私は、転職して“ちゃんとした大人”になろうとした(はしかよこさん)

2021年8月12日

誰しも、“うまくいかなかった”経験があるはず。
そんな日の記憶を辿り、いま思うことを、さまざまな筆者が綴ります。

第8回目は、株式会社TSUMUGI取締役、はしかよこさんの寄稿です。

はしかよこ
株式会社TSUMUGI取締役 / Capital Art Collective「MIKKE」。1988年、東京生まれ。自分の時間を生きることや、ポスト資本主義時代の豊かさが現在の活動テーマ。2020年より「自分にも地球にも善い暮らし」を探求するコミュニティ「生活共同体TSUMUGI」を運営している。


2017年9月25日、JR渋谷駅・山手線のホームで、私はうずくまっていた。

あれ…なぜか体が動かない。

それは、転職して半年ごろの出来事だった。

「『コミュニティマネージャー』という仕事をやってみないか?」と声をかけていただいたのは、2016年の暮れのこと。

それまでは、渋谷にあるベンチャー企業でWEBエンジニアをしていた。当時はいろんなことを吸収したくて、IT系の勉強会やイベントがあれば頻繁に顔を出していた。そんなフットワークの軽さが功を奏し、とあるイベントでご縁があった会社の社長さんから、「うちに来ないか」と声をかけてもらったのだ。

大きなキャリアアップのチャンスだった。当時勤めていた会社に対しては不満はなく、人にも恵まれ、楽しくはたらけている状態ではあったが、次々と独立を決めていく同世代を尻目に「自分はこのままでいいのだろうか?」というモヤモヤを抱えていた時期だった。

「クォーターライフ・クライシス」という言葉がある。「人生の4分の1が過ぎたころに訪れる幸福の低迷期」を指す言葉だ。手取り足取り誰かが教えてくれる年頃はとうに過ぎ、社会からは歴とした大人として扱われるのに、子どものときに思い描いていた「大人」からはまったく程遠い現実。キャリアもプライベートもこのままでいいのか?イマイチ確信が持てない……。

20代後半〜30代前半の年頃に、そんな風に思い悩んだり、焦燥感を募らせる人は多いらしく、当時28歳の私もまさに「クォーターライフ・クライシス」の真っ只中にいた。

このままエンジニアとしてのキャリアを形成していくべきだろうか?本当はもっと自分に向いてる仕事があるんじゃないか?そんなタイミングでやってきたのが、転職のオファーだった。

そのオファーは、エンジニアとしての経験も活かすことができ、スキルを伸ばす機会にもなる仕事だった。基本的には在宅で勤務することができる。しかも提示された年俸は1.5倍。ものすごい好条件だった。私は転職を決めた。

同時に、副業でフリーランスのエンジニアとしての仕事もスタートし、年収はほぼ倍になった。意気揚々とサードウェーブのコーヒー片手にMac bookを広げてカフェで仕事をする── はたらく場所も時間も自由の憧れのワークスタイルを手に入れ、ワクワクしながら新年度を迎えた。

何か変だな……と感じ始めるまでに、そんなに時間はかからなかった。

私が始めた「コミュニティマネージャー」とは、商品やサービスのユーザーにとって有益な情報交換ができる交流の場を提供したり、ユーザー同士のハブになったりしながら、コミュニティを醸成していく仕事だ。当時はどんな業務なのか具体的なイメージも持てないまま、文字通りゼロからのスタートとなった。

日本のコミュニティマーケターの中でも指折りのキーマンから直接指導を受ける機会に恵まれ、インプットはとても充実していた。給料も増えた。それなのに、見合ったアウトプットができていないと思った。特に、事業の立ち上げについては、ゼロからクライアントを探す、営業をかけるといった部分で全く歯が立たず、社長について回るだけの毎日だった。

ならば、他の部分で挽回するしかない。もっとも自分が期待されていたのは、物怖じせず、誰とでもコミュニケーションを取れる部分だと考え、現場に立つ人間として、とにかく人と話そうと思った。連絡を取り合う人数は以前と比べられないほど増えた。

そのほとんどが、歳上の男性だった。

仕事において、相手が「男性である」「女性である」、あるいは自分が「女性である」といったことは、それまであまり気に留めたことはなかった。しかし、徐々に私は気に留めていなくても、相手は気にしているのかもしれない、と思うシーンが増えていった。

コミュニティのイベントがあれば必ず打ち上げがある。そこでの交流も仕事の一つと捉え、お酒は全然飲めないのだけれど、携わるコミュニティのユーザーさんたちのことを知りたい、仲良くなりたい一心で参加をしていた。そのような場で、相手は冗談のつもりでも、こちらは不快になる発言が少しずつ心に積もっていく。

ある人に、こう言われたことを思い出した。

「IT業界では、女性は下駄を履いているから」。

男性が圧倒的マジョリティのIT業界では、女性は希少だ。ダイバーシティのチェックボックスを埋めるために、実力以上の評価をされたり、表舞台に担ぎ上げられることもあるのでは、という趣旨の台詞だった。

自分がここにいられるのは、“女性だから” 。たったそれだけなのかもしれない。さらに、副業の忙しさも加わり、生活のリズムも乱れに乱れた。そのうち集中してやれば10分で済むことに4時間くらいかかるようになり(冗談ではない)、生産性がみるみる落ちていった。毎朝「休みたい」と思いながらも、騙し騙しでなんとか仕事を続ける日々が続いた。

そして、転職して半年も経たない9月25日。この日、午前中のアポのために移動していたのだが、乗り換えを間違え、遅刻しそうな状況で私は焦っていた。急がないと間に合わない。ドアから吐き出された瞬間、ホームを足早に駆け出した。その時、電話が鳴った。

