届いた本は14万冊。「ブックサンタ」発案者が“恩送り”に人生を賭けるわけ

2023年12月19日

大変な思いをしている子どもたちに、クリスマスに本を贈ることができる「ブックサンタ」。「本を贈りたい」と思った人が書店で本を買うと、その本が子どもたちに届く、2017年に始まった取り組みです。

書店を通じた寄付冊数は14万冊以上。提携する書店数も1,600店舗を超え、書店における本のキャンペーンとしては今や、日本最大級の規模となっています。

ブックサンタの発案者は、NPO法人チャリティーサンタの代表理事・清輔夏輝(きよすけ・なつき)さん。清輔さんはもともと、全国からボランティアの「サンタクロース」を募り、子育て家庭にプレゼントを届ける「チャリティーサンタ」という活動に尽力していました。

ブックサンタは、その活動の一環として始まったもの。なぜ、どうやって全国に広まっていったのでしょうか?清輔さんの生い立ちや、チャリティーをやる理由についても深堀りします。

「幸せって、職業では決まらないんだ」

清輔さんは1984年、福岡県飯塚市で幼少期を過ごしました。子どものころはシャイで、「参観日には絶対に手を挙げない、人前に出ることが苦手なタイプ」だったと言います。

中学卒業時に進路を決める時、「清輔の家系は代々宮大工だった」と過去に聞いた話を思い出し、「建築家もいいかな」と、国立有明高専の建築学科へ進学。一方、強い意志があったわけではなく、次第に勉強に身が入らなくなります。「何か新しいことを始めたい」、そう考えていたとき、思い立ったのが一人旅でした。

高3の春休み、千葉に住む祖母の家まで、通学用の50ccの原付バイクで往復2,000km以上走った清輔さん。フェリーで知り合った50代前後の男性が家に泊めてくれたり、見知らぬ人が「これでスーパー銭湯にでも泊まりなさい」と“志”と書いたせんべつをくれたり……。

この経験で清輔さんは、「世の中はこんなにも優しい人であふれているんだ」と学びます。

清輔さんが通っていたのは通常の高校ではなく高専のため、卒業する年齢は20歳。それまでの約2年間、長期休みのたびにヒッチハイクの旅に出ました。

「旅でいろいろな職業の方に出会って、『幸せって職業で決まるものではないんだ』と実感したんです。貧しいながらも、家の内装をDIYしながら楽しそうに暮らす人がいたり、BMWに乗って、世間的には『成功者』と呼ばれる地位にいても、あまり幸せそうではない人もいました」

ゆえに、就職活動時期になると進路に迷い始めます。

建築の仕事をするのは、自分にとって幸せなのだろうか。清輔さんは悩みつつも、学校へ行かせてくれた両親への感謝もあり、一度は建築設計事務所に就職しました。しかし人間関係で体調を崩し、一年で退職してしまいます。

2007年、清輔さんは生計を立てるために、千葉の祖母の家を間借りしてインターネットで仕事をしていました。ブログ運営などのスキルを身につけて生活していましたが、次第に「自分はこれを、ずっと続けていくんだろうか?」ともやもやし始めます。

チャリティーに関心を持ったのは2008年。

何かヒントを得ようと、都内のイベントや勉強会に参加するようになった清輔さん。そこで知り合ったのが、2人の男女でした。

一人は、当時医大生だった葉田甲太氏。葉田氏は、まだ学生ながら、カンボジアに小学校を建てるための資金集めに邁進していました。のちに俳優・向井理氏主演の映画『僕たちは世界を変えることができない。』(2011年)のモデルにもなった男性です。

もう一人は、世界一周の経験があり、「発展途上国の支援をしつつ、日本の子どもたちにも喜んでほしい」という志をもつ女性でした。

「何かぼくにもできることがあるんじゃないか?」

清輔さんはそう思いました。また同時に、脳裏に小学一年生の時のある体験が浮かびます。

「父親がボランティアをしていた福祉施設の職員の方が、クリスマスにサンタクロースの格好をして家にケーキを届けてくれたんです。当時のぼくは母に『夜の8時にサンタさんが来るわよ』としか聞かされていなかったので、本当にサンタさんに会えた時、すごく感動したんです」

そのころは9月末。「今から準備して何ができるだろう?」と考え、思いついた企画が「チャリティーサンタ」でした。小さな子どものいる家庭にプレゼントを届け、その対価として寄付金を預かり、発展途上国に住む子どもの教育支援をするのです。

