被災地の救世主!? 移動できる仮設住宅「ムービングハウス」誕生の裏側とは

2024年4月19日

度重なる自然災害で、被災者の避難生活に心配の声が寄せられる中、新しい仮設住宅の形に光が当たっています。

北海道の老舗住宅メーカーが開発した「スマートモデューロ」(以下、呼称の「ムービングハウス」)もその一つです。国際的に規格が統一されている海上コンテナと同サイズのため、コンテナ用のトレーラーに積載してどこへでも運べ、丈夫なつくりで耐用年数は100年以上。一度役目を終えても、別の地へと運び、再利用することができます。

「北海道で生まれた家がこんなに活きた使い方ができるんだ、と被災地で実感しました」

ムービングハウスの開発者であり、被災地を回って現場の指揮を取り続けている、株式会社アーキビジョン21の代表・丹野正則さんはそう話します。

2024年1月に起きた能登半島地震ではすでに270戸が建設されたというムービングハウス。丹野さんに、開発のきっかけや、発想のヒントとなったものを伺いました。

始まりは“移動できる木造住宅”

——「ムービングハウス」とはどのようなもので、従来の仮設住宅とはどう異なるのでしょうか。

まず、「ムービングハウス」の大きな特徴として、トレーラーに乗せて全国各地へ運ぶことができます。一棟一棟を北海道の自社工場で組み立ててから運ぶため、電気・水道の接続が完了すればすぐに住み始められる。ドイツの外断熱工法を採用しているので、高断熱で高気密。遮音性にも優れており、プライバシーを保つことができます。

当社が30年以上培ってきた家づくりの技術を、ムービングハウスに実装しているんです。

北海道の工場で組み立てられるムービングハウス

——そのような特徴は、何をきっかけに生まれたのですか。

我々はもともと、“300年もつ建物”を売りに教会や修道院、幼稚園といった大規模施設の工事を得意としていました。一方、これを「一般住宅として売りたい」と考えた時、お客さまには「自分はあと30年、40年しか生きられないのに、300年もつ家は必要ない。それより安くしてくれ」と拒否反応を示されてしまって。

そこで、300年もつ家づくりの技術はそのままに、住宅を分解し、個別にでも連結してでも使える「モデューロ」という9.6m(最大)×2.4m幅のミニハウスを開発したんです。これなら、北海道の自社工場で組み立ててから運ぶため効率良く生産できるだけでなく、トラックに乗せて運べるため住む場所を変えられるし、もし2世代、3世代と受け継ごうと思えばそれもできます。これが「ムービングハウス」の原型となったハウス。開発したのは、25年ほど前になります。

——一般住宅用に開発したミニハウスが、なぜ仮設住宅として使われるようになったのでしょう。

モデューロは外壁がレンガのため重く、運ぶためには100tクレーンを使用しなければなりませんでした。100tクレーンは台数が少なく高価なため、実際は、住宅の価格を抑えるのは難しく、一般の住宅としてはなかなか売れませんでした。ただ、全国各地で泊まりがけで教会や修道院の工事をする当社の作業員たちから「現地のホテルが古い、カビ臭くて環境が悪い」という声が挙がっていたため、このミニハウスを当社の作業員のための宿舎として使うようになったんですね。すると、「快適だ」と評判が良かった。

2011年の東日本大震災時、うちの支社も宮城県の亘理(わたり)町にありました。亘理町は海沿いの町で被害も甚大でした。そこで、仮設住宅や住み替え先として役立ててもらえないかと、作業員たちが宿舎として使っていたミニハウスを3棟、亘理町の支社に展示したんです。

すると地元のお客さまから、「売ってもらえませんか?」「貸してもらえませんか?」と要望があり、その後自治体からの依頼で、宮城県、福島県、岩手県に50〜60棟のミニハウスをつくらせていただきました。

——このミニハウスはあくまでも一般住宅用に開発されたもので、現在のムービングハウスとは別物だったのですね。

はい。それである時、お客さまとの打ち合わせのために応急仮設団地を訪れたんですね。プレハブ型の仮設住宅の中にお邪魔して、驚きました。玄関に入った瞬間、鼻をつくような臭いがするんです。一件だけではなくどのお宅も同じでした。

「失礼ですが、これはなんの臭いですか?」と伺うと、皆さんそこで生活されているので気付かれないようでしたが、床の外周にバスタオルが棒状に丸めて置かれているのが見えました。聞くと、壁の結露で畳が濡れないようにとのこと。一日でバスタオルを絞れるほどの結露の量だそうです。プレハブ型の仮設住宅は壁が鉄板なので、寒冷地では結露が発生しやすい。臭いの原因は、結露の湿気で発生したカビが、部屋中に充満していることでした。

——その現状を見て、どう思われましたか。

ご高齢の方も多く、あまりにかわいそうだと思いました。それでも1戸あたり1,000万円近い建設費と、建設に1年くらいの時間が費やされている。「なぜもっといい家をつくらないんだ?」と憤りを覚えましたね。さらに応急仮設住宅は約2年で出ていかなければなりません。その後は解体されてしまいます。

そこで、私たちが丈夫で長く使える家をたくさんつくり、将来の災害に備えて全国に備蓄しておけばよいのでは? と考えたのです。

ヒントとなった“海上コンテナ”

