芸能人から指名多数。「たまごはん©」の料理家・濱守球維さんが、人々を惹きつける理由

2022年12月9日

水茄子ミント浅漬け、クレソン塩昆布、レモングラスともち米の焼売――

いつもの家庭料理を上品にアレンジした、ケータリング「たまごはん©」。“撮影現場で一番喜ばれるケータリング”として、今、女優やモデルたちを中心にひそかなファンが増えています。

ケータリングとは、料理人が現場に出向いて料理をふるまうこと。たまごはん©を主宰する料理家の濱守球維(はまもり たまい)さんは、撮影現場のロケ弁やホームパーティーの出張料理など、あちこちから引く手あまたです。

著書「おつまみ便利帖(幻冬舎)」の帯には佐々木希さんの推薦文が

もともとは13年間、大手レコード会社ではたらいていた濱守さん。ある出来事を機に料理家への道を歩み始め、今では都内のスタジオで、料理教室の講師も務めます。月1〜2回開かれるこの教室は、Instagramで告知した直後に満席になるとか。

濱守さんが料理家として、多くの人を惹きつける理由はなんなのでしょうか。濱守さんに伺うと、「ご縁」への考え方や意外な受注スタイルから、そのヒントが見えてきました。

「人生最後の頑張りだと思って、やってみよう」

――濱守さんは、ケータリングの時はいつも、お一人でロケ現場などに出向いて調理されるのですか。

ケータリングの工程は、「前日の仕込み」、「当日の調理」、「仕上げ」、「詰め作業」の4つ。

私が一人で全行程を作れるのは、どんなに順調にいっても45人分が最大なので、それ以上のオファーは、「仕込み」「仕上げ」「詰め」に1人ずつ、70人分以上の大型案件は2人ずつ、アシスタントを募ってから受けています。

多い時には70個以上のロケ弁を現場に合わせて手作りする

アシスタントは、知人のお母さまや奥さまなど、普段から交流のある方に声を掛けることが多いですね。

――利用される女優さん・モデルさんには、どのような方が多いですか。

私の料理は、野菜多めで、ミントやクレソンなどのハーブをたくさん使った“飽きずにずっと食べていられるもの”。声を掛けてくださるのは、そうした味が好きな方が多いです。また、中には「大人になってからアレルギーが見つかって、食事に悩んでいる」という女優さんもいますね。

というのも、私自身が幼いころからの偏食で、アレルギーも持っていたんです。また、9歳の時にじん臓の病気を患って以降家庭の食事が薄味になり、さらに高校生のころからは自分の食べられる食材でいろいろなアレンジレシピを考えてきました。これらの経験が、現在の料理に表れています。

──もともとは大手レコード会社につとめていらっしゃったとか。なぜ、音楽業界から料理家へ転身されたのでしょうか。

21歳でレコードショップの短期アルバイトを経験してから、レコード会社に入社し、レーベルの宣伝やアーティストのマネージャーを務めてきました。ただ、30代になって少し疲れてしまって。

函館の実家で休養をとったり、仲間と新しいプロジェクトに挑戦したりしましたが、やはり辛い気持ちはなくならず、35歳でレコード会社を辞めて、しばらくは貯金を切り崩して生活していました。

そんなある日、私が常連で通っていた居酒屋のオーナーに、「渋谷の『のんべい横丁』にある小料理屋で、女将のおばあさんが人手を探している」と聞いて、アルバイトができないかと訪れてみたんです。すると、大正生まれのおばあちゃんが、ご病気で酸素ボンベをコロコロ引きながら、一人でお店を切り盛りしていました。

ここでアルバイトをしたのが、料理を仕事にしたきっかけです。

──そこから、どのようにしてケータリングのお仕事に出会われたのでしょう。

そのおばあちゃんは、プライドは高いけれど筋の通った粋な人で、ものすごく料理が上手でした。私、自分ではけっこう料理ができるほうだと思ってたんだけれど、「あなた、雷こんにゃく作れる?」と言われて作ってみても、おばあちゃんの足下にも及ばなかった。その時、「うわ、私って意外にできないのかも?」とショックを受けたんですよね。

実は、店主のおばあちゃんは一緒にはたらき出して2〜3カ月もするうちに亡くなられて。常連さんの多い店で、閉店するのは忍びなかったので、知人にオーナーになってもらい、私は雇われ店長になりました。当時は無職同然で、お店を経営する資金も、自分でローンを組む勇気もありませんでしたから。

