鎌倉に熱狂を――。アルゼンチン帰りの若きサッカー指導者が歩む異端のキャリア

2023年10月31日

サッカーチームの監督といえば、引退したプロ選手が資格を取得したのちに就任するというのが一般的なキャリアパス。しかし、鎌倉インターナショナルFCで監督(※)を務める河内一馬さんはまったく違ったやり方で指導者の道を歩み始めました。河内さんは25歳のときに指導者を目指してアルゼンチンに渡り、南米サッカー連盟が定める国際Aライセンスを取得。帰国後の2021年に監督に就任し、クラブチームの運営に取り組んでいます。

プロ選手を経由しないそのキャリアと同様に、彼の描く監督像も独特です。「サッカークラブは格好良くあるべき」という考えからクラブのブランディング責任者を兼任。「仕事はピッチの中だけにとどまりません」と語る通り、クラブのクリエイティブも指揮しているのです。

河内さんがこうしたはたらき方を選んだのは、自分にしかできない仕事を実現するためだったといいます。異端なキャリアを歩む若きサッカー指導者に、「サッカークラブの監督」という仕事の全容と、独自のキャリアの切り開き方を伺います。

(※取材時点。現在はチーフ•ブランディング・オフィサー兼テクニカル・ディレクターとして運営に関わる)

監督とはピッチの中と外をデザインする仕事

──河内さんは、サッカークラブの監督として、日ごろどんな業務を担当されているのでしょうか?

ぼくが監督を務める鎌倉インターナショナルFC(以下、鎌倉インテル)は「神奈川県社会人 1 部リーグ」に所属するアマチュアクラブです。プロ、アマチュアに関わらずサッカーの勝敗に関わる責任は基本的に監督が負うもの。クラブや監督の方針によってそれぞれが担っている業務は異なりますが、クラブの成績に関係するものはすべてが監督の業務の範疇と捉えることができます。

具体的には、チームがどういったコンセプトでサッカーをするのか、それを実現するためにどんなマネジメントを行い、どんなトレーニングを行うかといったプランを立て、実行するための指揮をとります。とはいえ、ここに挙げた業務はほんの一部で、日々選手とコミュニケーションを取ったり、試合の映像を見ながら対戦相手のデータ分析したりするなど、あげればキリがありません。

そのほか、来季の方針を立てるなど、中長期的なクラブの運営に関わる業務もあります。鎌倉インテルは現在発足6年目なのですが、所属する選手も順調に増え、チームが運営している子どもたちを対象にしたサッカースクールの生徒は250名を超えました。クラブとしてのカルチャーをつくっていくために行動指針を定めるといった業務も行なっています。

──業務は非常に多岐にわたるのですね。クラブの行動指針とはどういったものでしょうか?

ぼくたちのクラブはあくまで「サッカーは人を楽しませるもの」だと考えているんです。特にトップチームは「サッカーは人に見てもらうものだ」ということを前提として競技に取り組んでいるので、自分たちはどんな試合を見てもらいたいのか、ということが行動を決める指針となります。「練習」や「試合」というピッチの中での出来事だけではなく、ピッチの外で起こる出来事も含めてチームをデザインしていくということは、個人的に強く意識している部分ですね。

サッカーはエンターテインメント。監督には強い個性が求められる

──そもそも、河内さんが鎌倉インテルの監督になった経緯を伺えますか?

18歳までプレイヤーとしてサッカーと関わったのち、25歳のときにアルゼンチンに渡り監督のライセンスを取得しました。そして、28歳で日本に戻ったタイミングで鎌倉インテルのプロジェクトに関わり始めました。

アルゼンチンに渡る前は、まだ鎌倉インテルというクラブは立ち上がっていなかったのですが、オーナーから「こういうクラブをつくりたいと思っているんだよね」という構想は聞いていたんです。鎌倉インテルというクラブのビジョンには共感していましたし、自分が目指すサッカーが実現できる環境だと思い、監督に就任することになりました。

──帰国後にプロクラブの監督になろうという考えはなかったのでしょうか?

20代前半はJリーグに近い上位カテゴリーのクラブで監督のキャリアをスタートさせたいと考えていたのですが、アルゼンチンでサッカーが社会や町に大きな影響を与える様子を目の当たりにして、考えを改めました。

そもそも僕が監督を目指したのは「勝敗」という結果にコミットするだけでなく、チームそのもののあり方からつくっていきたいという思いがあったからでした。若いうちから日本のプロクラブの監督になって、仮に成功したとしても社会に大きなインパクトは生み出せないですし、上のカテゴリーでは監督業とほかの業務を兼任するということは現実的ではありません。

──河内さんがそういった独自の監督像を持つようになったのはなぜなのでしょうか?

