なぜ「注ぎ方」がメニューになるのか? ビール伝道師の名物マスターに聞く

2023年6月30日

日本中の生ビールを「手入れの行き届いたビール」に変えていく。そして、ビールによって日本を平和に。そんな思いのもと約30年にわたり「ビール伝道師」として活動をしてきた重富寛さん。彼が営む広島の「ビールスタンド重富」はビールの「注ぎ」に特化した唯一無二のお店です。

フードの提供は行っておらず、メニューは「一度注ぎ」「二度注ぎ」「三度注ぎ」といった注ぎ方の違うビールのみ。営業時間も1日2時間のみと、決して足を運びやすいお店ではありません。しかし、同店には注ぎの職人が提供する一杯を味わおうと、日本全国からビール好きが詰めかけているのです。

このユニークなコンセプトのお店はどのように生まれたのでしょうか?店主の重富さんに、「ビール注ぎ」へのこだわり、SNSでの活発な情報発信、「ビール伝道師」という唯一無二の活動について話を聞きました。

「3万円をかけてでも飲みたい!」と思わせるビールを提供する名店

──「ビールスタンド重富」ではビールの注ぎ方がメニューになっています。なぜこのようなお店を?

「手入れの行き届いたビール」を提供するステージをつくりたい。そんな思いで2012年にオープンしました。

コンセプトは注ぎ方による味の変化を体験してもらうこと。なので、「一度注ぎ」「二度注ぎ」「三度注ぎ」「シャープ注ぎ」「マイルド注ぎ」という、5種の注ぎ方のメニューのみを提供しています。

ビールは仕事終わりの1杯が1番おいしいんです。その1杯を味わってもらうため、営業時間は17時から19時の2時間だけ。ビールは1人2杯まで。つまみは出しません。うちで飲んだあとは次のお店にハシゴしてください、というコンセプトでやっています。

──多くのビールファンが重富さんのビールを求めて、遠方からも足を運んでいるとか。

はい、たくさんいらっしゃいますよ。週末は県外からお越しになるお客さまで満員になっちゃいますから。その様子を見て、広島県観光連盟の方が「3万円の壁を越えた重富」と言ってくださりましたよ(笑)

──3万円の壁?

関東から広島への交通費は新幹線で約3万円。広島県としては、どうやったら関東から広島にきてもらえるのかに頭を悩ませているんです。けど、うちのお店はたった1杯のビールでその3万円の壁を壊したと。それはそれは驚かれていましたね。 

ビール好きではなかった若者を変えた一杯との出会い

──重富さんがビールに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

ぼくは酒屋の息子でお酒には親しんでいたのですが、もともとビールは好きじゃなかったんですよ。好きじゃないどころか、おいしいと思ったことすらなかった。

──そうだったんですか。

それが変わったのが29歳のときですね。新卒で入社したニッカウヰスキーで5年間の酒修行を終えて、実家が営む重富酒店に入社した頃でした。その時サントリーの「樽生セミナー」という勉強会に誘われ、お土産付きだからいいかと渋々参加したんです。そこで飲んだ生ビールが、それはもうめちゃくちゃおいしかったんです。

──そこで飲んだビールは、なにが違ったんでしょうか?

1番の違いは「手入れ」ですね。ビールサーバーとグラスをきれいに洗って丁寧に注ぐ。そうやって丁寧に注いだビールは、価値観が一変するぐらいおいしかったんですよ。

──ビール自体ではなく「手入れ」が違った。

ビールのおいしさを左右するのは何よりも手入れだと考えています。なので、僕は「おいしいビール」とは言わず、「手入れの行き届いたビール」と表現をしています。そのセミナーに参加して、「これを広めなきゃ」という思いが湧いてきたんです。

──注ぎの技術はどのようにして学んだんですか?

いろんなビールを飲んでまわったのと、あとは実践あるのみでしたね。樽生セミナーの後に全てのビールメーカーのセミナーを受講し、各社のノウハウを集積してオリジナル樽生セミナーをはじめました。

また、酒屋業と並行して手入れの行き届いたビールをシンボルにした居酒屋も開業させましたね。これがビールスタンド重富の前身となる店です。自分の店で何度もビールを注ぎながら、日本中のお店を回ってはビールを飲み比べ、自分独自の注ぎ方を追求していきました。

その時に学んだのはビールサーバーの清掃やグラスの洗浄といった準備に加え、営業後の片付けといった後始末が「手入れの行き届いたビール」を提供するためには大切だということでした。その時の経験が、ビールスタンド重富のコンセプトの核になっています。「手入れの行き届いたビール」という言葉は、私の師匠銀座ライオンのビールの注ぎ手、海老原清氏から頂いた言葉なんです。

手入れの行き届いていないビールは泡がでこぼこになるそう。「ビールは、泡の口当たりで全く違う味わいになります。見た目・口当たり・のどごし・味わい・後味。この5つを大切にしています」と重富さん

SNSを使いこなす60歳が「自分を売る大切さ」に気付いた営業マン時代

──重富さんの出演するYouTubeチャンネル「ビールチャンネル」では、ビールの注ぎ方だけでなく、ビールの歴史や文化についても紹介もされていますよね。どういった意図があるのでしょうか?

突然ですが、「カープ女子」ってご存知ですか?

──はい、知っています。

カープ女子のうち、何割が野球をできると思いますか?

──3割くらいでしょうか……?

