遺体を美しく保つ、日本にたった300名の「エンバーマー」を知っていますか?

2024年1月10日

今、新たな弔いの方法として、「エンバーミング」が注目を集めています。日本語で訳すと「遺体衛生保全」。遺体を消毒・防腐・修復し、衛生的に長く保つ処置することを指します。

エンバーミングを行うと遺族へのウイルス感染なども防げることから、コロナ禍中に需要が急増。

こうしたエンバーミングの処置を施すのは、「エンバーマー」と呼ばれる専門職。エンバーミングを行う企業「JEC」に入社して20年、年間200件以上を手掛けるベテランの田島大地郎さんに、日々のはたらき方、ご遺体との向き合い方、駆使する最新技術、印象的だったエピソードなど、仕事の舞台裏を伺いました。

海外ではおなじみ 長い歴史を持つ「エンバーミング」

遺体に殺菌消毒、防腐、修復、化粧などを施して、生前の姿に近づけるエンバーミング。

「認知度が上がりつつあるとはいえ、日本ではまだ耳慣れない言葉ですよね。有名なところで言うと、古代エジプトのミイラという弔い方もエンバーミングの一種なんです」と田島さん。

ミイラの場合は臓器を摘出し、体内を薬用植物で満たすなどして防腐処理を行っていましたが、その後、17〜19世紀ごろになると、イタリアやフランスの科学者が防腐剤などを用いて遺体の保全技術を発展させたのだとか。ちなみに現代のエンバーミング処置では、臓器等を摘出することはありません。

「とくに海外でエンバーミングが広く知られたのはアメリカの南北戦争のとき。遠い地で戦死した方々を故郷に帰そうと、エンバーミングの技術を用いて長距離輸送を行なったことがきっかけだったそうです」

そうした現場ではたらくのが、「エンバーマー」と呼ばれる人たち。故人に必要な処理をして棺に納めるという意味では、いわゆる“おくりびと”の一人ですが、納棺師や湯灌士とは大きく異なる点があると言います。

「エンバーミング処置は科学的根拠のもと、行われる処置です、エンバーミング処置は、ご遺体の一部を小切開し、動脈からエンバーミング液と呼ばれる薬剤を入れて、静脈から血液を押し出します。つまり、体内の血液とエンバーミング液を置き換えるんです。

こうした処置は、本来は免許を持つ医療従事者しか行えません。ただ、ご遺体に関しては、IFSA(一般社団法人日本遺体衛生保全協会)が認定した養成校で2年間の学びを経てライセンスを習得したエンバーマーにも例外的に許可されています」

遺体にエンバーミングを施す3つの理由

では、通常の遺体とエンバーミングを施した遺体、一体何がちがうのでしょうか?田島さんによれば、大きく3つの違いがあるのだそう。

「まず一つ目は、感染症を予防できること。通常もご遺体は一通り拭き清めますが、エンバーミングではコロナウイルスや結核、HIVなどのウイルスなども殺菌します。つまり、小さなお子さまやお年寄りも安心してご遺体に触れていただけます。

二つ目は、腐敗をとめられること。亡くなられたときに急いでお葬式を上げなければならないのは腐敗が進んでしまうから。エンバーミングでは、ご遺体の変色や膨張などを防ぎながら、最大50日間まで保全できます」

こうすることで海外など遠方からの弔問にも対応できるほか、ドライアイスなども不要に。ご遺族も時間をかけて、心ゆくまでお別れができると言います。

「最後の三つ目は、できる限り生前のお姿で見送れること。ご遺体に大きな損傷がある場合はもちろん、治療や酸素マスクなどでお顔に傷がついてしまった場合、闘病で痩せてしまわれた場合などにも、元の元気だったころの状態を目指して修復を行います」

田島さんによれば、肌の血色も修復の一つ。人が亡くなると血液の循環がとまり、重力によって血液が体の底に溜まることで肌が青白く変色します。そこで、エンバーミング液の中に血液の色を再現する薬剤を混ぜ、体内に行き渡らせて、全身や顔、唇などを血色良く見せるのだとか。

「また、含み綿と呼ばれる綿を口の中に入れ、故人のお顔を整えることがありますよね。エンバーミングでも、それに近い技術を使います。水分と混ざるとゲル状になる液体を、くぼんでしまった目元や、深く刻まれた眉間のシワなどに注射器で注入して、ふっくらさせることもできるのです」

ないところをあるように見せ、形の崩れてしまったところを元に戻して、いかに元気だったころの姿に近づけられるか。田島さんはそこに心を砕きます。

「ご病気や事故など亡くなる原因はさまざまですが、やはり変わられた故人の姿を目にすると、ご遺族はショックを受けるもの。少しでもふくよかに、血色良く、生前のお姿にできるだけ近づけられたらと思っています。皆さんが心ゆくまでお別れできるように、故人との最後の思い出が良いものになるようにサポートするのが、私たちエンバーマーの仕事です」

センスと経験が問われる「防腐」と「修復」と「感染防御」

エンバーマーはご遺体の洗浄から修復、化粧までのすべてを1人で担当します。エンバーミングを実施することが決まると、「まずご遺体を処置室に運び入れ、洗浄することからはじまります」と田島さん。

