山好きの無職が山仕事専門の会社を設立。「山ではたらきたい」を実現した道のり

2023年10月26日

「山は分からないんです。だから飽きなくて面白い」

17歳の初登山をきっかけに山に魅了され、山で生きることを願い、それを実現したのが株式会社山屋 代表取締役の秋本真宏さんです。

秋本さんは大学卒業後に就職した会社を「山ではたらけないから」という理由で退職。以来100人を超える“山の仕事人”たちと交流し、さまざまな山の仕事を学んだといいます。山ではたらく人々と、山での手助けを求める人たちを結ぶためには何が必要なのか。

自身がそのパイプ役となるための方法として、山の仕事を請け負う株式会社山屋を設立しました。秋本さんは、山で何を実現しようとしているのでしょうか。山屋を通じて広げていきたい「可能性」について話を伺いました。

山での仕事を求め、100人以上の“山の仕事人”とふれ合う

――株式会社山屋の業務内容を教えてください。

山に関する仕事なら何でもお手伝いする会社です。たとえば山の中で行うなんらかの調査でしたり、資材運搬でしたり、山の上での作業でしたり、山に関するあらゆる仕事を広くお手伝いしています。

――山の仕事はどのようにスタートされたのでしょうか。

17歳のころに初めて木曽駒ケ岳に登ったのをきっかけに、山の仕事で生きる方法ばかりを考えるようになり、大学も森の生態系や林業を学べる学部学科を選びました。卒業後は木材を扱う会社に就職してフィールドワークを行う部署への配属を希望したのですが、実際に配属されたのは室内で設計図を書く部署だったので、山に登って現場ではたらく機会を求めて退職したんです。

――退職とは、思い切りましたね。

そうですね。ただ目標を持って辞めてはみたものの、当時はどうしたら山ではたらけるのかまったく分かりませんでした。そこで「実際に山で生きている人たちに話を聞きにいこう」と思いつき、一路、日本アルプスへ。長野県から山梨県をまたぐ八ヶ岳、中央アルプス、南アルプス、北アルプスの山域をひと夏かけて端から端まで歩き、そこで出会った“山の仕事人”たちに声をかけました。

お会いした方は延べ100人ではきかないほど。「どういった仕事をされているんですか?」と質問し、ときにはお手伝いをさせていただきながら、さまざまな山の仕事に触れさせていただきました。

――100人も……!すごい活動量。

そんな中で転機となったのは、北アルプスを歩いている時に長野県の夏山常駐パトロール隊の方たちと知り合ったこと。話を聞くと、彼らは長野県からの嘱託で仕事を受けていて、遭難防止対策として山岳パトロールをしていると教えてくれました。

のめり込むように聞いていたので、「そんなに山に興味があって人と話すのが好きなら、常駐パトロール隊の面接を受けたら?」とすすめていただき、窓口である警察署の担当者の方を紹介してくださることに。

ぼく、そのとき2週間ぐらいお風呂も入ってなくて、めちゃめちゃ日焼けしているしボロボロのリュックをしょって歩いていたんですけど、パトロール隊の方がお仕事のことをすごく丁寧に教えてくれたんですよね。「ようやく山の仕事への手がかりを見つけた!」とうれしくてうれしくて。

それをきっかけに北アルプスの日本海につながる走路を抜けて、日本海を泳いでさっぱりしてから長野に入り、担当者の方に連絡しました。先方も驚いていましたけど、「何やらよく分からないがそんなに熱意があるなら」と翌年の夏からのパトロール隊に採用していただきました。

実際に仕事がはじまるまでは1年あきましたが、ようやく山ではたらくという目標をかなえることができたんです。

――パトロール隊での仕事や人々との出会いを経て、山ではたらくことにどのような印象を持ちましたか?

