英語教師が30代で海外営業に転職。年収3分の1でもドイツ移住した理由

2024年5月16日

はたわらワイド編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、年収が下がる転職を成功につなげたエピソードをご紹介します。

何度か転職してきたささきとおるさんは、「年収3分の1の転職が人生最大の成功だった」と語ります。電気やガスが止まるくらい切羽詰まった生活になりましたが、それでもその転職があったからこそ「生きていてよかった」と感じられるそう。現在はドイツで暮らしているささきとおるさんが、どのようにキャリアを歩んできたかnoteに投稿しました。

※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事「#51 あの選択をしたから〜年収3分の1の転職〜」から抜粋したものです。

1年目からボーナス100万円の英語教師をやめた

50歳を迎えたささきとおるさんは、転職回数が6回、そして通った大学の数が5と、少し変わった経歴の持ち主です。
どうしてそんなキャリアを歩むことになったのでしょうか。

最初の仕事は、私立中高一貫校の英語教師だったそうです。
「自分たちの学校の教育は自分たちで決める」という自由な校風で、教科書ではなく英字新聞を題材に授業をするなど好き勝手に楽しめたと言います。
1年目の冬のボーナスが約100万円、門衛さんに敬礼されながら出勤するなど、待遇もよかったとのこと。

しかし、激務であることが難点でした。

当時は夜中まで小テストの採点や英作文の添削に追われ、運動することもなく、授業にクラブ活動にと走り回って、気づくと心身ともに完全に調子を崩しました。平均睡眠時間は4時間くらいだったと思います。note にも体調を崩した先生方の投稿が多くありますが(仲間です!)、本当に教職は激務でした。

「#51 あの選択をしたから〜年収3分の1の転職〜」より

退職を決めたのは7年後で、ささきとおるさんは30代半ばになっていました。
教職だと関連する職種があまりなく、転職活動は難航したと言います。
せめて英語を活かそうと外資系ホテルの法人営業などに応募しましたが、いい顔をされなかったそうです。

「持っている能力は英語のみ」
と考えていたささきとおるさんは、悩んだ末に「好きなこと」へ目を向けます。

英語以上に好きなものがあった、それは管楽器……
管楽器のことならかなり知っているし、自分でも演奏する
それに英語を掛け算すれば面白いのではないか……

「#51 あの選択をしたから〜年収3分の1の転職〜」より

そう考えて管楽器メーカーや管楽器問屋のウェブサイトをしらみつぶしに検索し、海外営業担当者を募集しているフルートメーカーに出会います。
すぐに応募し、2時間半もの社長面接に受かって採用されました。

電気やガスを止められながら世界各国へ出張

めでたく好きなことと得意なことの掛け算ができる企業へ入社したものの、年収は3分の1に下がりました。
年俸契約でボーナスもなく、購入していたマンションの維持をするのに精いっぱいの生活で、公共料金すら払えなくなったそうです。

水道は数ヶ月料金を滞納したくらいでは止まりませんでしたが、電気やガスは数度止められて情けない思いをしました。ロンドンの有名なオーケストラ奏者と一緒の仕事で、そこそこ高級なレストランで食事をして楽器の改良について話して、日本に帰ると自宅の電気がつかない、そんな日々を経験しました。

「#51 あの選択をしたから〜年収3分の1の転職〜」より

しかしながら、ささきとおるさんはこの転職を「人生で最大の成功だった」と語ります。

というのも、全世界の代理店を相手に仕事したことで、グローバルに働く力を得たからです。
貿易業務の初歩を1年かけて学び、ドイツで開催される世界最大のトレードショーや米国各都市でのフルートコンベンション、ヨーロッパの代理店を巡る出張などに足を運び、年間100日以上かけて20か国以上を回る年もありました。
もちろん仕事はすべて英語。国ごとに異なる英語に触れながら、文化を体感できたそうです。
少子高齢化が進み、経済的に先細っていくであろう日本以外ではたらく力を得られたことは、今後のキャリアにおける強みとなり、大きな財産となりました。

2011年6月、出張中のお気に入りのスナップ
ロンドン〜ブリュッセルのユーロスターの車内にて

この会社には4年ほど在籍し、その後ドイツで言語を扱うAI研究者になるために新生活をスタートさせました。
というのも、ささきとおるさんは世界の国が「AI をうまく利用してより豊かになる国」と「AI に翻弄されて混乱する国」に二分されると考え、日本は後者にならないようにAI の舵取りをしたいと志したからです。
AI研究者の博士号取得後は、日本のために仕事をしたいと語ります。

この新しいチャレンジも、今までのキャリアがあってこその選択です。

キャリアの最初の点は英語教師にあり、その次のいくつかの点はフルート時代に会った人々と共にあり、それがドイツにいる今の点につながっています。

転職といえばキャリアアップ、収入アップを目指すのが普通ですよね。でも僕は「年収3分の1の転職」をして人生が大きく開け、「生きていてよかった」と一番思えるのは青春時代ではなく今です。

「#51 あの選択をしたから〜年収3分の1の転職〜」より

ささきとおるさんが言う通り、年収が3分の1になって電気やガスを止められる状況に追い込まれてまで転職しようと考える人は多くないでしょう。
でも、お金という待遇だけに目を向けず、「その職場で何ができるか」を重視して前向きに行動し続けたからこそ、成功を掴むことができました。

自分が望むキャリアを描くためには待遇も重要なポイントですが、
「自分には何ができるか」
「自分は何が好きか」
「自分は何をやりたいか」
を意識して選択することで、ささきとおるさんのように「生きていてよかった」と思える人生を歩めるのかもしれません。

<ご紹介した記事>
「#51 あの選択をしたから〜年収3分の1の転職〜」

【プロフィール】
ささきとおる🇩🇪50歳からの海外博士挑戦
教育支援 AI ・自然言語処理/サックス&フルート|英語教師 → 楽器メーカー海外営業を経て、2023年8月より博士号取得のためドイツへ → 2024年5月よりオランダ🇳🇱アイントホーフェン工科大学|人間とAI の協働の最適解を見つけて「しあわせ」に貢献。

(文:秋カヲリ)

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エッセイスト・心理カウンセラー秋カヲリ
1990年生まれ。ADHD、パンセクシャル、一児の母。恋愛依存や産後うつなどを経験し、現在は女性の葛藤をテーマにしたコラムを中心に執筆。求人広告→化粧品広告→社史制作→フリー。2018年にYouTuberメディア『スター研究所』を公開、2021年に『57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室』を出版。

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