アルゼンチンでの経験と、23歳の時に訪れたヨーロッパでの経験が大きいかもしれません。ヨーロッパとか南米のクラブは、日本のクラブと比べて監督のキャラクターというか個性が強いんですよ。監督は自分の描くビジョンを強く表現する。そうすることでクラブの「色」が生まれ、それに共感したファンがついてくるんです。個人的な願望になりますが、日本でももっと個性的な監督が生まれてきて欲しいなと思いますね。

アマチュアクラブに3名ものデザイナーが所属する理由


──河内さんは鎌倉インテルの監督とブランディング責任者を兼任されています。ブランディングとは具体的にどのような取り組みを行っているのでしょうか?

グッズや広告、SNSの投稿などクラブのブランディングに関わる制作物のディレクションをしています。現在、ある程度は分業体制が整っているのですが、就任当初はSNS投稿の一つひとつに目を通していましたね。

鎌倉インテルには現在3名のデザイナーが所属しているのですが、おそらくどこよりもデザインに力を入れているクラブだと自負しています。映像制作などプロジェクトごとに外注することも稀にはありますが、デザインや制作といったクリエイティブは基本的にすべて内製しています。

──デザイナーが所属していることもですが、クリエイティブをすべて内製しているクラブというのは珍しいことですよね。

日本のクラブ、特にアマチュアクラブではあまりないと思います。ヨーロッパの大きなクラブはクリエイティブにかなり予算をかけているので、将来的にはよりクリエイティブに力を入れた体制を作っていきたいですね。

ビジネス領域でのブランディングはある程度確立された方法論がありますが、サッカークラブにおいてはブランディングの方法論は確立されていません。サッカークラブにおいてはクリエイティブやブランディングが後回しにされてしまう風習がありますが、鎌倉インテルでは可能な限り優先順位を上げて取り組んでいきたいと思います。

ユニフォームやロゴデザインのほか、河内さんはあらゆるクリエイティブのディレクションを行なっている

──ブランディングの観点で、参考にしたクラブはありますか?

イタリアのヴェネツィアFCのあり方は参考になりますね。ヴェネツィアFCは街の特性を生かし、ブランディングに力を入れ、世界的に知られるクラブとなった稀有なクラブなんです。

イタリアならばセリエA、日本だったらJ1のチームというように「強いクラブ=有名」というのが一般的な図式です。しかし、ヴェネツィアFCというチームは下部リーグに在籍していたころからクリエイティブの力でファンを獲得し、それと同時にチームとしても強くなっていったクラブなんです。これは今までのサッカー界では存在しなかった革命的なチームのあり方だったと思います。

「鎌倉」という町は海外でも一定の認知を獲得していますし、高いブランド力があります。そう考えると、SNSを通じて鎌倉インテルというクラブを世界の人たちに知ってもらうことは不可能ではない。町とクラブの持つポテンシャルを最大化して、町に根ざしたチームを作っていきたいと思います。

鎌倉の地に大きなスタジアムをつくり、熱狂を生み出したい

──鎌倉インテルというクラブにはどのような展望があるのでしょうか?

チームとして強くなるということが目標の1つです。もう1つは、将来的に大きな規模のスタジアムを鎌倉の地に作ることを目標にしています。

──壮大な目標ですね。

鎌倉インテルは「CLUB WITHOUT BORDERS」というビジョンを掲げています。性別、国籍、あるいは住民と観光客といったあらゆる境界を超えてサッカーを楽しめるような場所をつくっていきたいんです。

鎌倉インテルの現在のホームグラウンドである「みんなの鳩サブレースタジアム」は、まだ数百席なのですが、リーグ戦の時にはお客さんが埋まるようになってきました。サッカーを好きな人はもちろん、スポーツが好きじゃない人も集まるカオスなスタジアムをつくれたらと考えています。

──河内さんご自身の今後の目標はありますか?

一般的な「監督」の枠からはすでに外れていますし、自分の今後のキャリアに関しては様々な可能性があると思っています。あまり具体的な夢などは持たないタイプですが、10年とか20年で終わってしまうようなものではなく、自分が離れた後も持続的に価値が残っていく仕事をしていきたいという思いはあります。

アルゼンチンに滞在していたときに、老朽化などの問題から10年ほど使われていなかったスタジアムがあったのですが、僕が帰国する年に工事が再開してスタジアムが完成したんですよ。そのスタジアムで行われる試合に町の人たちが集まり、声を枯らして応援したり、涙を流したりするほど熱狂している。そのエネルギーは尋常じゃないなと思ったんです。住んでいる町のサッカースタジアムを「ホーム」と言いますが、まさに彼らにとっては自分の家のような存在なんですよね。僕自身、それぐらいの価値を生み出す仕事をしたいと考えています。

──サッカークラブだけでなく、文化をつくっていきたいと。

そうですね。そのためには必然的に強いチームにならなければいけないし、より格好良いチームでなければいけません。大きなスタジアムを埋め、多くの人の熱狂を生み出せるような価値のあるクラブを作っていきたいと思います。

(文:高橋直貴 写真:玉村敬太)

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