語学力ゼロ、業界未経験からケニアで起業。就活60社落ちした河野リエさんが「RAHA KENYA」を立ち上げるまで

2021年8月3日

色鮮やかで個性的なデザインのアフリカ布を使ったアパレルブランド「RAHA KENYA(ラハ ケニア)」。

立ち上げたのは、2018年からケニアで家族とともに暮らす河野リエさんです。「アフリカで起業」と聞くと、高い志で入念な準備をしていそうですが……。河野さんの場合、夫に帯同してケニアに移住したことがきっかけでした。

決して主体的とはいえない始まり。しかも、20代のころは就活で挫折し、職を転々としながら、なりたい自分を探す日々を送っていたといいます。

「20代のころは仕事に夢中になっている同級生たちがキラキラして見えた」と話す河野さん。劣等感の塊だったという彼女は、どのようにして「RAHA KENYA」の立ち上げに至ったのでしょうか。

就活で60社落ち。“正規ルート”から外れた人生へ

──アフリカにいらっしゃる方を取材するのは初めてです。こうして会話しているのが少し不思議ですね。今そちらは何時ですか?

日本とケニアの時差は6時間なので、今は朝の9時ですね。

──朝イチからすみません……。「RAHA KENYA」の調子はいかがですか?

1人で小さくはじめたブランドですが、おかげさまで少しずつ成長していて。

今はケニア在住の日本人の社員が2人。あとは20人ほどの現地のテーラー*さんと取引をしています。アイテムもパソコンケースからはじまって、今では約40種類のアイテムを製造しています。

*テーラー…洋服の仕立て屋

ケニアのテーラーとして活躍するウィリアム。自作のパソコンケースと一緒に。

──順調ですね。今は海外起業家として活躍する河野さんですが、20代の頃はキャリアに悩む時期が長かったんですよね。就活で60社から落とされたとか。

大学まではエスカレーター式だったので、そんなに苦労することもなく、人生がイージーモードだったんですね。でも、就職活動のときに初めての挫折を経験しまして……。

とにかくミーハーで、周りから「すごいね」って言われたいという気持ちもあって、大手に就職してバリバリはたらきたいと考えていました。キャリアウーマン=営業というイメージがあったので営業職、その中でもMR(医療営業)を中心に受けたのですが全滅で。

「かっこいいから」「なんか楽しそう」くらいの理由だったので、落とされて当然ですよね。それで、結果的に60社落ちました。

──本気じゃないのが見抜かれてしまったんですかね。

「浅いなー」って感じだったんでしょうね(笑)。

学生時代はいろいろな仕事を経験したいと思ってバイト三昧だったのですが、どんな環境でも与えられた仕事はできるという過信があって。「なんでこんなに面接で落とされるんだろう。1日でもはたらかせてくれたら諦めつくのに」って当時は思っていました。

私はとにかく「経験したい」という気持ちが強くて。たくさんの経験をしたいからアルバイトは1年で辞めるって決めていました。一時期はあまりに「経験したい」がために派遣の会社にはいって、日雇いの仕事で次はどこの工場に行くのかなー、と楽しみにしてたくらいで。

──当時から好奇心旺盛だったんですね。

そう思いますね、自分でも。なかなか行動に移せない人っていますけど、私はもう行きたい、学びたい、見たいって感じで。でも表面が分かっちゃうと満足しちゃうタイプで、そんなに深追いしない。

就活の面接では「好奇心旺盛」だけど「飽きっぽい性格」とも話していました(笑)。

なりたい自分を探し続けた20代

丸の内OLとしてはたらいていた頃の河野さん

──最終的に河野さんは新卒で介護職に就いたんですよね。

「やばい、このまま何もないまま卒業してしまう」と焦って、ようやく本気で自分が何に興味があるのかを考えはじめました。それから、家族の介護が将来できるようになりたいと考えて、介護職を選びました。今思えば一番志望理由がちゃんとしていましたね。

でも、結局1年で辞めてしまいました。

──せっかく安定した仕事に就いたのに、なぜ辞めようと?