具体的には、「クリスマスにサンタに来てほしい」と思った家庭が、寄付金2,000円と自ら準備したプレゼントを団体に預けると、チャリティーサンタに登録したボランティアが、クリスマスにそのプレゼントを届ける仕組みです。

清輔さんがmixiで協力者を募ると、「サンタクロースになりたい」と言う人が約200人集まりました。企画は瞬く間に若者たちの間で広まり、翌年には、各々が立ち上げた「チャリティーサンタ支部」が全国12箇所にできます。

ところが、勢いで始めた取り組みのため、早くもそのツケが回ってきます。

勢いで始めて失敗……クレームの嵐に

2009年のクリスマスイブのこと。

計画が甘くて、プレゼントを届ける予定がすべて1時間後ろ倒しになってしまったんです。というのも、サンタクロース待機場所の最寄り駅から出る電車がなんらかの原因でストップしてしまって。各々の担当家庭へ出向く唯一の移動手段だったので、遠回りした結果、到着が大幅に遅れてしまいました。

ぼくも父親になったので今なら分かりますが、21時の予定が22時になると、お子さんがもう寝てしまうじゃないですか。

『子どもがクリスマスをどれだけ楽しみにしていたか』『サンタクロースが来ることが、どれだけ大切だと思っているんだ!』というお叱りの電話が次々にかかってきて。当時はまだ若くて『ぼくたちもボランティアで、むしろお金を出してやっているのにそこまで言わなくても……』と思いながらも、その言葉の重さに押しつぶされそうになりました」

清輔さんは、多くの人に迷惑をかけた申し訳なさと反省から、年明けまで立ち直れなかったと言います。

「原因は、自分にビジネス経験が足りないからだ」

そう考えた清輔さんは、事業立ち上げの経験を積もうと、2010年にIT企業への転職を決意。サイバーエージェントで約3年はたらき、退職した翌年の2014年、チャリティーサンタをNPO法人化しました。

最初の4~5カ月間はとにかくお金がなく、自身の給料はゼロ。企業との取り組みや清輔さん自身の講演活動による収入などもありましたが、それも団体の活動費に消えてしまいます。

なんとか黒字化させたものの、生活費は貯金を切り崩していたそうです。「必死だったので、不安になる暇もなかった」と清輔さんは当時を振り返ります。

2015年のクリスマスイブ、清輔さんは、あるショートステイの施設に、サンタクロースとして訪問していました。ショートステイとは、さまざまな事情で子どもの世話が難しい保護者が、子どもを短期間預けられる施設のことです。

「その日は子どもが4人いて、うち2人が7歳と5歳の姉弟でした。プレゼントを届けたら、もう、すごい迫力で喜んでくれて。帰り際もぼくの足にまとわりついて『行かないで』と。なぜイブの日に預けられていたのか、個人情報の保護もあってぼくたちは知り得ないのですが、施設のボランティアの子に『あの後どうだった?』と聞いてみたんです。

そうしたら、夜寝る前に『クリスマスに初めてプレゼントをもらった。サンタさんにも会えた。このまま寝たくない。『起きたら全部夢だった』となるのが怖い』と7歳のお姉ちゃんが言ったそうで。それを聞いた時に、クリスマスにサンタが来ない、プレゼントをもらえない子たちが、ほかにもきっといるんだと思いました」

こうした子どもたちの保護者に、チャリティーサンタを知ってほしい。「ただ申し込むだけで、プレゼントを持ってぼくらが行きます。なんの制約もなく、お金も必要ありません」と伝えたい。

清輔さんは、上記のような家庭に申し込みをしてもらうには何が必要なのか?  を確かめるために調査活動をしました。すると、既存の依頼家庭の世帯年収が、平均約800万円だと分かったのです。これは、困窮家庭どころか、日本の子育て家庭の一般的な世帯年収も上回っていました。

ひとり親家庭や闘病中、被災した家庭など、経済的に困窮している家庭に依頼してもらうにはどうしたらよいのか。

清輔さんは考え、チャリティーサンタの仕組みを見直しました。一般家庭は従来どおり、寄付金2,000円※とプレゼントを預けることで当日サンタがそれを届けてくれる。しかし困窮家庭については、寄付金もプレゼントの準備も求めないことにしたのです。そのために、一般家庭から預かった寄付金は発展途上国への寄付ではなく、困窮家庭へのプレゼント購入代に充てるようにしました。