仕事をしながらいろいろな方から話を聞くうちに、山の仕事には本当にいろいろな種類や役割があることを知りました。山はさまざまなプロフェッショナルが活躍するフィールドであることは間違いないと改めて実感したのですが、一方で山の仕事を全体で見たときに、2つの課題がありそうだなとも感じたんです。

――どのような課題を感じられたのでしょうか

一つは「山の仕事の依頼先が分かりにくい」ことです。荷物の運搬だけお願いしたい、山の調査をまるごとお願いしたいなど、たくさんのニーズがあり、それに対応できる山の仕事人はたくさんいるのに依頼先が分からないという状況になっていると感じました。

そもそも、すでに山での仕事を持っている方々は、生計を立てるための十分な仕事を持っていることも多く、わざわざ新規営業のための宣伝もしませんので、余計に窓口を探すのが難しいんです。

もうひとつは「これから山ではたらきたい人と山の仕事との接点をつくる難しさ」です。依頼先が分からないという点ともつながるのですが、かつての自分のようにこれから山の仕事を始めたい人と、山の仕事を頼みたい人をつなぐ場所がないと感じていました。

依頼主からすれば経験豊富なベテランに頼みたいでしょうから、仕事はすでに名が売れているプロに集まりがちになります。一方でぼくのように地縁もなければクライマーや登山家としてのネームバリューがない人には仕事は集まってきません。キャリアを積むために誰かの下ではたらこうとしても、多くのベテランは組織化せずにフリーランスとして活動していますので、社員やスタッフの一員としてキャリアを積む機会を得にくい現状があったんです。

個のフリーランスからチームの法人へ

――そうした実態の中から、どのように山の仕事を本格的に始められたのでしょうか。

何の実績もないぼくが山の仕事に就くには、定期的にある仕事を自分に依頼してもらうための地道な努力と工夫が必要だと考えました。まずは仕事の受け皿が必要でしたので、夏のパトロール期間が終わって無職になったタイミングで「山の仕事をすべて引き受ける山岳フリーランス」と銘打って、個人事業主として開業。ホームページやSNSのアカウントをつくり、宣伝を始めました。

――開業当初にはどのような形で仕事を受注したのでしょうか。

初めてお仕事をくださったのは、山を歩いていた時期に知り合った植物の調査をされていた方でした。ご依頼内容は調査チームへの参加という内容で、最初の出会いから2年後くらいにSNS経由でご連絡をいただいたことから仕事につながっています。

その後にいただいた仕事も、山歩きの時期につながった方からのご依頼が多かったですね。名刺を交換して1、2年後にご連絡をいただくケースや、こちらから「仕事をできる準備ができました」とお送りしたお知らせからつながったケースもあります。

最初の1年くらいはSNSで「今日も依頼が無かった」なんて書いたこともありましたが、ホームページやSNS経由でのご相談も徐々に増えていき、2年目からはほぼ休みがないほどでした。

――フリーランスとして好調だったようですが、なぜ法人化に踏み切ったのでしょうか。

ありがたいことに3年目、4年目も順調に仕事が増えていきました。だんだん私一人では対応しきれない量のご依頼をいただくのと同時に、2、3人でチームを組む必要があるご依頼が増えてきたこともあり、組織化の必要に迫られてきたのが大きな理由です。

法人化以外にも、フリーランスのままでチームをつくる選択肢はありました。でも、ぼく個人が引き受けた仕事を先輩や同僚にただ渡すという形は、本来対等であるはずの人間関係が崩れてしまうようで、なんともいえない気持ち悪さを感じてしまいました。

法人化すれば会社として引き受けた仕事を業務委託パートナーに振り分けるという形になるので、自分なりに納得できると考えて、株式会社山屋を立ち上げました。

社員はぼく一人ですが、登録いただいたフリーランスの方々が各プロジェクトを進行しています。現在の登録者は総勢75名。会社としてすべての業務を管理しながら、依頼に合わせて最適なチームを組んで山の仕事を請け負っています。

――フリーランスと法人の違いは、どんなところに感じましたか

大きな違いは「世の中の仕事は、それぞれ必要な受け皿が違う」と実感した点です。企業や自治体と仕事をするときには、個人のフリーランスではなく会社という信頼の形が必要であり、会社としてのふさわしい対応が必要だと感じました。

