審判員のアンガーマネジメント ─ ジャッジメントの舞台裏 後編【審判員:山下良美さん】

2021年10月14日

サッカーの試合において選手の活躍を目にする機会は多いですが、ピッチ上で汗を流しているのは選手だけではありません。試合を冷静にコントロールする審判員の存在があってこそ、すべての試合が成立しています。 

パーソルグループと日本サッカー協会の共同企画でお届けする「サッカー審判員のはたらく」では、6回に分けてサッカー審判員という職業の実態、裏側、苦労などを解剖していきます。

第3回は「ジャッジメントの舞台裏:自らを保つ精神力とは。リスペクトやアンガーマネジメント」をテーマに、Jリーグ初の女性主審となった山下良美さんにお話を伺いました。(聞き手:日々野真理)

審判員:
・山下良美さん
国際審判員。2019年にはFIFA女子ワールドカップで主審を務めた。2021年からJリーグ担当審判員となり、5月のJリーグ公式戦で女性として初めて主審を担当した。

ゲスト:
・佐々木則夫さん(元なでしこジャパン監督・大宮アルディージャVENTUS 総監督)
・大浦征也(パーソルキャリア株式会社執行役員・公益財団法人スポーツヒューマンキャピタル理事)

女性審判員というキャリア

――山下さんが審判員になられたきっかけを教えてください。

山下さん:大学まではプレーヤーとしてサッカーをしていて、卒業する時に、大学の先輩であり国際審判員の坊薗 真琴さんに、ほぼ無理やり審判員として試合に誘われたのが最初でした。1試合くらいなら……と軽い気持ちでやってみたのがきっかけになりました。

――本格的に審判員の道に進もうと思った要因はなんだったのでしょうか。

山下さん:2級審判員になると、なでしこリーグの副審を担当することができるようになるんです。日本のトップリーグに関わることができて、自分もやってきたサッカーに貢献できる可能性があることに魅力を感じ、まずは2級審判員となでしこリーグを目指したいという気持ちになりました。そして、日本のトップリーグに関わるとなると責任もかなり大きくなりますので、そこで審判員という仕事にもっと真剣に向き合っていこうと思ったのが、本格的に取り組むにあたっての一番のターニングポイントだと思います。

大浦:大学を卒業する時、一般企業に就職しようとは思わなかったのでしょうか?

山下さん:大学卒業前は何をしていこうか迷っていて、審判員というキャリアは新しい発見でもありました。自分がプレーヤーの時は、審判員のことが全然目に入っていなかったので、新しい選択肢が増えた感覚だったと思います。

©JFA

――山下さんはJリーグなど男子の試合で笛を吹いている、日本でも数少ない女性審判員の一人でもあります。男子サッカーの試合で女性が審判員を担当することにどんな意味があると考えていましたか?

山下さん:日本の女子サッカー界に貢献したいという気持ちで審判員として上を目指してきたので、男子の試合で笛を吹くことの意味を自分では分かっていませんでした。でも、世界的に見ると女性審判員が男子サッカーの試合を担当するようになってきた流れもありますし、それが日本の女子サッカー界の発展にもつながるのではないかというのを、最近感じるようになってきました。

佐々木さん:実際に男子サッカーの試合を裁いてみて、女子サッカーとの違いは感じましたか?

山下さん:やはり男性は「大きい」ですね。背が高い、声が大きいという、物理的な違いはあると思います。ボールの動きや試合展開のスピード感にも違いを感じました。

佐々木さん:東京五輪でも男子柔道の決勝戦を女性審判員が担当していましたよね。サッカー界のみならず、男女問わずさまざまな競技で女性審判員が活躍することを日常にしていくための発信が大事だと思います。そういう意味でも、山下さんがJリーグで笛を吹いている姿を見ると、女子サッカーに関わってきた人たちの夢や希望がさらに膨らむのではないでしょうか。

――山下さんも、他競技の男子の試合で女性審判員が活躍しているのを見て刺激を受けることはありますか?

