中学でハブ、オフィス解散。孤立から学んだチームとのアイコンタクト(小島由香さん)

2021年4月21日

誰しも、“うまくいかなかった”経験があるはず。
そんな日の記憶を辿り、いま思うことを、さまざまな筆者が綴ります。

第3回目は、FOVE, Inc. 創業者 小島由香さんの寄稿です。

小島由香
FOVE, Inc. 創業者。目の動きで仮想世界を自在に操作する、世界初の視線追跡型VR用ヘッドセット「FOVE0」を開発。ソニー・コンピュータエンタテインメント(現:SIE)、GREEでゲーム制作に携わったのち、株式会社FOVEを創業。物語の未来はゲームの双方向性にあると信じ、視線追跡を利用した仮想世界での非言語コミュニケーションを提唱。FOVE0はそのビジョンを世に送り出す最初の製品となる。KickStarterキャンペーンで48万ドル強を集める。「Forbes 30 Under 30 Asia」「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー」「経済産業省実用化大賞」など受賞。



 午後2時。オフィスは、もぬけの殻だった。

 San Mateoのメインストリートに位置する、真新しい白いスタンディングデスクと椅子だけの殺風景なオフィスに私は立ち尽くしていた。
 出張してみたら、アメリカではたらいてるはずのエンジニアが一人もいない。

 そう。ボイコット、だ。
 私は、時差ぼけの重い頭をなんとか支えながら、つぶやいた。

 「・・・またか」

 私はこの光景を中学の教室でもみたことがある。

───

 FOVE, Inc.は米国に本社登記しているベンチャーだ。

 2017年当時は、TokyoとSan Mateoにオフィスがあり、私は日本をベースにしながら、月1ペースで米国出張してBayAreaでの営業活動を行っていた。

 
 当時、FOVEには深刻なWork Cultureの対立があった。

 チーム主義・長時間労働 日本ベンチャーカルチャー
 vs
 個人主義・成果報酬型 シリコンバレーカルチャー
 である。

 前者は、日本人で構成されたビジネス+ハードウェアチームが、後者は欧米人で構成されたソフトウェアエンジニアチームがもつWork cultureだった。
 その対立は、いつしか、創業者の文化背景も巻き込み、日本人である当時CEOの私が日本ベンチャーカルチャー代表、オーストラリア人の共同創業者・当時CTOのロキがシリコンバレーカルチャー代表として、それぞれのカルチャーの代弁者として、創業者間の対立をも深めていった。

 “スレイブマスター”、それが私の欧米エンジニアからのあだ名であった。
 低賃金で過酷な長時間労働を強いる奴隷使い、を意味していたのだろう。

 日本ベンチャー界の基準に照らせば、私は「ゆるい」部類の人間である。何もなければ、午後8時には帰っていたし、当時のFOVEの平均給与は国内業界水準を上回っていた。
 私が起業直前まで勤めていた会社は、全社員が立ち上げ期のベンチャーのように猛然と仕事をするカルチャーで有名で、「24時間戦えますか」を地でいく、日本ベンチャー文化の原液のようなところにつかっていた。(※なお、前職の会社ではその後ワークスタイルの見直しが行われ、残業時間は大幅に減りました。)

 私にはわからなかった。
 なぜ欧米のエンジニアは私のやり方を理解してくれないのか?
 そうか。経営者は孤独だとよく聞くが、これがそれか。
 経営層の見えていることと、社員の見えてるものは情報量が違う。どうせ理解されないなら、話したって仕方ない。
 いつしか私は自分の殻に篭り、CTOと、そして欧米圏の社員と会話することをやめていた。

 それが、冒頭のボイコットにつながる。
 私が米国出張することを事前にアメリカオフィスに知らせていなかったことに、ソフトウェアエンジニアたちは軽んじられてるように感じ出社拒否してやった、ということであった。デジャブである。

 私は、中学時代に2年間ほどクラスでハブられていた。誰もいない机と椅子だけの四角い空間は、中学の教室を彷彿とさせた。
 あのころはまだオタクに市民権がなかったので、オタクであるという理由で、誰も私と口を聞かないし、目も合わせてくれなくなった。同じ空間にいるのに、視線が私をすり抜けていく。まるで、透明人間になったような気分だ。
 私を見て。
 私が視線追跡技術、そして、バーチャルキャラクターとのアイコンタクトに執着しているのは、だからかもしれない。誰かと目を合わせて笑い合いたい。私のことをわかって欲しい。

 がらんどうのオフィスを前にすっと背筋が冷えたが、「まぁいいか」とため息をついて、そのまま帰った。こういった細かい諍いはもはや日常化しており、私も慣れていた。特に米国支社にクレームを入れることもなく、黙殺した。今思えば、細かいずれを流さずに、ちゃんと話して、怒って、ぶつかっておけばよかったのかもしれない。

 この対立は、その後、最悪の結果をうむ。
 一人のメカデザイナーがいた。彼は中国系オーストラリア人で、まだ学生で、天才だった。VRヘッドセットFOVE0の基本機構設計のほとんどを彼一人で行ったと言っても過言ではない。

 しかし、社会適応能力に些か難しい部分があった。まず、朝出社できない。夕方くらいにふらっとオフィスに来て、ゲームをしたり、フルートを吹いたり(例えではない)して日中を過ごし、深夜に3時間くらいはたらいて、一般的なメカデザイナーの10倍くらいのアウトプットを出す。それが彼だった。

 気分にムラがあるため、気分が乗らない時は全く仕事にならない。だから締め切りを守れない。量産スケジュールは押していた。日本のハードウェアチーム、ビジネスチームは激怒していた。彼らは、Kickstarterで製品発送を楽しみに待っているBackerの約束を守るため、毎日長時間はたらいて、締め切りを厳守する努力をしていた。日本のチームには、異様に集中時間の短い、彼のはたらき方が理解できなかったのだ。