フリーランスのときは、ご相談いただいた日程が空いていれば対応していましたし、基本的には先方が用意してくださる形に則って報酬をいただいていたんですね。一方法人化したことで、チームのスケジュール調整、メンバーと業務内容を照らし合わせた見積もりの作成など、フリーランスのときにはなかった業務も増えました。

大変なことも増えましたが、その分お客さまの規模が変わっていき、個人では受けられないような仕事も増えていきました。公共事業のメンバーとして声を掛けていただけるようになったのは、法人化したからこそでしょうね。

――法人化の前後で秋本さんご自身に変化はありましたか?

フリーランスとして活動していた最後の年は、年間300日ほど入山していました。ぼく一人で300日分の仕事に対応していたのですが、逆に言えば300日分しかご依頼に応えられなかったということになります。複数のご依頼が重なったときには、泣く泣くお断りすることも珍しくありませんでした。

しかし、法人化以降は頼れる仲間たちがたくさん集まってくれたおかげで、ぼくが受けられないからお断りするということがなくなりました。初年度には早くも800日分の仕事に対応できるようになり、その日数は今も増え続けています。

仕事をお任せできる仲間が増えるに伴い、ぼく自身が山に登る日数はだいぶ減りましたが、今は「この人とあの人がチームを組むとこういうことができそう」というアイデアを実現しながら仕事の幅を広げていくのがとても楽しくて。

初めてご相談いただくお客さまからの「山の人に頼んだことないんですけど、大丈夫ですか?」「こういうことできるんですか?」といったご質問はチャレンジの種ですので、とても燃えますよね。

世の中にないものをつくり、よい仕事を巡らせる

――改めて、なぜ秋本さんはそこまで山に魅了されているのでしょうか。

山は、「分からない」んですよ。勉強すれば分かる部分もあるのですが、それでも圧倒的な分からなさがあります。街にいて触れるものは、人間にとって快適なようにつくられ、それに対する説明があるじゃないですか。しかし山は何も説明してくれませんし、ルールもありません。ただそこに自然があるだけなんです。

だからぼくらは山でできることがたくさんありますし、学んでいけるものもたくさんあります。山はすごく大きくて、ぼくの一生では全部を知ることはできないと思いますが、だからこそ飽きなくて面白いんです。詰まるところ、ぼくは山の「分からなさ」に惹かれているんだと思います。

――秋本さんの今後の目標、実現したい世界について教えてください。

最近は、山や自然をテーマとしたVR空間の制作に携わったり、『狂気山脈』という小説をアニメ化するプロジェクトにも参画したりと、ITやアニメーション業界の方々と協業する機会も増えています。

テクノロジーや映像技術を利用して、山をもっと身近に感じてもらう取り組みは着実に増えていますが、現時点ではまだ山と街の間には分断があり、できることはまだまだあります。

ITやアニメーション業界のような先端技術を扱う方たちとの協力、いわば山と街のコラボをどんどんおこなっていって、まだ世の中にないものを一緒に作っていきたいというのがひとつの目標です。

そしてもう一つ。山ではたらく人たちが活躍できる場所をつくりたいという思いがあります。山屋で一緒にはたらいてくれている人の中には、普段は他業種の会社ではたらきながら並行して山の仕事を請け負う人や、山に登る資金を貯めるために山で仕事をしているという人がおり、これからも多種多様なはたらき方のメンバーが参加してくれるでしょう。

いろいろな形で山との接点を持っている方たちが、幸せにはたらける場所が増えるといいと思っていますので、株式会社山屋という会社を、良い仕事が滞りなく巡っている場所にしていきたいと思っています。

(文:手塚裕之)

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ライター手塚裕之
ゲーム会社勤務から42歳でライターに転身。SEO記事からインタビュー、イベントレポートや記者会見と、多彩なコンテンツに対応する。近年はトップメッセージ作成や導入事例、社員インタビューなどのビジネス系コンテンツを中心に活躍中。

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