実は1割もいないと言われているんです。カープ女子の大多数は野球をできないのにカープのファンになっている。その理由は、推しの選手がいる、カープの赤いユニホームが着たいなどさまざまです。つまり、野球ができなくても楽しめるポイントがたくさんあるんですよ。

同様に、ビールが飲める人にしかビールの魅力を伝えられないのでは広がりがないなと思ったんです。長期的にビールファンを増やすためにはまずは飲めない、飲んだことがない、苦手意識のある人にもビールを「面白い」「飲んでみたい」「楽しそう」と思ってもらわなければならない。なので「ビールを広げる伝道師」として活動を続けているんです。

──未来のビールファンを増やすためだったのですね。

約30年ビールを注ぎ続けてきて実力もつきましたし、対外的にも「ビールがおいしく注げる重富」の看板はできた。「おもしろいビールの話をしているおじさんがいる」と、僕を知ってもらうことで興味を持ってもらえたらと思っています。

──ビールを好きになってもらうために、まずは自分自身を知ってもらうと。

そうですね。ビール伝道師の活動には営業マンのときの経験が活きているかもしれません。新入社員時代は経験も潤沢な予算もなかったので、商品を売るためには自分で工夫をこらして、できることを必死にやるしかないんです。

当時僕は東京の下北沢エリアの担当だったのですが、同時期に公開されていたトム・クルーズ主演の『カクテル』という映画にからめたキャンペーンを実施し、下北沢の飲食店50店舗ぐらいで新規取り扱いのバーボン「ジムビーム」のキャンペーンを展開してもらいました。そして、それだけじゃ面白くないので、駅前の酒屋さんの店頭を借りてカクテルを作って提供したりもしましたね。営業マンなのに、キャンペーン期間中は駅前でずっとシェイカーを振っていましたよ(笑)。

まだ誰もノートパソコンを持っていなかった時代でしたが、「営業マンはノートパソコンを持つべきだ」と会社に言って、えらい馬鹿にされたこともありましたね。とにかく、どうすれば売れるのかを考え抜いていました。

──重富さんはYouTubeやSNSを使いこなしていますが、そのころからデジタルにも強かったのですね。

パソコン通信の時代から40年近く親しんでいますからね。実は重富酒店のウェブサイトは「sake.jp」というドメインなんです。いかに早いタイミングでインターネットの可能性を感じ取っていたかが分かってもらえると思います(笑)

日本を平和にするために「普通のビール」を広めていきたい

──ワインにはソムリエの資格があり、技術の底上げを業界全体として取り組んでいますよね。ビールの「注ぎ」に資格はあるのですか?

資格はありません。ビールは大衆的に親しまれているお酒なので、必ずしも必要だとは思いませんね。

よく飲食店に「達人の店」とかって看板があるじゃないですか。僕も飲食店向けに「生ビールセミナー」をやっているのですが、「受講した資格になる看板を作ってほしい」とよく言われるわけですよ。僕がもし看板を作るとしたら、「これが普通の生ビール」がいいなと思っているんです。

──重富さんのビールが、「普通のビール」ですか?

はい。僕は自分の注ぐビールを最高峰のものではなく、日本の普通のビールにしたいんです。資格を作ったり、ビール注ぎチャンピオンシップみたいなものがあってもいいとは思うんですが、まずは日本中のビールを「Good Beer」にして、誰もが仕事終わりのストレスを軽減できるようにしたい。それが僕のやるべきことだと思っているんですBetter、Bestはそれぞれが次に目指せばいいことですから。

──どうして、そのような思いを持つようになったのでしょうか。

僕は娘が小学3年生の時にPTA会長をしていたんです。多くの子どもと接する中で、笑顔じゃない子も少なくありませんでした。「どうしたらこの子たちを笑顔にできるか?」ということを考え、「子どもたちを笑顔にするのは、お父さんお母さんの笑顔だ」と思い至ったんです。

ビールはメソポタミア時代からあると言われています。「ピラミッドはビールが作った」という言葉があって、仕事の後に雇い主から提供されるビールを飲みたいがために、人々は喜んでピラミッド建設に参加したと言われているんです。5,000年前から労働の後にはビールが必要だったんですよ。

仕事終わりのストレスをビールで癒せて、お父さんお母さんが笑顔になったら、その家庭の子どももちょっと笑顔になれるんじゃないか。それを繰り返していけば、子どもたちはみんな笑顔になるんじゃないか。僕は、そのためにビールを注いでいこうと决めたんです。

重富さんが使っているビールサーバーは昭和初期~40年代に飲食店で使われていた「スイングカラン」というもの。当時の味を再現したいと、メーカーに特注したそう。

──重富さんが日本中を「Good Beer」にしていくのは、子どもたちの笑顔のためだったんですね。最後に、今後の展望を教えてください。

残りの人生をかけて、日本中のビール注ぎと一緒に日本中のビールを「Good Beer」にしていく予定です。アフリカのことわざで「早く行きたければ一人で行け。遠くまで行きたければみんなで行け」っていう言葉があるんです。これまでは僕1人で走ってきましたが、これからは、今までの活動で生まれた人間関係を総動員して、みんなで遠くまで行きたいなと。

今年の5月に広島で「G7サミット」が開催されます。これは「核なき世界から平和を目指そう」というものですが、僕は「B7」というイベントを開催しようと思っているんです。これは「注ぎの職人が目の前のお客さまをビールで笑顔にして、その笑顔の集合が平和につながっていく」というものです。

今日の嫌なことがビール1杯で「まあいいか」になって、その積み重ねで平和がつくられる。そんな未来のために、ひっそりと計画を進めているところです。

(文:川浦慧 写真:Asami Nobuoka)

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編集者 / ライター川浦慧
1988年生まれ、獅子座の編集者・ライター。すきな妖怪はカッパ。
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