以来、料理番組や小説、漫画、料理家の有元葉子先生やウー・ウェン先生のレシピからヒントを得たりして、自分なりに料理の腕を磨きました。フォトグラファーの加藤亜希子さんは、私の料理によく意見をくれて、私も困った時には彼女に相談していましたね。おばあちゃんから教わったのは“雷こんにゃく”のただ一度で、あとは完全に独学です。

それから5年ほど経ったある日、お客さんとして呑みに来てくれていた常連のカメラマン・北島明さんに、

「たまちゃんには料理の才能がある。でも、接客は正直向いてないよ。撮影現場のケータリングなら、たまちゃんが今まで築いてきた人脈で、あっという間に人気が出ると思う」

と言われたんです。

料理は、人生で唯一私が褒められてきたこと。北島さんから「きっと、違う世界が見えてくるよ」と言われたのも印象的で、「人生最後の頑張りだと思って、一度、真剣にやってみよう」と思いました。

撮影現場の出張料理

──その後独立して、たまごはん©をスタートされたのですね。

最初の1年半は、小料理屋とケータリングを掛け持ちしていました。立ったまま寝られるほど忙しくて、よく蕁麻疹を出していたのを覚えてます(笑)。とにかく、「目の前に来た仕事をきっちりやろう」と必死でしたね。

小料理屋のお客さんからの要望で、料理教室を始めたのもこのころです。当時は原宿で知人が借りていたスペースでやっていたのですが、2018年からは、HIPHOPアーティストのマネージャー時代に撮影でお世話になっていたカメラマンの知人、半澤健さんが「スタジオを貸すよ」と言ってくださり、ありがたくお借りしています。

料理教室は1クラス7人までで、土日に各2クラスずつ開催。告知後、あっという間に満席になる

オファーや予約を受ける際は「とにかく明朗に」

──俳優さんやモデルさん、料理教室の生徒さんと接する際、意識して気をつけていることはありますか。

1つ目は、オファーや予約を、選り好みせず“順番に”お受けすること。仕事って、ずるいことを考えてキープしたりすると、流れがおかしくなる気がするんです。だからケータリングも料理教室も、基本は先着順。とにかく明朗に、を心がけています。

2つ目は、1回1回の仕事に不安材料を残さないこと。未経験で料理家になった私にとって、1度でもオファーをいただけるのは光栄なこと。その1回でしっかり“いい位置”に投げ返さないと、あっという間に仕事はなくなると思っています。

そのために、下調べは当然のこと、ホームパーティーなどで調理する際は、主催者の方がなぜ私を呼んでくださったのか、会話内容などからキャッチアップするようにしていますね。

ホームパーティー会場で料理をする濱守さん

──誰でも平等に予約が取れることで、嫌な思いをされたことはありませんか?

実は私、メールでいただいた連絡にも、すべて電話でお返しするんです。音楽が好きなこともあって、耳から入る情報を大事にしたくて。その時に、声の雰囲気やお話しの仕方で、ある程度「大丈夫だ」と判断しています。

ただ、そこで違和感を感じても、自分から断ることは基本的にありません。経験上、そういうご縁は自然と消えていくからです。ですから、嫌な思いをした経験はほとんどないですね。

料理教室でも、延べ350名の生徒さんに教えてきましたが、いわゆる“ドタキャン”は一度しか経験がないんです。1クラスあたりの料金を高めに設定していたこともあり、最初は「無名の私なんかのクラスに、この価格で来てもらえるのかな?」と不安でしたが、それがかえって良かったのかもしれません。

皆さん良い方ばかりですし、「生半可なことは教えられないぞ」という、私自身のモチベーションにもつながっています。

苦手食材を読み解き、パズルのように組み立てる

──ケータリングや料理教室のメニューは、どのように考案されるのですか。

2つに共通するのは、仕上がりの「味」を想像して組み立てること。「盛り付け」が苦手なので、見た目のイメージより、苦みや酸味のバランス、その季節の気温や湿度に合っているかどうかを意識しています。

だから、いざ仕上げの段階で「あちゃー、今日全部茶色で、彩りがない!」「全部千切りにしちゃったから、アクセントがない!」と慌てるのも日常茶飯事です(笑)。

それと、撮影現場の出張料理で、特定の食材を避けている女優さんがいれば、「どうして避けているの?」と伺って、次回は、関連する食材をまとめて抜いたりもします。

――関連する食材をまとめて抜く、とは?

