元アナウンサーが地域課題の解消に一念発起!北海道・弟子屈町で地域おこし協力隊に転身したわけ

2022年4月6日

はたらき方の多様化が進む昨今。雇用形態や場所、そして肩書きにとらわれず、自分のやりたいことを追求したいと考える人は少なくないでしょう。

北海道文化放送のアナウンサーだった川上椋輔さんもその1人。川上さんが北海道・弟子屈町の地域おこし協力隊員になるという、大胆なジョブチェンジを果たしたのは2020年秋のことでした。

子どものころからの夢だった職を捨ててまで、地方創生に取り組むことになったのは一体なぜか――?その背景には、川上さんがアナウンサー時代に感じていたジレンマと、ローカルで見つけた新たなやりがいがありました。

新たなはたらき方を選んだ川上さんに、決断の経緯と近況をお聞きしました。

アナウンサーという立場に感じた限界

―まずは川上さんがアナウンサーを目指したきっかけから教えてください。

最初のきっかけは、2004年のアテネオリンピックでした。当時、僕はまだ小学生でしたが、男子体操の団体決勝で、今でも名実況として語り継がれている「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」(※元NHKアナウンサー、刈屋富士雄氏によるもの)という言葉を聞いて、なんて恰好いいんだろうと感動したんです。

そして決定打になったのが、2011年の東日本大震災です。当時、僕はまだ中学生で、宮城に住んでいたので2~3週間もの間、電気が止まりました。やっと復旧してテレビをつけたときに、報道番組で各局のアナウンサーたちがレポートしているのを見て、「ああ、日常が戻ってきたんだな」と感じたんです。

日ごろはあまり気に留めることはなくても、アナウンサーがいかに人々の生活に溶け込んでいるかを実感し、それ以来、将来の目標として意識するようになりました。

――経歴を紐解くと、川上さんは宮城県で生まれ、その後は茨城県や神奈川県での生活も経験されています。アナウンサーとしての就職先が北海道だったのはなぜですか?

地元の宮城で就職したい想いも当然ありましたが、地方局は男性アナウンサーを毎年採用しているわけではないんですよ。そこでいろんな局を受けた中で、たまたまご縁があったのが北海道文化放送だったということです。

ただ、これはアナウンサーとして地域課題と対峙してあらためて感じたことですが、北海道は宮城県以上に多くの問題を抱えていますし、その分、興味深い取り組みもたくさん行なわれています。だから北海道でキャリアをスタートしたことについては、結果的には非常に良かったと思っているんです。

アナウンサー時代の川上さん

――ではそのアナウンサー時代、特に印象的な仕事を挙げていただくとすると?

一つはやはり、2018年の北海道胆振東部地震でしょうね。東日本大震災を経験した身として震災報道には特別な気持ちがありますし、なかでも液状化で大きな被害を受けた札幌市内の里塚地区は、1年くらい張り付いて取材しました。

その際に感じたのが、報道の無力さでした。というのも、被災地で何が起こっていようとも、僕らは結果しか伝えることができないんですよ。たとえば家が傾いてしまったのに保険の適用外で困っている人がいても、テレビがやれるのは問題提起くらいのものです。もちろんそれだって大切なことですが、個々の事象をつまみあげて報じることしかできない立場に、どこかやきもきしていたのも事実です。

また、別の機会で道内124箇所の道の駅すべてを訪ねてまわる「道の駅完全制覇プロジェクト」を担当したときも、同じようにやきもきした気持ちになりました。この番組は僕が心の底からやりたかった企画で、本当に良い経験をさせてもらったプロジェクトですが、その時々の地域の取り組みをいくら紹介しても、それは“点”に過ぎません。放送の翌日以降も頑張るのは結局、当事者の人たちなのだなと、どこか引っ掛かるものを感じていたんです。

キャラバン撮影を行っていた当時の写真

――アナウンサーの立場では関われない部分に関心を強めていった、ということでしょうか。

そうですね。おそらくその原体験は3.11のときのボランティア活動にあって、地元の人に「街というのはそこに住んでいる人が、“それでいい”と思った街にしかならないんだよ」と言われたことが、ずっと心に残っているんです。つまり、外から来たボランティアがどれだけ頑張っても、それだけでは根本は変わらないよ、という意味です。

これは突き放されたような気がしてショックだった半面、すごく深い意味を感じる言葉でもありました。里塚地区にしても道の駅にしても、マスメディアの立場からどう報じたところで、主役はあくまでそこで暮らしている人たちですからね。

――それが地域に地域おこし協力隊員を目指したきっかけに?