「その後、先にお話ししたように血液とエンバーミング液を置き換えていくのですが、この一連の作業が非常に難しいのです」

ご遺族は何日間の遺体の保全を望まれているのか。防腐剤の量はどのくらい必要か。また、このご遺体の場合、血色と肌ツヤを良くするためにどの薬剤をどう混ぜようか──。

田島さんは考えをめぐらしながら、エンバーミング液を調合します。

「血色などはもちろん、肌が乾燥していれば保湿をし、むくみがあるならむくみをとるなど、約70種類の薬剤の中から必要なものを選びます。同じ薬剤を入れても同じ血色になるわけではないのが難しいところですね……」

毛細血管を通じて、体のすみずみまでエンバーミング液が行き渡ったことが確認できたら、田島さんは修復の作業に移ります。

「見た目の修復こそ、多くのご遺族が最も望まれる部分。だから、エンバーマーたちはみんな日々その技術を研究し、情報交換や教育も活発に行っています」

田島さんが所属するIFSA(日本遺体衛生保全協会)でも、年2回、スーパーバイザーと呼ばれるベテランのエンバーマーによる技術発表会があり、学びの場となっているそう。

「たとえば、骨が粉砕されている場合の修復方法。あるいは、新生児のエンバーミングの方法。眉がなくなっている場合は髪の毛を少し切って代用するなどのアイデア、大小さまざま知見が共有されています」

臨床検査技師になるはずが…… 就職してエンバーマーの資格を取得

現在、協会が認定しているエンバーマーの数は約300名。うち全体の70〜80%は女性なんだとか。

数少ない男性技術者として活躍してきた田島さん。そもそもエンバーマーを選んだきっかけは?

「20年前、私は臨床検査技師の専門学校に通っていて、就職活動の最中に病院や検査センターの求人票に交じって、『エンバーマー募集』の紙を見つけたんです。なんだろう?と強く興味を惹かれて2003年に現在の会社に入社しました。それからエンバーミングについて2年みっちり学び、2005年にライセンスを取ったんです」

エンバーマーになるためには、座学と実習の受講が必須。座学では、半年かけて解剖学や葬祭学、法律などを学びます。その後、1年半の実習で150体以上のエンバーミング処置を行います。それらを修了し、協会が行う試験に合格すると、ライセンスが取れる仕組みになっています。

「私が駆け出しのころは医療関係から転職する人がほとんどでしたが、今はいろんな人がいます。たとえば、もともと美容関係の仕事でお化粧に精通されていたり、これまで造形を学んできて修復が上手だったり。みんな持ち前のスキルを活かしながら活躍されています」

多様化する弔いの形。故人らしくあれるよう腕を磨き続ける

最後に、仕事のやりがいを尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。

「特に交通事故で亡くなられた場合は、突然の死を受け入れられない遺族がほとんどです。損傷がはげしくて、とてもじゃないけれど、ご遺体に向き合える状態ではない……というときにも、ご遺族の力になれること。それがやりがいだと思います」と田島さん。

「過去にそうしたケースで、持ちうる技術のすべてを使って、大規模な修復を行なったことがありました。その後、ご遺族から『これでやっとみんなに見てもらって、しっかりとしたお別れができます』との言葉をいただけたんです。やって良かった。すべてが報われたと思いました」

1件のエンバーミングにかかる時間は通常なら3時間ほど。損傷が激しい場合はさらに時間をかけ、数日かかることもあると言います。

「ご遺体の欠損を見るたびに、どうにかして元に戻してさしあげたいと思う気持ちがあります。使えるものはすべて使って、自然に補うにはどうすればいいかを考えます」

そうして腕を磨き続けた20年。「今ならきっと、広くご要望にお応えできると思います」と話す田島さん。その穏やかで控えめな声の中に少しだけ自信がにじみます。

「昔に比べるとエンバーミングの知名度も上がり、その分、ご遺族から『こうして欲しい』と要望をいただくことも増えてきました。業界内でも、常に新しい技術が生まれ、それを学ことで知見を深めることもできるので、やりがいは大きいですよ。常に進化し続けて、完成することがないんです。そこも、この仕事の魅力の一つだと思いますね」

エンバーミングの実施件数は年々増え続けており、IFSAの調査によれば日本に初めてエンバーミング施設ができた1988年当時は年間200件に満たなかったものの、コロナ禍を経た2022年には年間7万件以上にまで増加。弔いの新たな形として浸透しつつあります。

需要が高まる中、エンバーマーは慢性的な人手不足ではあるものの、最近は学生からエンバーマーを志す人も多いそう。田島さんも現場を離れて新人教育に奮闘する時間も増えたといい「人が育つのを見られるのも、今のやりがいの一つかも」とほほえみます。

「故人が故人らしくあれるように、ご遺族の要望を聞きながら心を尽くせる人こそ理想のエンバーマー。教えた人たちが成長して、それぞれの現場で評価されて、『誰に教わったの?』と聞かれたときに、『JECの田島です』って答えてもらえる日が来たらうれしいですね」

(文:矢口あやは 写真:宮本七生)

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ライター・編集・イラストレーター矢口あやは
大阪生まれ。雑誌・WEB・書籍を中心に、トラベル、アウトドア、サイエンス、歴史などの分野で活動。2020年に一級船舶免許を取得。

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