大手建設機械メーカーの話題の“ガンダム建機”、ASTACO開発ストーリー

2021年3月17日

“ガンダム建機(※)”の俗称でメカ好きの間で話題となった双腕仕様機「ASTACO(アスタコ)」。製造元の日立建機は、2005年の発表以降、ASTACOシリーズの後継モデルを開発に取り組んできました。

そして、改良の結果、より実用的な機能を備えて生まれたのが「ASTACO NEO(アスタコネオ)」。同機は、開発直後に起きた東日本大震災のがれき撤去作業で活躍。その量産モデルである「ZX135TF-3」の製品化へと繋がっていきます。

ザリガニのような見た目。生物のように自在に動く2本の腕。どんな発想のもと、このユニークな重機は生み出されたのでしょうか。「ASTACO NEO」「ZX135TF-3」の開発を担当した日立建機広報部・IR部の小俣貴之さんに、開発秘話を伺いました。

※建設機械のこと

自衛隊員が二度見する重機「ASTACO NEO」ができるまで

──小俣さんが設計に携わった「ASTACO NEO」はどのような背景で開発されたものなのでしょうか?

「ASTACO NEO」はその名の通り、日立建機が開発した双腕仕様機「ASTACO」の後継モデルです。「掴んで切る」「押さえながら引きはがす」など異なる作業を1台で同時に行うことを目的に開発された初代モデルを2005年に発表。以降、2本の作業腕を持つ建設機械をいくつか開発してきたのですが、そのシリーズのうちの1つという位置付けになります。

私は日立建機入社後、特殊な機械を設計する部署で8年ほど設計の業務を担当していました。「ASTACO NEO」の開発に携わったのは、本社の技術部に異動して、開発と営業のつなぎ役として、エンドユーザーの声を社内に伝える翻訳係のような立場ではたらいていたときです。

──機械を設計する部署から異動になった後だったんですね。

当時は多方面からくる問い合わせに対して応える「なんでも屋」だったんですよ。ある日、上司のところに「建物を壊した際の廃棄物を効率良く処理することができる重機が欲しい」という相談が舞い込みました。そこで、初代「ASTACO」に次ぐ新たな双腕仕様機開発の話が立ち上がったんです。

初代「ASTACO」の開発がちょうど別の企業に出向していたタイミングということもあり、上司から「やったら?」と声をかけていただいて。じゃあやります、と。

──前任者のあとを引き継いでASTACOシリーズの開発に携わったのですね。

そうですね。前任者は大のガンダム好きで、「ASTACO」の設計の中でも搭乗ドア(注:アニメのロボットのように前に開く)のデザインにそれが反映されていたんですよ。といっても、日立建機で設計を担当する同世代の社員にはガンダム好きは多いのですが(笑)。

初代「ASTACO」が発表された時、前任者の仕事を横目で見ながら「僕ならこうつくるな」などと考えてはいたので、いよいよ順番が回ってきたとワクワクしましたね。とはいえ、彼の開発したモデルよりもさらにアップグレードさせなければならないので、簡単ではありません。

初代「ASTACO」は弊社初の双腕仕様機、いわゆる「コンセプトモデル」のような位置付けです。そのため、実験的な部分が少なくありませんでした。たとえば、右腕と左腕がほぼ同じ大きさで、両腕の真ん中に運転席が設置されています。

同じ大きさの腕を2本搭載してパワーアップすると重心が前にかかり、機械全体の安定性が悪くなってしまいます。「ASTACO NEO」の開発にあたっては、通常の油圧ショベルと同等以上のパワーは維持しながら、がれき撤去作業時にコンクリートに埋め込まれた鉄筋をうまく抜きとるような器用さも持ち合わせていないとなりませんでした。

「ASTACO」

「ASTACO NEO」

そうした課題を克服し、機能・操作性ともにアップグレードされたのが「ASTACO NEO」ですね。のちに製品化した「ZX135TF-3」の基盤となるモデルとして2011年3月6日に発表しました。

──東日本大震災の直前ですね。

はい、直後の3月11日に震災が起きました。そのタイミングでの発表だったため、「被災地でがれき撤去作業用に動かすことはできますか」と問い合わせをいただきました。動かすには人も必要だし、その前に道が通れるのか、燃料は現地で調達できるのか、不具合が現れたら対応できるのか。数々の問題があり、すぐにというわけにはいきませんでしたが、5月には現地でがれきの撤去作業に使用することになりました。

──新たに開発された機械であることを考えると、2カ月というのは十分に早いですよね。

実は当時SNSで「今使わないでいつ使うんだ?」という声を目にして、確かにそうだなと、内心焚きつけられたんです。入念に準備をして現地に連れていき、現場で実力を示すことができホッとしましたね。

──どんな作業で活躍したのでしょう?

一番はがれきの撤去作業ですね。津波で押し上げられてしまったがれきは、コンクリートや鉄筋など異なる素材が絡み合って堆積しています。通常の油圧ショベルですと細かい分別は人の手で行わなければなりませんが、「ASTACO NEO」は「掴んで切る」「引きはがす」という作業を行うことができるため、機械のみでがれきを分別することができます。すると、処分場に持っていくまでの作業を安全に、早く行うことができるんですね。

また、車体は13トン、車幅も重機の中では比較的コンパクトなサイズなので、狭い路地に入り込んで作業をすることが可能です。2本の腕が見た目でも目立っていましたので、作業現場の近くを通った自衛隊員の人が二度見していましたよ。

東日本大震災の被災地で稼働する「ASTACO NEO」

──「なんだ、あの重機は」と(笑)。それだけ目立っていたんですね。

そのあと、防衛省にも導入していただいています。

──当時、双腕仕様機を開発している企業は他にも当時あったのでしょうか?