山下さん:他競技の女性審判員からお話を聞くだけでもすごく刺激になりますし、サッカー以外の競技でも頑張っている人がいるのを見ると、一緒に頑張ろう!という気持ちになります。

大浦:女性の競技を男性審判員が裁くのを、我々はなんら違和感なく見ますよね。これが逆転したときに斬新さを感じるのは、無意識の思い込みや偏見があるからかもしれません。なので、山下さんの存在自体がロールモデルとなって、女性審判員が増えていく世界になってほしいと思っています。ちなみに山下さんにとって、ご自身の憧れや目標になった方はいらっしゃいましたか?

山下さん:特定の個人というのはなく、すべての先輩方がロールモデルでした。これまで活躍されてきた先輩方を見て、いいところをすべて吸収したいと思っていたので、一人には決められないですね。

高ぶる気持ちを鎮めるには?

――試合になると審判員に対して攻撃的な言葉が飛んでくることも多いと思います。そういったことへの自分なりの対処法はお持ちですか?

山下さん:ほかの審判員の方もそうですけれども、何かを言われて怒ってしまう姿は見たことがないです。審判員という役割を演じているのかもしれません。試合中に審判員としてカードを示したり、注意をしたり、という対処法はあっても、そこに自分の気持ちが入ることはないです。

――自分の役割を第一に考えているからこそ、審判員のさんは自然にアンガーマネジメントができているんでしょうね。

山下さん:そうなのかもしれないです。審判員のアンガーマネジメント力は高いと思います。何かをしてしまいそうな選手がいた時、「ピッ!」と笛を吹くだけでも我に返ることがあります。そうやって少し時間を空けてあげることで、高ぶる気持ちを鎮められます。

「ちょっとこっちに来てください」と選手を呼んで、何かが起こりそうなところから離れてもらうこともあります。そうやってきっかけを与えることも、アンガーマネジメントになると思います。

©JFA

大浦:一般企業では、気持ちを落ち着かせたり、受け流したりするための研修を実施している会社もあります。そういった訓練をせずセルフコントロールを自然に実践されているのはすごいことだと思うのですが、精神を落ち着かせるためのトレーニングはまったくされないのですか?

山下さん:メンタルトレーニングについて聞かれると、「何もしていないです」と答えます。ただ、前の試合で少しうまくいかないと、次の試合をやりたくないこともあります。そういう時は、手が届くような、自分も達成できそうな目標を決めて取り組むと、次の試合へのモチベーションが上がってきますね。

また、私は試合前にスタンドを見渡すのが好きなんです。会場の雰囲気を味わうことによって気持ちを高める効果もありますし、逆にスタンドを見ないようにして、緊張感の調整をしている時もあります。自分にとってはスタンドを見渡す行為がメンタルに影響を及ぼしているのかもしれません。

――JFAでは「リスペクトプロジェクト」を推進されているとお聞きしました。山下さん、これはどういったものでしょうか。

山下さん:リスペクトはスポーツにおいてとても大切なものだと思います。サッカーにおいては、選手、試合、さらに指導者やファン・サポーターなど、あらゆる人や物事に対してリスペクトの気持ちを持ってプレーしましょうという取り組みです。

佐々木さん:審判員がいてはじめて、いい試合ができるんだということを、我々はもっと学ばなければいけません。選手たちも、指導者たち、ファン・サポーターの皆さんも「リスペクト」と言われなくても自然に、その気持ちを持てるよう成長していく必要があると思います。

――審判員の視点で日ごろから常に大事にされている「リスペクト」はどんなものですか?

山下さん:選手たちはアスリートとして、サッカーの価値を表現して多くの皆さんに夢や希望を届けようとしていますので、審判員という立場では、それを支えることを意識しています。試合からサッカーの魅力を引き出す役割を担うことが、審判員の立場からのリスペクトでないかと思っています。

WEリーグが、活躍の場の選択肢を広げる契機に

――山下さんが「審判員をやっていてよかった」と思うのはどんな瞬間ですか?