「すみません、直前で大変申し訳ないのですが……」。

先方からのリスケの連絡だった。急に予定がなくなった。電話を切った瞬間、糸が切れてしまったようにその場に座り込んでしまう。体が動かない。ほどなくして近くにいた人が異常を察して声をかけてくれた。今度は言葉が出てこない。唇が重たい。iPhoneを取り出し、テキストで会話をする。


なんと、結局そのまま救急車で運ばれてしまった。

この日を境に、アポの時間を勘違いしてすっぽかす、遅刻、欠勤が続き、ついには休職した。それでも会社はなんとか私にできることを探そうとしてくれたのだが、もう続けていくのは無理だった。

こうして私は転職から1年も経たずに退職してしまった。

何がいけなかったのだろうか?

今から振り返ってみると、あの転職には決定的に欠けているものがあった。

確かに、これまでのスキルが活かせる分野だった。これから伸ばしたいスキルを学べる環境だった。給与は十分だった。ワークスタイルも合っていた。自分のキャリアアップにとって、ぴったりの場だった。

けれど、私の情熱だけが、足りていなかった。

評価と実力が不相応で居心地が悪かったのならば、死ぬ気で実力をつけて相応にしてやれば良かったのだ。下駄を履いて、履き潰して、投げ捨ててやるくらいの気概があったら良かったのだ。

けれど、そこまでの情熱が私にはなかった。
なぜかというと、心の声を無視して転職してしまったから。

本当は、あの時気づいていた。心の奥底ではキャリアップを望んでいたわけではなかったのだと。

実は、10代のころからずっと持ち続けていた小さな夢があった。

「世界を一周してみたい」

なぜ?と聞かれると、決まって答えられなかった。ただただ無条件に憧れていただけ。モラトリアムそのものだが、「ここではない、どこか」に行きたかったのだと思う。

そもそもエンジニアになったのも、“いつか旅に出るため”だった。時間と場所の自由が利く職種であれば、旅をしやすいと思ったからだ。

あの時、エンジニアになって既に3年は経っていたから、会社を辞めて旅に出るという選択肢もあった。それなのに、転職を選んだ。

キャリアアップの機会を逃したらもったいない。社会で活躍する同世代に置いていかれたくない。早く“ちゃんとした大人”になりたい。そうした焦りから、旅に出ないことを正当化しようとした。世界一周なんて学生がすることだ。わざわざ一周しなくても、休暇を使って旅行に行けばいいじゃないか。この転職をすれば海外出張のチャンスだってある。それに、どうせ旅に出るなら1人ではなくパートナーと行きたかったし……。

そうやって焦りと不安から、言い訳をたくさん作って、自分の心に蓋をしてしまっていた。

退職後、一度折れてしまった私は、新しい仕事を探す軸も、はたらくモチベーションも無かった。もはや、旅に出る以外に何ひとつやりたいことは見当たらない。子どもじみた夢だろうと、モラトリアムと言われようと、もう関係ない。退職した翌年、30歳で念願だった世界一周の旅へ出た。

406日間かけて、地球を一周半。見たことのない景色、出会ったことのない人々、知らなかった暮らしの在り方に触れ、自分を見つめ直す、一生のかけがえのない経験になった。

旅の中で本当に自分が情熱を持って取り組みたいテーマも見つかり、現在は“生活”を軸に事業を行っている。経済的にうまくいっているとはとても言えないが、やっていることへの納得感はこれ以上ないくらいしっかりとある。

「クォーターライフ・クライシス」を抜け出すために必要だったのは、表面上のキャリアアップではなく、とことん自分と向き合い、心の声を聞いてあげることだったのだと、今では分かる。“ちゃんとした大人”なんて幻想だったのだ。本当に納得のいくキャリアを掴みたいなら、答えは自分の中にしかない。

もし、28歳の自分に声をかけてあげられるなら、たとえ遠回りに見えたとしても、自分と向き合う時間は絶対に無駄にはならないと伝えてあげたい。

(写真・イラスト/筆者提供)

はしかよこさん SNSアカウント・ホームページ
・Twitter:
https://twitter.com/kayoko_coco
・note:
https://note.com/kayoko_coco/

本連載は、さまざまな筆者の「うまくいかなかった日」に関するエッセイを交代でお届けします。
 第1回目:大平一枝さん「やる気だけでは乗り越えられないと知った日」
 第2回目:あかしゆかさん「『わかりやすさ』に負けないと決めた夜」
 第3回目:小島由香さん「中学でハブ、オフィス解散。孤立から学んだチームとのアイコンタクト」
 第4回目:西村宏堂さん「『怒りの波紋』に飲み込まれないために」
 第5回目:平林景さん「夢を諦めたあの日から、再び夢を語れるまで ─「ちゃんとやらなきゃ」からの解放」
 第6回目:塩谷歩波さんすべてを抱え込み、壊れかけた日
 第7回目:片渕ゆりさん「『ずるい』に心をくもらせて。真面目な私の、あの日の嫉妬。」

※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。

8
  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る

同じ特集の記事

人気記事

「営業にだけは、なりたくなかった」(スイスイさん)
元祖YouTuber・MEGWINは燃え尽きて、なぜそれでも世界一を目指すのか?
サウナ王・太田広の手掛ける施設は、なぜヒットするのか?経験が導き出した“成功の二大法則”とは
プライドが打ち砕かれた、あの日の打ち合わせ(山崎あおいさん)
「いのちの電話」相談員に話を聞いたら、「対話」に一番大切なことがわかった
  • バナー