにはマイケルさんも驚いたと言います。

「正直な話、OKを出した人はよっぽどクレイジーだなって思うんです(笑)。だって、私の申請書は『車庫でソーセージ作ってるタベルスキです。工場をやりたいから1000万ちょうだい』ですよ。でも、申請が通ったんです。

だから、うちの会社は私が頑張ったからじゃなく、日本が作った会社だと思ってます。『日本がお金を出した会社だから、やるしかねえっぺ』って。(手を鼻にあてて天狗の真似をしながら、)こういう気持ちになりたいんだけど、全然なれないですね(笑)」

工場を建設、完成したソーセージはたったの3キロ……

補助金と銀行からの融資によって、まとまった資金を手に入れたマイケルさん。お世話になっている食肉工場の半分を借りて、ソーセージ工場をつくることになりました。

ただ、マイケルさんは業務用のソーセージ機を使うのは初めてです。いったいどんな機材がいいのか。どんなソーセージを作ればいいのか。見当がつかず、手探りで進めていくしかありませんでした。

まずは、設備を整えるところから。手洗い場など共用で使える部分も多かったため、工場内はすべてDIY。その分、ソーセージを作る機械はポーランド産の良いものを取り寄せることにしました。

数週間後、ポーランドから縦横2メートルほどのミキサーや、高さ3メートルのスモークハウスが到着。マイケルさんは機械の組み立てに四苦八苦しますが、なんとか起動させました。

機械の動きを見守っていると、問題が発生。ソーセージを作ろうと充填機(じゅうてんき)を使い、お肉を羊腸に詰めますが、頻繁に割れてしまいました。本来なら一時間で150~200キロくらい作れる機械なのに、最初は1日3キロしか作れなかったといいます。

現在使用しているスモークハウス(画像提供:IMI)

そのほかにも、ソーセージを吊るすスモークハウスの洗浄システムがうまく作動せず、ソーセージが真っ黒になってしまったこともありました。

「これは機械がおかしい!」と思い、ポーランドの機械メーカーに問い合わせますが、原因はわからずじまい。そのまま数カ月が経ち、業を煮やしたマイケルさんは、スモークハウスの内部を一つひとつ分解してみました。すると、業者の手違いにより、バルブの一部が逆向きに設置されていることがわかりました。そのため、空気や液体を外に排出できず、ソーセージが黒くなってしまったのです。

「『こんなにお金をかけて準備したのに、もうダメだ』って、何度も切腹しようと思いました。でも、落ち込んだ日は一杯お酒を飲んで、次の日、『何かが違うんじゃないか』と考えてみる。それで徐々にたくさん作れるようになったんです」

取引先とのトラブルに見舞われたこともありました。

反社会組織の団体と知らずに注文を受けてしまい、先に商品を送るも代金が支払われず、40万円の損失を出したことがありました。そこで訴訟を起こすことにしたのですが、調和を大切にする弁護士のアプローチを見て、「海外とは真逆だな。これが日本人のやり方なんだな」と、好感を持ったそう。

前途多難な幕開けでしたが、マイケルさんは何事も「なるほど、おもしろい」と、前向きに受け止めるように。さまざまな経験を重ねるうちに、日本、とくに秋田での生活を好きになっていきました。

(提供提供:IMI)

タベルスキ・マイケルは「秋田人」

2017年3月、スーパーマーケットだった建物を改修し、大仙市にも工場を設立。その年は5,000万円を売り上げました。その後、売上は毎年グングン伸びていき、2020年は2.3億円の売り上げを叩き出します。現在は、月6トン以上のソーセージやハムを製造し、県内の大半のスーパーと取引をしています。

成長の背景には、マイケルさんの地道な努力がありました。ポーランドからソーセージ職人を招いて指導を仰ぎ、妥協せずに本場の味を追い求めたのです。「私がおいしいと思えないものは、絶対に出荷しませんよ」と語ります。

初めて訪れた秋田県で、未経験の状態からソーセージ作りを始めたことを、「自然なご縁でした」とマイケルさんは語ります。

「『柿の種』を生んだ新潟の亀田製菓さんや、ドレッシングで有名な福岡のピエトロさんみたいに、秋田からブレイクできたらいいなと思います。でも、うちの会社は、『秋田だけの会社。絶対ここから出ないぞ』でもいい。だって、好きでやってますからね。だから頑張らなくていいってことではないけれど、ご縁に任せるしかないみたい」

(画像提供:IMI)

現在、マイケルさんの会社では25名の社員がはたらいています。会社経営に取り組む中で、最も大切にしているのは、「やさしい環境をつくること」だといいます。

世の中は自由なのに、何かを強制するような経営者は自分に嘘をついているだけじゃないかなと思います。私は人が無理をしない環境をつくりたいです」

やさしい環境づくりは社内だけにとどまりません。近隣の小学校や病院にお肉やソーセージを提供したり、町の活性化に取り組む「地域おこし協力隊」と、地元の野菜を使ったピクルスを開発したりなど、社会貢献の活動も続けています。

「秋田の誇りになるような会社にしたい――」

そう語るマイケルさんは、秋田県境にそびえる鳥海山(ちょうかいさん)を毎日眺めるそうです。都会で生まれ育ったマイケルさんにとって、その風景はかけがえのないものだといいます。

「鳥海山の濃い緑が、目にすごく気持ちいいんです。サンセット(夕暮れ)のときは、黄色から赤っぽい光が近くの田んぼを染めて、すごくジューシーな色が出てくるんですよ。それを見ると『はぁ~、明日も頑張るべ』みたいな、リラックスした気持ちになれるんです」

母国から遠く離れた日本で、言葉を学びながら商売を覚え、自分の足で歩んできたマイケルさん。これからも秋田で夢を追い続けます。

(画像提供:IMI)

(文:池田アユリ 画像提供:IMI)

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インタビューライター/社交ダンス講師池田 アユリ
インタビューライターとして年間100人のペースでインタビュー取材を行う。社交ダンスの講師としても活動。誰かを勇気づける文章を目指して、活動の枠を広げている。2021年10月より横浜から奈良に移住。4人姉妹の長女。
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