山下さん:本当にたくさんあるので簡単には言い尽くせないですけれども、一つ挙げるなら、自分の予測をいい意味で裏切られた時でしょうか。審判員は選手たちの次のプレーを予測しながら試合を裁いていますが、「そこにパス出すの!?」「そんなコントロールするの!?」と驚くようなプレーが出たときは気持ちが高ぶります。予測を超えるプレーを目の前で見られるというのは、予測をしたことによって得られる感動ですから、それは審判員ならではの幸福だと思います。

――今年、女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」が開幕しました。山下さんは審判員を務める立場から見て、WEリーグが将来どんなリーグになっていくことが理想だと考えていらっしゃいますか?

山下さん:やっとWEリーグが始まるというのは、一人のサッカーファンとして楽しみでした。その気持ちを、まずはそのまま審判員として表現したいなと思っています。私たち審判員や選手たちだけでなく、スタジアムや画面越しで見ていただいている皆さんとともに試合をつくる気持ちでいます。選手に引っ張っていってもらいながら、審判員も仲間に入れていただいて、見ている方々の心を動かすような、そんな試合を見せられたらいいなと思います。

佐々木さん:選手やスタッフだけでなく、審判員もいて、ファン・サポーターもいて、ファミリーが一体になると、いい試合にできると私は信じています。あらゆる人や物をリスペクトすることが当たり前なリーグになれるよう、私も尽力していきたいと思っています。

――パーソルグループはこれからWEリーグをスポンサーとしてサポートしていくそうですが、どんな想いともに歩んでいくことになったのでしょうか。

大浦:社会全体に対してWEリーグが発信していこうとしている世界観に共感したというのが一番ですね。WEリーグを取り巻くステークホルダーの方々が「女子サッカー」という文化をつくっていこう、それがひいては社会に対して非常に大きな影響力になるはずだ、という考え方を持っていらっしゃいます。

スポーツだからということではなく、我々のような「はたらく」ということをテーマにしている会社からすると、女性の活躍推進は非常に重要なテーマでもありますので、WEリーグと一緒に課題解決に取り組んでいけるのは非常に意義のあることだと思っています。

――WEリーグが開幕して女子サッカーを見る人が増えると、選手に憧れを抱く子どもたちも増えてくると思います。さらに審判員に目を向けて、「山下さんのようになりたい」と考える子どもたちも出てきてくれるとうれしいですね。

山下さん:そうですね。本当にそうなってくれたらとてもうれしいですし、今まで女子サッカーや女子審判員に目が向いていなかった方たちの目に少しでも留まれば、それだけでうれしいです。すでに女性審判員として活動している方たちにとっても、WEリーグの存在によって選択肢がさらに広がっていけばうれしく思います。

――いろいろとお話を伺ってきましたけれども、今日の感想を聞かせてください。

山下さん:審判員のことだけではなく、自分で思ったよりもずいぶん幅広いことを考えさせられたので、また新たな気持ちでピッチに立って、審判員として活動していきたいなと思います。

――では最後に、山下さんにとって「審判員としてはたらく」とは?

山下さん:審判員はサッカーの魅力を引き出すのが大きな役割の一つだと思いますので、それを常に心に置いて活動していきたいと思います。

(聞き手:日々野真理 文/写真・舩木渉 写真提供:JFA)

▼本インタビューを動画でご覧になりたい方はこちら

※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。

5
  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る
サッカージャーナリスト舩木渉
1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20ヶ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。
  • twitter

同じ特集の記事

人気記事

30歳からの挑戦。ラーメン店「蔦」・大西祐貴さんが世界初ミシュラン一つ星を獲得するまで
あなたの年収をYouTubeで稼ぐには、どれくらいの再生数が必要?調べてみた。
海外で笛を吹くということ ─ 国際審判員の“はたらく”【審判員:佐藤隆治さん】
サウナ王・太田広の手掛ける施設は、なぜヒットするのか?経験が導き出した“成功の二大法則”とは
アラサー女性の共感殺到。“ズボラな私”の自己肯定感を上げる「現実を生きるリカちゃん」が生まれるまで
  • バナー