よく「3年ははたらかなきゃいけない」とか言うじゃないですか?私も自分の中では3年は続けるぞと思って入社して、実際、介護の仕事はすごく楽しかったんです。でも、基本の技術を身に付けたら、その先の目標が見えなくなってしまった。仕事がただの作業になってしまいそうだなと感じました。

続けたほうが生活が安定するのは間違いないですが、環境を変えないと自分がダメになってしまいそうで怖かったんです。

そもそも就活で60社落ちた時点で自分の人生は“正規ルート”から外れたなと思いましたし、もう怖いものがなくなったというか。「落ちこぼれと思われているんだから、もう何でもやってしまえ」みたいな気持ちでした。

──もう私にキャリアもなにもないだろ、みたいな。

そうそう。だから自分の思うように動いてみようと思ったんです。

──大学の同級生は徐々に仕事に慣れて活躍しはじめるタイミングですよね。

周りの同級生がキラキラして見えて、うらやましい気持ちもありました。夢に向かっていれば私もキラキラできるって思っていたんですが、何かを目指して頑張っている間は安心できても、それがいざ職業になると考えると直感的に違うなと感じてしまったんですよね。

それから、2年半ほどフリーターをしながら教師を目指して通信制の大学に通ったのですが、教育実習の段階で何か違うなと思い。結局、丸ノ内の不動産会社ではたらくことになりました。

一般職でしたが総合職に近い仕事をさせてもらえて、思い描いていたキャリアウーマンの理想像に1番近づけた瞬間でもありました。ここでは3年続きましたね。 この職場でケニア移住のきっかけになった、今の夫と出会ったんです。

ワクワクを求めたケニアの地で、第2の挫折

ケニアの首都、ナイロビ

──運命の出会い、ですね。

付き合っている頃から夫は「海外で起業する」と言っていたので、この人について行ったらいい意味で先が見えない人生を送れそうだなと思っていました。結婚して海外に移住しようと言われたときは、「行く、行く」と即答でしたね。

──海外移住の話を聞いて不安はなかったんですか?

このまま日本で結婚して、出産して、家や車を買ってというような先が見えてしまう生き方よりも、海外に移住して先がまったく見えない生き方のほうが面白いだろうな、ワクワクするだろうなと思ったんです。

仕事はすごく楽しかったのですが、3年目で慣れたこともあって次のステップがまた見えなくなってしまっていて。

そんなときに、結婚してケニアに移住することになり、何かを変えるチャンスだと思いました。

──当時、30歳。ケニアには期待していたワクワクはありましたか?

最初は治安が悪いと聞いていたので外に出るのも怖いし、英語も話せない。家に引きこもっているのに友達からは「ケニア移住すごいね」なんて言われて、情けない気持ちになりました。

「ケニアにいるのに私何やってるんだろう」とだんだん思うようになって……。

ガードマンやタクシーのドライバーから「なんでケニアにきたの?」「あなたは何ができるの?」と聞かれても何も答えられなくて。私は夫についてきただけで自分では何もできない。誇れるスキルもなくて無力なんだと気付かされたんです。

──就活に続く、第2の挫折ですね。

何かやりたいことを探そうとしましたが、何をやりたいかもわからない。やりたいことを思いついても「でも、こわいな。できないな」とかボソボソ言ってたんです。

そしたら夫から、「できない理由じゃなくて、できる理由を探せばいいじゃん」と言われて、自分の心にぐさっと刺さるものがあって。それからは「やりたいことを全部やってみよう」って思うようになったんです。 試しにブログやYouTubeもしてみたけど何か違う。それでとりあえず、現地の人が何を考えているかを知るために、東アフリカを旅しようと思い立ちました。

アフリカ布に魅了され、ブランドを立ち上げ

ナイロビの布屋で生地を選んでいる様子

──その旅で出会ったのが、アフリカ布?