苦手な食材って、紐付けされることが多いんです。

たとえば、シイタケが苦手な人は、独特な香りや食感を嫌っているケースが多いんです。そういう場合は、、ナスも苦手な可能性が高いんですよ。もともとテトリスや数独※が好きなので、そうやって苦手なものを想像して省き、その上で何を作るかを考え、パズルのようにメニューを組み立てるのは面白いですね。

※数独とは、正方形の枠内に、1〜9までの数字を重複させずに埋めていくペンシルパズルのこと

一方、料理教室のメニューは、直前に考えることが多いです。「教室の後1カ月、生徒さんが自分で作りやすい料理」にしたいので、スーパーで旬の食材を確かめてから決めます。

ただ、決めた後も、「本当にこのメニューで良かったのかな?」とずっと葛藤しています。当日、試食している時の生徒さんの表情や、質問の内容、外の天気を確かめて、「良かった。これで正解だった……」と初めて胸を撫で下ろすんです(笑)。

生みの苦しみ、と言うと偉そうに聞こえてしまいますが、料理家になって一番大変なことの一つかもしれません。

――生徒さんの声で印象に残っていることはありますか?

料理って、「理(ことわり)を料(はか)る」って書きますよね。根本の「理り」さえ私から伝えれば、あとは生徒さん自身でどうにでもできると思っています。なので、私のクラスはガッチガチの理詰めなんです(笑)。

たとえば、鶏モモ肉をさばくにしても、こう話すんです。

「こっちが付け根側、こっちが足首側。骨は左右対称で、骨の脇には脂肪があります。脂肪の量は個体差でさまざまだけれど、場所はどれも一緒。もし違ったら、それは奇形です」

構造から説明するので、「大学の講義みたい」とおっしゃる生徒さんもいます。生徒さんの職業も医療や金融など多彩なので、私自身も新しい知識をもらえています。

「周囲の優しさで、仕事を続けられている」

――メニューをパズルのように組み立てる、論理的に教える、といった話がありましたが、昔から理系科目がお得意だったのでしょうか?

実は中学生まで、外科医になるのが夢だったんです。

といっても、「人を救いたい」なんて大層な志があったわけではありません。入院した病院で、看護師さんに自分のレントゲン写真を見せてもらった時、「人間の体の中ってこうなっているんだ。面白い!」と感じたのがきっかけ。勉強もそこそこできるほうだったので、調子に乗っていましたね。

ところが、高校受験をして進学校の高校へ入ったら、周りは努力家で優秀な子ばかり。結局、高2の数学で勉強についていけなくなり、外科医の夢は諦めてしまいました。

撮影現場の出張料理

高校卒業後は、「洋服のデザイナーになりたい」と、函館から上京しました。新宿にある文化服装学院で洋裁を勉強し始めましたが、入学後に、「私、そういえば裁縫が苦手だった」と気付いたんです。

変に真面目な性格なので、なんとか卒業まで漕ぎつけましたが、結局進んだのは音楽業界。結局3年間の学費を無駄にしてしまったようで、両親には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

ただ、その12〜13年後に文化服装学院時代の同級生たちと仕事でご一緒したり、音楽業界の知人たちが今、私のスーパークライアントになっていたりします。「ご縁って、こうやって仕事に繋がっていくんだ」と、50代に突入した今、ジワジワと実感しています。

――大切に紡いできた「ご縁」が、今の濱守さんに繋がっているのですね。

友人や仕事仲間には、本当に恵まれてきました。皆さんの優しさで今、仕事を続けられていると言っても過言ではありません。

ただ私は、「料理家」の中でも特殊な存在。「それはなんという職業?」とカテゴライズしたい方にとっては、少し扱いにくいようです(笑)。

また、私の作る料理にも、カテゴライズできないものが多数あります。ネーミングが下手なので、レシピを開発しても、単なる食材の羅列になってしまうんです。そんな時も、周囲が一緒になってひねり出してくれています。 「餅は餅屋」というように、得意なことを生かしあっています。

私はシェフではないので、「どうだ!」という、アーティスティックな洒落た料理は作れません。「美味しい」と食べてくれる方の想いが合わさって初めて完成される、そんな「余白のある料理」だと思っていますし、それをこれからも作っていきたいですね。

(文・原 由希奈 写真提供:たまごはん©)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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