——しかしモデューロを運ぶには100tクレーンが必要で、その台数も少なかったと。

そこでヒントになったのが海上コンテナでした。

当時、東京の品川コンテナふ頭付近にもうちの支店があり、よく休日に家族でふ頭へ遊びに行っていたんですね。そこでは、大型クレーンが海上コンテナを船から持ち上げて、待機している海上コンテナ用のトレーラーに乗せる作業をしていました。トレーラーの荷台にはボックス型の金具が4箇所ついていて、コンテナをワンタッチで固定していました。

何十台、何百台というトレーラーが大量のコンテナを運んでいく光景を見て、「画期的な方法だな」と思いました。住宅の輸送システムに利用できたらいいなと。

どのような形で利用できるか考えた結果、海上コンテナは国際規格(世界標準)サイズなので、それと同規格の幅2.4m×長さ12m×高さ2.89mの家をつくり、海上コンテナ用のトレーラーで輸送するシステムを思いついたのです。

——それが現在の「ムービングハウス」なのですね。

建設・輸送コストを抑えるため、外壁のレンガも、より安価で軽量なガルバリウム鋼板に変えました。耐用年数は、外壁がレンガのモデューロが300年以上、ガルバリウム鋼板の現在のムービングハウスが100年以上です。

2013年から試作を始め、2016年に販売を開始した。海上コンテナのようにワンタッチで連結でき、水道と電気をつなげば即日住み始めることができる

——海上コンテナ用のトレーラーで住宅を運ぶにあたり、ハードルになったことはありますか?

道路交通法や建設基準法には、もちろん壁になる規制もありました。ただ、それを一つずつ乗り越えていくのは楽しかったですよ。もともと新しいアイデアを練るのが好きで、誰もやったことのないことを実現するにはどうしたらよいのか? を普段からよく考えていますから。

「大きな家はいらない。この家に住み続けたい」

——ムービングハウスは2018年7月の西日本豪雨で41戸、同年9月の北海道胆振東部地震で19戸+26ユニットが建てられたそうですが、どのように普及していったのですか。

東日本大震災の時に建てたモデューロのミニハウスが、防災研究の大学の先生方の目に留まったようで、政府から「応急仮設住宅として使わせてもらいたい」と要請があったのです。

そして2018年の西日本豪雨から、本格的に応急仮設住宅として使われるようになりました。応急仮設住宅には国が定めたスタンダードな仕様があり、広さや間取り、ベッドの置き方……それに合わせてつくるのにはかなり苦労しましたが、建設費は1世帯あたり約520万円に抑えることができました。

2018年、岡山県倉敷市につくられたムービングハウスの応急仮設団地 写真提供:株式会社アーキビジョン21

印象深いのは、西日本豪雨の2年後に、ムービングハウスに住まわれた方々をお呼びして座談会を開き、一人ひとり感想を伺った時のことです。70代のご夫婦がこう話してくれました。

「震災の数年前、大手ハウスメーカーで新築の家を建てた。非常に満足していたし、もう一度建てるなら前のような家がいいと思っていた。今回住んだ仮設住宅は、たしかに前の家より狭いし、収納も部屋数も少なく不自由もした。でも、ここの家の暮らしは、夏は涼しくて冬は暖かい。快適に室内干しができて、前の家よりはるかにいい。今までの生活とはまったく質が違うんです」

ムービングハウスの内装 写真提供:株式会社アーキビジョン21

ムービングハウスは、一年を通して温度と湿度が一定です。電気代や光熱費も安い。全戸に乾燥室を設けてあり、洗濯物が3、4時間でカラッと乾きます。これは東日本大震災の経験からつけたものです。

こうした暮らしを体験して、「大きな家はいらない。この家にこのまま住みたい」と言ってくださったんです。そのため、応急仮設住宅としてではなく、自宅が倒壊するなどして住めなくなってしまった方の新居としても、数棟をご依頼いただきました。応急仮設住宅は1ユニット30平米ですが、新居では2ユニットを連結して60平米にされる方が多かったですね。

——その素早い建設スピードが評価され、内閣府が、各都道府県に御社と協定を結ぶよう推奨したとか。

我々はすでに、全国各地に多くの車両と、ムービングハウスを建設する作業員たちの宿舎を何百棟と持っていたんです。だからなんの問題もなく、非常に速い対応ができたと思います。

2024年1月に起きた能登半島地震でも、作業員たちの宿舎を応急仮設住宅にどんどん転用しました。石川県では4月中に約300世帯分(600ユニット)のムービングハウスが完成予定ですが、まったく足りていません。5月以降はさらに10世帯分を、年内には合計約800世帯分をつくる準備をしています。石川県だけで約1,200世帯分を設置予定です。

——丹野さんのこの仕事に対する想いや、はたらきがいを教えてください。

「無から有を生み出す」こと、「ものをつくる」ことが生きがいです。“地図に残る仕事”という有名なキャッチコピーがあるように、このムービングハウスを200年、300年と残していきたい。ぼくらのつくったものにはそれだけの価値があると思っています。

(文:原由希奈 写真:水上ゴロウ)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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