そうです。旅の中で、個性的なアフリカ布を纏った女性たちに目がいくようになったんです。すごく派手な色や柄を纏っているんですが、みんな「これが私よ」と言わんばかりに自分を表現していてかっこいいなと思いました。

アフリカ布を身につけたら、もしかしたら私も自信が持てるんじゃないかと思って、自分用の洋服を1着仕立ててもらいました。そうしたら、自分でも驚くくらい気持ちが前向きになれたんですよね。

それで昔の自分みたいにモヤモヤした気持ちを抱えている人や、自信がなくて一歩踏み出せない人に、アフリカ布を通して前向きな気持ちを届けたいと思って、アフリカ布を使ったアパレルブランド「RAHA KENYA」を立ち上げました。

「RAHA」はスワヒリ語で「Be Happy」という意味です。

──ブランドを立ち上げるにも、アパレルは未経験だったんですよね。

まったくの未経験で。今思えば、知識がないからこそ無謀なことができたのかなと思います。

ブランドを立ち上げようとしたら、本来は生産してくれる工場を探したり、ECを立ち上げたりすると思いますが、英語で交渉なんてできないし、ECをゼロから立ち上げるお金もない。

「ああ、やっぱり無理かな」って思ったのですが、こんな自分でもできることは何だろうと考えて。

それで、テーラーさんを探すために、マサイーマーケットというクリエイターが自分で作った物を売る市場へ行ってみました。当時作りたいと思っていたパソコンケースのサンプルをいろいろな人に見せて、「これ作れる?」と聞いて。

「作れる」と言った人に電話番号を教えてもらい、あとは翻訳サービスを利用しながらメッセージのやりとりをして、1人のテーラーさんが決まりました。

ナイロビのマサイーマーケットにて

──行動力がすごいですね。

ほかの方法が分からなかったんです(笑)。

物ができたら、今度は売ることを考えないといけないですが、私の場合は最初はTwitterを使った販売からスタートしました。製作工程をTwitterで発信していたら、「予約したい」と言ってくれる方がいたので、DMでやり取りしたり。だんだんTwitterではカバーできなくてなってきて、その後ECに移行しました。

──自分ができることからやっていく、と。

とりあえず、目の前の小さなことをやって、少しずつ壁を乗り越えてきたという感じです。

何か事業を立ち上げようと思って大きなものを描くより、目の前にある自分にできることに取り組んでいけば、いずれは大きなことにつながっていくはず。それは今もすごく大事にしています。

「あなたは今、幸せ?」。ケニアで学んだ自分の人生を楽しむことの大切さ

Tシャツを製造している工場のスタッフと

──ケニアに行ってから仕事観に変化はありましたか?

良い意味で衝撃的だったのが、ケニアの人たちは「自分が幸せかどうか」をすごく大事にしていること。

日本にいたときは、自分が多少犠牲になっても会社のためにできることをしないければという気持ちがあったんですが、ケニアは違うんですよね。「あなたはハッピーなの?」「楽しんでる?」と質問されたときに、私も自分の幸せを考えていいんだと思って。

自分も周りもハッピーでいられることを大事にしていて、ストレスフリーでプライベートも大事にしながら仕事を楽しんでいるのが、ケニアのいいところだなと感じています。

──今後、「RAHA KENYA」としてどんな展開を考えているんですか?

ブランドには「誰かが一歩踏み出すきっかけにつながってほしい」という想いを込めていて。日本のお客さまに対してはある程度叶えることができているのかなと感じています。でも、ケニアではどうだろう、と。今後はケニアでも一歩踏み出すきっかけを提供できるブランドとして成長させていきたいと考えています。

具体的に何ができるか、今まさにリサーチ中です。ケニアで雇用を生み出したり、彼らが収入を増やして夢を叶えたりというのはこれまでもできていましたが、もっと何か、ケニアの人たちに還元したい。社会問題の解決につながる何かがができたらいいなと考えています。

もともと国際協力にはまったく興味なかったんですけどね(笑)。ケニアでビジネスをする中で自分の目で見て、何かできることないかなという気持ちが出てきました。

(文:村上佳代 写真提供:河野リエ)

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編集/ライター村上佳代
ビジネス系やインテリア系のインタビューをしつつ、企業媒体の企画制作をしてます。ようは雑食。趣味はドラマの伏線分析。

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