要因の一つだったとは思います。決してアナウンサーの仕事にやりがいを感じていなかったわけではありません。それでも、そうしたいくつかのピースが積み重なった末に、アナウンサーという枠組みを取っ払うことでやれることがあるはずだと強く思うようになり、2020年8月に退職を決意しました。

退職後も北海道にとどまる決意をした理由

――北海道文化放送を退職した後、川上さんは弟子屈町で地域おこしに取り組んでいます。地方創生にはもともと関心をお持ちだったのですか?

局アナ時代に北海道各地の事情に触れたことももちろんですが、遡れば中学生時代の一時期、茨城県つくば市で暮らしていたことが関係していると思います。つくば市は研究学園都市として知られているように、クラスメイトのほとんどが医者や研究者、学者の子どもばかりです。自ずと学力レベルも高く、僕はいつもクラスの真ん中くらいの成績が精一杯でした。

ところが、中学3年生でまた宮城に戻ると、途端に成績が学年トップになったんです。これは地域差を体感させられた出来事で、住んでいる場所や環境が違うだけでこれほど学力レベルが異なるのかと、びっくりしました。次第に、この格差をこのまま放置していていいのだろうかと、自然と地域課題に目が向くようになりましたね。

――しかし、もともと地方創生への強い想いがあったとはいえ、アナウンサーを辞めるのは一大決心だったのは?

それはもちろんそうです。ただ、北海道胆振東部地震以降はずっと頭の片隅に転職という選択肢がちらついていて、コロナ禍がそれをダメ押しした形です。特に、東京のキー局で報道番組のキャスターが早い段階でコロナに感染し、世間からバッシングされているのを見て、「今後は自分たちの取材活動もかなり制限されることになりそうだ」と感じたことで決意が固まりました。それなら自由に動ける立場になろう、と。

―そうして退職を決意されたあと、地域おこし協力隊員になろうと思ったきっかけは?

実は当初は、退職後は学生時代に縁のあった神奈川県へ行って、鎌倉で街づくりのノウハウを学ぶつもりでいたんです。ところが、たまたまテレビで「道東テレビ」の取り組みを目にして、考えが変わりました。

「道東テレビ」は網走郡津別町を拠点に、映像を使って地域活性化に取り組んでいるメディアです。取材活動は単なるスタート地点にすぎず、その後のコミュニティづくりや地域おこし活動がむしろメインで、これこそが“点”で終わらないメディアの在り方だと、胸を打たれたんです。幸い、代表の方とは面識があったので、退職のタイミングですぐに「お話を聞かせてください」と連絡をとりました。

それがきっかけで「道東テレビ」をお手伝いさせていただけることになり、津別町についていろいろ調べていたところ、お隣の弟子屈町で地域プロモーション部門の地域おこし協力隊員を募集しているのを知り、応募を決めた大まかな流れです。つまりいろんな偶然が重なって弟子屈で暮らすことになったわけですが、北海道の魅力や可能性はよく理解していましたから、これは僕にとって幸いなことでした。

いま一番困る質問は「ご職業は?」

――川上さんが弟子屈町へ移住し、地域おこし協力隊員となっておよそ1年半になります。現在の活動内容を教えてください。

地域おこし協力隊員として、地域プロモーションのためのYou Tube制作を行なう仕事がまず1つ。収入はこの隊員としての報酬がメインになります。ただ、立場的にはあくまで個人事業主なので、ほかにも空き家活用の一環でコワーキングスペースを運営したり、移住・定住の窓口業務や管理業務を行なったり、イベントなどの司会業や講演活動などなど、活動は非常に多岐にわたっています。だから正直、「ご職業は?」と聞かれるのが一番困ってしまうんですよ(笑)。

――弟子屈町は今、どのような課題に直面しているんですか?