 「どうしてあいつを放置しているんだ。頑張ってる自分たちが馬鹿みたいでモチベーションが下がる」私のところには続々とクレームが寄せられていた。私は、彼と直接的にはたらいていなかったからフラストレーションがたまる機会がなかったのだが、彼をこのままの状態にすることで、日本側のキーパーソンたちが複数辞める可能性が高かった。

 「次、時間を守れなかったら、解雇せざるをえない」

 経営層から彼に、最終警告がでた。そして、彼は次の締め切りを守れなかった。

 私は、彼を解雇した。

 欧米チームは猛反発した。「彼は、アウトプットは出している。長時間働けばいいというものではない。給与だって欧米水準からは大きく下回っている。搾取だ!」
 詳細な経緯は省かせてもらうが、結果、米国の社員は全員辞め、CTOも一事業をスピンアウトする形で当時の半分の社員と新会社を設立した。

 引っ越しの日。物が撤去され、電源ケーブルだけが寂しく生える、焼け野原のようなオフィスで私は立ち尽くしていた。

 「またか」

 私は、あの日、SanMateoのオフィスでソフトウェアエンジニアたちにボイコットされたことを思い出していた。あの日ボイコットした社員は全員辞めていった。
 こうして私はまた一人になる、中学の教室のように。
 なぜ。なんでこうなってしまうんだろう。どうして私は、繰り返し孤立するのか。
 どうして誰も私のことをわかってくれないのだろう。

 ふと、辞めていくエンジニアが私に言った言葉を思い出した。
 「ただ、自分たちの貢献を認めて、感謝して欲しかった」
 
 意味がわからなかった。
 私にとって仕事は仕事であって、自分のためにやるもの。上司に感謝されるためにする物ではない。仕事での貢献はKPIや社会でのインパクトで測るもので、チームが評価する物ではない。少なくとも私はそういうカルチャーで育ってきた。
 そもそも、私のことをみんな嫌いなんじゃないの?わからない。なんで、私に認められたいなんて・・・私に見てほしかったなんていうんだろう。

 「私を見て」

 その時、気づいた。彼らが言ってることは、私が言ってることとほぼ同じだということに。

 中学の教室からずっと、私は私を誰かに見てほしかった。だから、人とアイコンタクトをするために、FOVEを作った。
 それなのに、私は誰のことも見ようとはしなかった。
 FOVEという自分の夢を支えて、一緒にはたらいてくれているチームの誰のことも見ようとせず、コミュニケーションを拒否して、自分の殻にこもって、誰も私をわかってくれないと呟いてただけ。

 みんなが私のことをわかってくれないんじゃない。
 私が、みんなのことをわかろうとしなかったのだ。

 そういえば、例の解雇した天才メカエンジニアが、私のところにフラッときたことがあった。解雇した後で会うのは初めてだった。しかも、その時オフィスには誰もいなかった。二人きりだ。私は身構えた。一体、どんな恨み言を言われるのだろう。
 彼はいつも通り、妖精のようなふわふわした足取りで私の机の前に座り、片手をあげて、視線をそらしてはにかんだ。
 「Hi」

 何を話したかはよく覚えていない。たわいない世間話だったと思う。その時彼が切り出した。
 「ところで、僕が解雇されたことだけど、Yukaはどう思うの?」
 ドキッとした。ついにきた。私は動揺しながら、申し訳なく思っていること、しかし、経営判断としてやむをえなかったというようなことを伝えた。
 彼は穏やかな顔で自分のViewを説明した後、最後にこういった。
 「まぁ、君のLesson learnedだったらいいんだ」
 それは、負け惜しみとかではなく、何か別の、優しい目線だったと思う。私は、自分が20歳そこそこの時、自分を解雇した人間にそんな言葉をかけられる自信は無い。

 結局、みんな、思っている以上に私のことを見ていたのかもしれない。良くも悪くも。
 それ以来、私は人のいい部分を見るようになった。意識してその人の素敵なところ、感謝を口にする。悪いところは・・・誤解を恐れずにいえば、見ない。細かいことを指摘して起きるドミノ倒しより、大きな雰囲気がいいことが日本のみならず欧米圏でのコミュニケーションでも結局はうまくいく気がする。

 それが理由かはわからないが、FOVEはここ数年ほど、やめた人間はゼロだった。VR事業もヘルスケアという新たな市場を見つけ、伸び始めており、みんなやる気に満ちている。いいチームだと思う。

───

 私事ではあるが、今年2月、がんを告知された。10年平均生存率は64%ということだ。

 今まで、自分自分で忙しかったが、自分がいなくなった時に、世界に残るのは、自分がやった仕事と、誰かの中の自分だけなのではないかと思う。
 今、私は人をわかろうとしたい。その時、初めて、私は誰かとアイコンタクトすることができる気がする。そして、それが誰かの中で生きるということなのかなと思う。

 誰かの瞳の中のあなたが優しい目をしていますように。
 朝のカフェは、柔らかな日差しと笑い声でささめいている。
 先月、私は34歳になった。

(写真/筆者提供)

小島由香さん SNSアカウント・ホームページ
 Twitter @gamegeekgirl
 note https://note.com/yukakojima


本連載は、さまざまな筆者の「うまくいかなかった日」に関するエッセイを交代でお届けします。
 第1回目:大平一枝さん「やる気だけでは乗り越えられないと知った日」
 第2回目:あかしゆかさん「『わかりやすさ』に負けないと決めた夜」

はたわらワイド公式Twitter(@hatawarawide) にて、最新の更新情報をご確認ください。

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