オフィスは富士山頂! 天空の職場ではたらく人の悲喜こもごも

2021年4月6日

日本最高峰、富士山。昔から霊峰と称えられ、2013年に世界遺産になったこの山の頂を職場とする人がいます。それが、山小屋「頂上富士館」を営む店長・宮崎哲也さん。

「ここは標高3776m。日本でもっとも高いところにある山小屋です。この職場の良いところは毎日ご来光がすぐそばで上がること。ツライところは、酸素が薄いこと……ですね」

酸素が薄く、気圧も低い富士山の頂。下から登っていくと、森が消え、生き物も見なくなり、地上と隔絶された異界の景色が広がります。

「頂上富士館」を訪れる登山客のほとんどは、夕方に到着して一晩を過ごし、早朝になると山頂でご来光を拝み、そして帰っていきます。

登ってきた登山客をお迎えし、元気な姿で送り出すのが宮崎さんの仕事。でも、山頂に水はなく、電気もなく、スーパーも病院もなく、あるのは絶景と砂の大地だけ……。一体どうやってはたらいているの? 天空の職場の悲喜こもごもを宮崎さんが教えてくれました。

頂上富士館のみなさん。宮崎さんは左から2番目。

2カ月間にわたって富士山頂に単身赴任

──「頂上富士館」はいつからあるんですか?

今から100年ほど前、つまり明治のはじめに浅間大社とのご縁から誕生したと聞いています。浅間大社というのは、富士山麓に数多くある浅間神社の総本社のこと。ぼくは2008年、32歳のときに結婚し、妻の実家の家業だったこの山小屋を継ぎました。

同時に、もうひとつ継いだのが布団屋さん。下界では浅間神社の横で布団を売っているんです。冬は下界で布団屋を切り盛りして、夏は山頂の山小屋へ。そんな暮らしになってもう10年。一見全然違う商売だけれど、実はどちらも休息にまつわるサービスです。こうした季節労働のような兼業は山小屋業界では珍しいことではなくて、たとえば農家を営んでいる人なども多いですよ。

──山小屋にはどのくらい滞在を?

7月1日の山開きに合わせて登って、9月10日の閉山までずっと行きっぱなしです。いわば単身赴任ですね。下界とはずいぶん環境が違うので、最初は大変でした。

まず、酸素が薄いんです。富士山山頂の酸素濃度は下界の6〜7割といわれていて、下界の感覚で動いているとすぐにクラクラしてしまいます。走ることさえできない世界だから、行動も下界の6割くらいにとどめています。

──そんなところに2カ月も!過酷だ…。

山小屋の朝は早い!はたらく人のスケジュール

富士山のシルエットが雲海に映る「影富士」

──宮崎さん、山小屋の仕事についても教えてください。

「頂上富士館」には、大きく分けて「宿泊・食堂・売店」の3つのサービスがあり、毎年5名くらいのスタッフで切り盛りしています。1日のスケジュールはこんな感じです。

2:30 起床 

3:00 スタッフたちも起床 朝食準備

4:00 お客さま起床 朝食

5:00  日の出 食堂と売店の準備

5:30 食堂と売店がオープン

15:00 食堂と売店をクローズ

15:00 宿泊準備

16:00 宿泊客の受付

17:00 夕食

19:00 館内消灯

20:00 スタッフ就寝

──宮崎さんの1日は午前2時半から始まるんですね。

はい。まず火をつけて、朝食のためのお湯を沸かすところからスタートします。山頂がもっともも混み合うのは日の出、つまりご来光のとき。太陽がすっかりのぼった朝7時にはみんな下山をはじめます。

──下界ではようやくみんなが起きだすころです。山頂では時間が前倒しで進んでいるのですね。

水なし、電気なし…インフラのありがたみが身にしみる

頂上富士館の食堂

──富士山の山頂といえば、気になるのがインフラ。水道管も送電線もない中で、どうやって山小屋の運営を?

本当に山頂には何もないので、インフラのありがたみが身にしみるんです。まず、一番大切なのが「水」。どこの山小屋を見ても、雨水確保のための工夫はすごいですよ。うちでは屋根をつかって雨水を集め、樋(とい)に流してタンクに貯めています。

あと2日雨が降らなければ水が尽きる……もうだめかもしれない、ということもザラなので、雨が降るとスタッフ一同、大喜びです。そんな命の水なので、湯船に湯をはれるのは2週間に1度。普段は桶一杯分の水を使って顔と頭を洗い、体を拭く程度です。

そんな状態なので、入山するときはいつも頭をスポーツ刈りに。坊主なら少しの水で身綺麗にできますから。いつもそれで「山スイッチ」がONになります。

──では、電気やガス、通信は? 