いろいろありますが、分かりやすいのは観光産業でしょう。コロナ禍でインバウンド需要も見込めない現在は、壊滅的な状況です。川湯温泉という古くから知られる温泉街にある温泉宿も、十数軒あったのが今や3~4軒まで減ってしまいました。でも、この原因はコロナ禍だけではありません。知床が世界遺産になったり、釧路の阿寒湖が人気を呼んでいたりして、弟子屈に観光客がとどまらなくなっていることも大きいです。

弟子屈町の冬(川上さん撮影)

――そうした状況の中で、川上さんは弟子屈町のどんなところに可能性を感じていますか?

SDGsやサステナビリティが注目されるようになってきたことで、手つかずの自然をふんだんに残している弟子屈町は、これからあらためて見直されるのではないかと思っています。国立公園も美しい湖もあり、今この時代だからこそ発揮できる魅力が弟子屈町にはあるはずです。

実際、弟子屈町は移住希望者が多いことでも知られているんですよ。ただし問題は賃貸物件が不足していて、住みたい人はいても住む場所がないことです。一方ではご多分に漏れず空き家問題も抱えているというミスマッチが起きているので、このあたりの住居開拓は直近の課題だと思っています。

――この1年半、川上さんはまさにそうした課題の解決を目指して取り組んでこられたわけですが、ここまでの活動について手応えはいかがでしょう。

地域のプロモーションのためにやっているYou Tubeには、非常に手応えを感じていますよ。登録者数が現在3260人(※2022年3月22日現在)で、これは弟子屈町の人口の半分ほどに相当します。これほど地域の人に視聴してもらえているのは、自治体が運営するチャンネルとしては全国でも稀有な事例だと思います。

何より、僕らだけでつくっているのではなく、情報を提供してくれる住民の皆さんと一緒に作っているチャンネルであるのが特徴です。街の人が自ら出演し、街の魅力を語り、それが全国に発信されるという、理想的なサイクルが生まれています。

「弟子屈町公式チャンネル」の動画の一例

――アナウンサーとして培ってきたスキルや知見が、存分に発揮できるフィールドでもありますね。

そうですね。カメラの前で話すのは慣れっこですから、今は街の広報として、自分にできることを精一杯やらせていただいています。アナウンサー時代との最大の違いは、You Tubeで情報を発信すると、街の人からすぐに反応が返ってくることで、これがたまらなく楽しいんです。それに、地域に密着したメディアなので、取材相手のその後も引き続き追うことができるので、番組がその人にどのような影響を与えたのか、すべて把握できます。これはまさにアナウンサー時代に求めていたものですから、やり甲斐がありますよ。

――川上さん自身、すっかり弟子屈町という環境に魅了されている感じですね!

おっしゃる通りです。弟子屈は道内でも比較的温暖な地域で、冬は雪が少なく、夏は涼しくて過ごしやすいのが特徴です。それに加えて周囲の自然や街並み、人々の温かみなど、どこをとってもこれに勝る生活環境はないのではないかと本気で感じていますよ。

地域おこし協力隊としての任期は来年までですが、その後もこの街で活動するつもりで今、会社を設立したり、お店をつくったり、いろいろ準備を進めているところなんです。引き続き、自治体の業務を民間の視点で動かしていくような活動を続けて、良い意味で街にコミットしていければ最高ですね。

(文・友清哲 写真提供・川上椋輔さん)

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ライター&編集者友清哲
紙もWebもオールジャンルで寄稿中です。主な著書に『日本クラフトビール紀行』『物語で知る日本酒と酒蔵』『作家になる技術』『消えた日本史の謎』『一度は行きたい「戦争遺跡」』ほか。
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