「ずるい」に心をくもらせて。真面目な私の、あの日の嫉妬。(片渕ゆりさん)

2021年7月7日

誰しも、“うまくいかなかった”経験があるはず。
そんな日の記憶を辿り、いま思うことを、さまざまな筆者が綴ります。

第7回目は、写真家・物書きとして活動する、片渕ゆりさんの寄稿です。

片渕ゆり
1991年生まれ。佐賀県出身。大学時代は京都で過ごし、就職とともに東京へ。コピーライターとして働いたのち、フリーランスのフォトグラファー・ライターへ転身。2019年より、念願の旅暮らしを開始。現在は東京を拠点に活動中。



 今日にいたるまで、たくさん失敗をしてきた。そそっかしいのは元からだ。

 大学受験のときには受験票をトイレの中に落っことし、就活では面接の日時を間違えて1日早く来てしまい、慌てふためきながら退散した。いったん息をととのえ落ち着こうと飛び込んだ先は、あろうことか男子トイレだった。ついでにいうと、最終面接の日にちも間違えた(しかし人事の温情により再面接の場をもらえた。そして受かった。人生、粘ってみればなんとかなることもある)。

 やっとこさ会社員になったものの、電話がこわい。プレゼンでつっかえる。打ち合わせの資料を忘れる。契約書がつくれない。

 ささっと思い出すだけでもボロボロ出てくるのに、記憶から消し去っているものもあるはずだから、数え始めるともうキリがない。

 だけど、こんな失敗なら、どうってことない。いや、どうってことあるけれども、なんとかなってきた。 今も思い出す「あの日」は、恥ずかしさとともに刻まれている。

 入社一年目。私の配属先は、広告をつくる部署だった。仕事の内容は、店頭のポスターや商品のパッケージの作成、テレビCMの企画など。同じ部署でも同期のバックグラウンドはさまざまで、私のように一般大卒の人もいれば、美大出身者や、デザイン専攻の人も少なくない。

 配属されてまもなく、「クリエイティブ研修」というものがあった。これは入社一年目の社員に対して毎年行われている恒例行事で、制作の基礎を学ぶものだった。

 「クリエイティブ」という横文字に浮かれるのはなんだか軽率な感じがして恥ずかしいと思う自分と、その響きに自尊心をくすぐられる気持ちの、両方があった。私はこの講座の開講を心待ちにしていた。

 しかし、最初の課題を聞いた私は、ちょっと拍子抜けした。

 「あなたの履歴書を持ってきてください」
 「あなたの通勤経路を教えてください」

 履歴書と通勤経路?なんだ、思いのほか簡単。クリエイティブというより、事務書類じゃないか。

 まずは履歴書からとりかかる。就活のときに嫌というほど見たあの形式。当時は手書きで何枚も書かされたから、内容はまだ覚えている。TOEICの点数も高校の卒業年度も、車の免許を取得した年だって、そらで言える。

 今回はわざわざ手書きじゃなくていいだろう。ネットで見つけた無料のExcelテンプレートをダウンロードし、さくさくと情報を入力していく。

 次は通勤経路だ。当時住んでいた場所から会社へは、3本も電車を乗り継いでいた。どうすればわかりやすく見せられるだろうと考えた結果、乗り換えアプリのデザインを真似るのが良いのではと思うに至った。PowerPointにフリー素材をぺたぺた貼り付けたそれは、ものの10分ほどで仕上がった。学生のころは苦手意識のあったソフトをちゃんと使えるようになった自分を、ちょっと誇らしく思う。

 なんでこんなに簡単な課題なんだろうという疑問が、頭をよぎらなかったわけではない。だけど目の前の仕事で精一杯だったし、手早く仕上げられた自分にちょっと誇らしくも思っていたので、意気揚々と講座初日を迎えた。

 プロジェクターを使って、一人ずつ、課題を発表していく。私以外のメンバーが持ちよった内容は、私の持ってきたそれとはまったく違うものだった。

 自分の性格、愛情を注いでいるもの、この会社に入ろうと思ったきっかけ、仕事への熱意。ほかのメンバーの「履歴書」には、手書きのイラストや工夫を凝らしたデザインが施されている。「通勤経路」には、通勤途中に見える風景や、好きな場所の情報まで入っている。本人を知らない人が見ても、この一枚の紙を見ただけで、相手のことをもっと知りたくなるだろう。話しかけたくなるだろう。私以外の課題には、そんな魅力が詰まっていた。

 なんの工夫もない型通りの「履歴書」を持ってきたのは、私だけ。ちらりと見ただけで、かけた時間と熱量の差は歴然だった。「通勤経路」に至っては、ただのスクリーンショットのほうが見やすいくらいのしろものだった。