電気は発電機を使っています。ただ、雷が落ちると壊れちゃうから、ゴロゴロ……と聞こえた瞬間にスイッチオフです。ガスはプロパンガスを下界から運んできています。通信は携帯3社のアンテナとWi-Fiを完備しているので、ネット接続はそれほど困りません。

──では、食料は? もしや、誰かが背負って?

いえ、さすがに運ぶのはブルドーザーです。1日1回、5合目から山頂を2〜3時間かけて運行するブルドーザーの定期便があるんですよ。毎日、食堂に置くカップ食品、売店で販売するお土産、スタッフ用の食料などを運んでくれています。

山頂には病院がないので、調子を崩したスタッフが下界に降りるときもブルドーザーに同乗します。通院のための下山で一番多いのが、虫歯。風邪は寝てれば治るけれど、歯の痛みは我慢できません。なので、入山前は歯をきちんと治していくようにしています。

ブルドーザーで物資を運搬する様子

「下山病」にかかる!? “山小屋スタッフあるある”

──山小屋って定休日はあるんですか?

基本的にはないんです。晴れていれば毎日営業。でも、たとえば台風が来ると登山道が閉鎖されるので、それが僕らの休日です。山頂を襲う台風はだいたい風速50m級。爆風がドオンドオンと吹き付けて小屋を揺らして……強烈ですよ。

そんな日はそれぞれ部屋にこもって、たくさん持ってきたDVDを見たり、本を読んだりして自由に過ごします。

台風の日もそうですが、山小屋での生活は1人で過ごす時間が長い。そういう意味で、この仕事は「山が好きな人」というより「孤独に耐えられる人」が向いているかも。実際、いま一緒にはたらいている面々は一匹オオカミのタイプが多いですね。

──下界が恋しくなったりはしませんか?

なります! “山小屋スタッフあるある”なのが「下山病」をわずらうこと。高山病は酸素が薄くて頭が痛くなる病気ですが、下山病は山を降りたくてたまらなくなるホームシックな病気なんです(笑)。

閉山が近づく8月の終わりになると、山小屋のスタッフたちはそわそわしはじめて、みんなでカレンダーを見ながら、あと10日、あと9日……って下山する日をワクワクしながら待つんです。このときが一番楽しかったりして。

登山経験ゼロ! 学習塾の先生から山小屋の主人に転身

オンラインでインタビューに答えてくださった宮崎さん

──ところで宮崎さん、32歳で家業をつがれたとのことでしたが、それまでは?

静岡で塾の講師をしていました。山小屋のオーナーの義父が体調を壊していたこともあり、6月に今の妻と結婚式をあげてから、2週間後には富士山のてっぺんにいました。

よく「登山が好きだったのか」と聞かれるのですが、実は富士山はおろか、山登り自体をほとんどしたことがなくて。山小屋に着いたときも、「あれ、なんか体調が悪いなぁ……」と思っていて、高山病だったと後で知りました(笑)。義父と入れ替わりで入ったので、長年勤めてくれているベテランスタッフに仕事を教わる日々でしたね。

──塾の先生から山小屋の店長へ転身とは、またすごいギャップ。一度も経験したことのない業界への転職、葛藤はありませんでしたか?

実はまったくありませんでした。義父が倒れて、「今やらずにいつやるの?」っていうタイミングだったんです。勢いは大事。頭で判断してると、絶好のタイミングを逃してしまうから、思い立ったら吉日です! 

それに、塾講師と山小屋の仕事ってまったく関係がなさそうだけど、今にして思えば、実は共通点も多いんです。当時、たくさんの生徒たちを見て、「あれ?この子、元気がないな」「どうしたんだろう、顔が暗いな」と思う子がいたら声をかけていた。その習慣が、今は登山客の危機を察知する能力として生きていると感じています。

というのも、登山者はハイになっていて自分の体調不良に気づかないことが多いんです。もし高山病になっていることに気づかずに一晩山頂で寝ると、さらに血中酸素濃度が下がってしまう。苦しい思いをするばかりでなく、下手をすれば命に関わります。

だから、「この人、体調が悪そうだな」「顔色がおかしいな」と思ったら、一刻も早く下山してもらわなければなりません。キャンセル料はいらないから、とにかく降りてくださいとご案内します。

高山病まではなくても、思いつめた表情の人が登って来ることもあります。富士山は今も信仰の場であり、悩みを抱えた人もくる場所なんですね。ぼくにできることは少ないけれど、せめて熱いお茶を出したり、声をかけたり。ちょっとでもホッとしてもらえたらと思います。

塾で養った目が、今では登山者の様子を観察する目になりました。人生、無駄なことはありませんね!