海外のロボットメーカーさんの中にはありましたが、実用のための機械ではありませんでした。日本の建設機械メーカーでは、日立建機だけでしたね。普通の建設機械メーカーの発想ではこのような重機はなかなか生まれないのではないでしょうか。

ゲーム機のコントローラのような2本のジョイスティック型の操作レバーを採用し、2本の腕を同時に、直感的に操作することができるなどアニメの中に出てくるようなロボットから着想を得た技術も搭載されています。つまり、ガンダム好きの開発者の夢が詰まった重機ということです(笑) その分開発者の思いは強く反映されているかもしれません。

──開発時に大変だったことは何ですか?

大変というか、開発者として頭を悩ませたのが費用面ですね。のちに「ZX135TF-3」として量産化していく計画があったので、売り物として成立させるために「ASTACO NEO」からは機能を削らなければならない部分はありました。

アニメで例えるならば「ASTACO」や「ASTACO NEO」は「ガンダム」で、「ZX135TF-3」は「ジム」なんですよ。スペシャルな機能を持ったガンダムの量産型として生み出されたのがジムで、敵方である「ジオン公国」との勝敗を決する分水嶺になるのですが……この話は長くなるのでやめときましょう(笑)。

──それはまた別の機会に(笑)。「ASTACO NEO」の開発にはどれくらいの時間がかかりましたか。

図面を描いているときから考えると2年ほどですね。そのまま使える部分は過去のASTACOシリーズやほかの重機から転用しつつ、新たに必要なものを別の部署に問い合わせたりしながらつくっていきました。2年でつくることができたのは間違いなく社内に技術の蓄積があったからですね。

上下関係もなく、メンバーがそれぞれのこだわりをぶつけながら開発した日々はかけがえのない財産ですね。今振り返ると、いち設計者としてあんなに幸せな時間はないと思います。

重機の設計者から伝道者へ。やりたいことは変わっていく

──小俣さんが最初にロボットや重機のような「メカ」に目覚めたきっかけは何だったのでしょうか?

一番最初にメカに興味を持ったのはガンダムがきっかけです。劇場版のガンダムのビデオテープをそれこそ擦り切れるほど見ましたね。親がゼネコンの設計技術士で、重機のミニチュアの隣にガンダムのプラモデルを家に並べていたので、その影響はあるかもしれません。

高校生になると、リアリティーがないということでガンダムへの熱は徐々に冷めていくのですが、現実世界でロボットに一番近い「メカ」として重機に興味を持つようになりましたね。

──そのような興味から日立建機に入社を考えたのですか?

そうですね、ロボットの設計を仕事にすることは難しくても、重機の設計を仕事にすることは想像できるじゃないですか。それに、人の役に立つロボットという意味では、ガンダムより重機のほうがイメージに近いので。高校時代には重機に関わる仕事をしたいとは思っていましたね。

──「好き」という気持ちからその仕事に就けたとしても、企業の中でやりたいことを実現するというのは簡単なことではありませんよね。小俣さんの経験から、実現するためのポイントを伺えますか。

まずは「好き」「やりたい」と言い続けること。私は重機の開発がしたいと学生時代から公言していましたよ。また、今いる場所が目標から離れているのであれば、まず共通項は何かを考えればいい。置かれた状況であきらめずに、小さくてもいいから何かしらつながる道筋がないかと探す。

SNSが普及して誰とでも簡単につながることができますし、若い人に取っては自由にチャレンジしやすい時代なんじゃないですかね。

──小俣さん自身は、今後日立建機でどのようなことをやりたいとお考えですか?

私は元々設計者として、つくりたいものをつくりたいという考えでやってきました。今思うとすごい身勝手ですが(笑)。予算などの制約があるとはいえ、自由を与えられてきたんです。「ASTACO NEO」をつくることもできたし、他のASTACOシリーズにも関わることができた。もうやりたいことはないかな、と思っていたら広報から声がかかった。

広報の仕事は、俯瞰的に会社というものを考えなきゃいけません。技術職から離れることへの寂しさはあったのですが、立場は違えど、機械や技術の魅力を伝えていきたいと思うようになりました。

たとえば、イベントなどで子ども向けに重機のデモンストレーションをすることがあります。つくり方も操作も知っているし、説明もできる。自分の仕事がつながっているように思えてうれしい瞬間ですね。

──また、設計の仕事をしたいと考えることはありませんか?

初代「ASTACO」の開発者は根っからの設計者で、自分の作りたいロボットをつくるために、独立したんです。私自身、彼のようにピュアにものづくりだけを考えるタイプではありません。やりたいようにやるといっても、どうしてもコストとか工数を考えてしまうので。彼のように「こうしたい」という思いを一切曲げずにものをつくれる人をうらやましく思うときもあります。

ですが、私は20代から作りたいものを作ってきて、今はやりたい人を陰から後押しすることに楽しさを感じている。やりたいことは変わるんですよ。40歳を過ぎて、「自分のやりたいことに言い訳してないか」と自問自答する機会は増えましたが、自信を持ってイエスと言えますね。今はものをつくるよりも周りの社員の成長が楽しいんです。

──小俣さんは、さまざまな経験を経て「今」やりたいことを実現されているのですね。

そうですね。ただ、私も一生技術者の端くれではありたいとは思っていますよ。それこそ定年後には自分でロボットづくりにも挑戦したいですね。

──おお、どんなロボットなのでしょう。

市場があるかわかりませんが、油圧式のパワードスーツを作りたいですね。やはりガンダム世代としては、生きているうちに当たり前にロボットが普及した世界を夢見ていますから(笑)

──そんな世界を、僕も楽しみにしています。

(文:高橋直貴 写真:小池大介)

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編集者/ライターハヤオキナオキ
広く、深く、いろんな現場に出没します。朝の取材が得意です。
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