 決して手を抜いたつもりはなかった。でも、自分の課題だけ、ひどく手抜きに見えた。

 そのとき覚えた感情の一つ目は、「恥ずかしい」。子どもの頃から、「真面目だね」と評価されてきた。そそっかしさゆえの失敗は、努力でカバーしてきたつもりだった。クラスの男子が騒げば「しずかにしてください!」と怒った。通知表ではいつも「関心・意欲」の欄に二重丸がついた。今回だって、言われたとおりに課題をやってきた。

 徐々に、もう一つの感情の感情が首をもたげる。
 それは、「ずるい」。

 みんなずるい。私は「真面目に」つくってきたのに。ほんとはExcelだってまだ慣れてなくて、ググりながらつくったのに。イラストを描いていいなんて、言われなかったのに。自分の住む街の情報も通勤経路にカウントされるなんて言われなかったのに。デザインや美術の知識なんて、私にはないのに。

 もちろんそれは、幼稚な嫉妬にすぎなかった。もうここは学校ではないのだから、「先生の言ったルールを守ること」よりも「結果を出せること」のほうが大事なのだった。ましてや広告をつくる部署だ。言われた通りのことを言われた通りにするだけの人は、求められていない。

 その場から逃げたくなるような恥ずかしさを、こじつけのような「ずるい」にすり替えることで、講座の残り時間を乗り切った。

 この日の失敗は、その場限りの出来事としては終わらなかった。むしろそれは始まりにすぎなくて、その後も長く付き合っていくことになる。

・・・

 それから数年が経ち、後輩もできたころ、あの日感じた「ずるい」という感情がどうして生まれたのか、月日とともに少しずつ解きほぐせるようになっていた。

 私は、こわかったのだ。自分の知らない世界を知っている人たちが、同世代にいることが。当たり前に存在することが。会社の中でさえ、自分にないものを持つ人たちがいる。私の人生にはなかった選択肢を、選んできた人たちがいる。好きなこと・得意なことを磨いてきた人たちがいる。そのことがこわかったのだ。まるで自分の生真面目さが否定されたように思えた。言われたことを額面通りに受け取り、言われたとおりにやる「真面目な自分」が、小さく感じられた。弱い犬だから、よく吠えた。

 ほんとうは、誰もずるくなんかない。勝手に私がうらやんでいただけだ。バックグラウンドが違うのだから、持っているスキルが違のなんて当たり前なのに。

 このまま誰かの生き方をうらやんで、嫉妬しながら生きるより、自分で選んでみるほうがいい。私は大人になった。もう、誰かの求める「真面目さ」のために何かを我慢する必要なんてないんだ。

 そうして私は、「真面目」をやめることにした。気が済むまで旅にでることにした。誰のこともうらやましがらずにすむように。選べなかった生き方を、ずるいと思わずにすむように。自分の一番やりたいことを、やってやる。旅をしながら生きてやる。「ちゃんとした会社」の名刺を手放して、代わりに自分の名前だけが書かれた名刺をバッグに入れて。 2019年の夏、期限を決めずに日本を飛び出した。

 もちろんあの日の出来事だけが理由ではないし、決めるまでには多くの紆余曲折があった。だけどその根底に、あの日の出来事はある。

 これで「何もかも今は満足しています」とかっこよく締め括れたらよかったのだけど……旅に出てほどなく世界はコロナに見舞われた。一世一代の決断の末の大旅行も、中断して一時帰国。再スタートの目処は立たないまま。成功と呼べるかは、わりとあやしい。

 ただ、これだけは言える。私は私の意志で選択をした。きっと今の自分なら、もっと違う「履歴書」をつくれる。

(写真・イラスト/筆者提供)

片渕ゆりさん SNSアカウント・ホームページ
・Twitter:
https://twitter.com/yuriponzuu
・Instagram:
https://www.instagram.com/yuriponzuu/

本連載は、さまざまな筆者の「うまくいかなかった日」に関するエッセイを交代でお届けします。
 第1回目:大平一枝さん「やる気だけでは乗り越えられないと知った日」
 第2回目:あかしゆかさん「『わかりやすさ』に負けないと決めた夜」
 第3回目:小島由香さん「中学でハブ、オフィス解散。孤立から学んだチームとのアイコンタクト」
 第4回目:西村宏堂さん「『怒りの波紋』に飲み込まれないために」
 第5回目:平林景さん「夢を諦めたあの日から、再び夢を語れるまで ─「ちゃんとやらなきゃ」からの解放」
 第6回目:すべてを抱え込み、壊れかけた日(塩谷歩波さん)

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