下界のスイーツ1000円分は、山頂で1万円分!?

頂上富士館の売店

──山小屋ではたらいていてうれしいことは?

ぼく、接客が大好きなんです。宿泊客との交流は楽しいですね。ぼくらはもうご来光を見慣れてしまったけれど、皆さんから「感動した」という話を聞くと、やっぱりジーンとします。

リピーターのお客さんが来てくださった時もうれしいですね。甘いものを差し入れてくださったりするので、もう大喜び。下界のスイーツ1000円分は、山頂では1万円分くらいの価値に感じます(笑)。甘いものが喜ばれるのは、どこの山小屋もそうじゃないかな。これもきっと“山小屋スタッフあるある”ですね。

──今度登山をするときはスイーツを持って登ります!ほかにも印象に残っている差し入れってありますか?

「頂上富士館」で植物や魚を育てようとしたことがあったのですが、空気が薄いせいか、なかなか長生きできなくて。いてくれたらすごく癒されるんだけれど、かわいそうなことをしました。

そんな話をしたら、「これならどうだろうか」とブルドーザーの運転手さんがカブトムシをくれたんです。ドキドキしながら育ててみたら、このカブトムシ、めちゃくちゃ生きました。

下山の時に野に放したからもういないんですけど、その流れでお客さんから立派なクワガタをいただいたりもして。スタッフが持って帰っておうちで育てていますよ。

──まさかカブトムシやクワガタも富士登山をしていたとは……!

実際のカブトムシの写真。

山小屋とは何気ないことのすばらしさに気づく場所

──9月10日、いよいよ下山したら、その日はどうやって過ごすんですか?

みんなで富士山麓にある焼肉屋さんに駆け込みます。山小屋ではアルコールを飲むとすぐに酔いが回って調子が悪くなるのでほとんど飲まないのですが、下山したら話は別。冷えたビールで流し込む焼肉は最高です。その後は駆け足で健康ランドへ!

──待ちに待ったごはんとお風呂なんですね。

大地に足がついた瞬間、テンションはMAXです。下界にいるときはわからないけれど、何気ないことがありがたいことだったんだと気づかされます。下山するときに一番最初に感じるのは「緑の匂い」と「音」なんですよ。富士山の頂には森がなく、どこまでも無音なので、慣れるまでちょっと怖いんです。

そういう何気ない香りや音のこと、水や電気があること、おいしいごはんが食べられること、酸素を気にせず猛ダッシュできること。今にして思えば、山小屋って、普段は気づかないそうしたことのありがたさを知ることができる場所なのかもしれません。

いま、富士山が迎えつつある新時代

富士山からのご来光

──コロナ禍がつづいていますが、今後の営業はどうなるのですか?

去年はコロナの影響でオープンできませんでしたが、今年はやります。県でも、登山口で体温検査を行うなどの感染症対策ガイドラインを策定してくれました。うちの定員は170名ですが、今年は7割以下に抑えることも決めています。

どんな山でも「山頂」ってやっぱり特別なスポットで、そういう意味では、ぼくの職場は富士山のすばらしさを世界に向けて発信するのにうってつけの場所だと感じています。

富士山が世界遺産になってから、コロナで渡航が制限されるまでは外国のお客さまも増えていました。食堂ではいろんな国籍の言葉が飛び交っているんです。みんなで「どこから来たの?」って話して、一緒に写真をとって。楽しいですよね。日本の象徴である富士山が今、国際交流の場になって、あらたな進化を遂げつつあります。

これからも富士山のてっぺんから、この山の魅力を、日本の良さを発信していきます!

(文:矢口あやは 写真提供:頂上富士館)

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ライター・編集・イラストレーター矢口あやは
大阪生まれ。雑誌・WEB・書籍を中心に、トラベル、アウトドア、サイエンス、歴史などの分野で活動。2020年に一級船舶免許を取得。

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