また、子どもたちにプレゼントを買うための「ルドルフ基金」を始めます。寄付金などと合わせて、2015年のNPO法人の収益は、約2,000万円にも上りました。

※2018年以降3,000円に改定

ブックサンタ始動。10年後には“毎年100万冊”へ

同年、チャリティーサンタの活動の一環として、ネパールを訪れていた清輔さん。2週間の滞在中、通訳としてついてくれたのが、当時20代だった、ある日本人女性でした。彼女は大手出版取次会社の日本出版販売(以下、日販)の社員で、休職して青年海外協力隊に参加していました。

2年後の2017年、日本人女性から突然連絡があります。「復職したけれど、やっぱり困っている子どもたちのために何かしたい」と言う相談でした。

数回にわたって話すうち、彼女の願いと清輔さんの「クリスマスプレゼントを毎年安定的に確保したい」という思いを両方叶える、ブックサンタのアイデアが浮かんだのです。それは、日販の「書店を魅力的な場所にしたい」という目的にも見合っていました。

一方で、実行するには書店の協力が必要です。日販社員の女性のつながりで出会ったのが、書店チェーン「リブロ(当時)」の役員でした。

その年、全国に58店舗あったリブロでブックサンタを試験運用。

まず、「大変な境遇にいる(0歳から18歳の)子どもに、本を贈りたい」と思った人が書店で本を選び、購入時にレジで「ブックサンタに参加したい」と伝えます。するとその本が書店から清輔さんたちの元へ送られ、クリスマスイブの日、チャリティーサンタのサンタクロースが困窮家庭に届ける仕組みです。

しかし、SNSなどでブックサンタを知った人たちからクレームや指摘が相次いだのです。

「近くに対象の本屋がない」
「書店で大変待たされた。オペレーションがなっていないのでは?」
「いい取り組みなのに、全然知られていない」

それを受け、清輔さんは、30社ほどの出版関係者が集まる会に出向きます。「ブックサンタの広報活動に協力してもらえないか」と伝え、概要と連絡先を書いたプリントも配りました。しかし、一社からも連絡はありませんでした。

2019年、予算の関係で注力できていなかった「広報」にお金をかけよう、と決意。クラウドファウンディングで広報資金を募ったところ約200万円が集まり、その一部を原資にブックサンタを広めていきました。「貧困家庭の声」を多く掲載したところ、賛同の声がすぐに集まったのです。

新聞やテレビ、ラジオでも取り上げられ、全国のジュンク堂書店や丸善も参加店舗に加わります。

「書店さんにとっては、ブックサンタをやることで“本が売れる”メリットがある。というのも、本を寄付してくださった方にアンケートを取ったところ、ブックサンタ認知者の約9割が、書店ではなくSNSやマスメディアを通じて取り組みを知ってくださったそうなんです。本来来るはずのなかったお客さんが訪れてくれる、と書店さんからも喜ばれています」

ブックサンタを目的に書店を訪れた人の中には、

「久しぶりに書店に行って懐かしくなった」
「うちの近所にこんな本屋さんがあったんだ」

と、書店の存在をあらためて認識する人もいます。

2021年には、初年度に848冊だった寄付冊数が約3万冊に。絵本の保管場所として「ブックサンタライブラリー」も新設しました。

当初は清輔さん1人で行っていたが、現在は発送作業を複数のスタッフが担う

12歳の女の子のお母さんから、『娘が、小学3年生の時にもらった本のおかげで将来の方向性が決まったんです』と言われたのはうれしかったですね。その本に出てくる女性に憧れて、世界で活躍できるような仕事に就きたいと言っている、と」

2022年には全国47都道府県の書店に広がり、ブックサンタを通じた本の売り上げは、合計1億円以上に及びました。

2023年、全国1,600以上の書店がブックサンタ事業に参加するようになり、書店業界では日本最大級の取り組みに成長したのです。

ところで、なぜ清輔さんは、困っている人のためにここまで尽くすことができるのでしょうか? 今の日本は景気後退や物価高で、「自分と家族のことで精一杯」という人も多いはず。「インターネットスキルや大手IT企業ではたらいた経験があるのに、なぜわざわざ儲からない仕事をするの?」と首を傾げる人も、中にはいるでしょう。

日本中をヒッチハイクしていた時、本能寺の和尚さんの車に乗せてもらったことがあるんです。その際、『これまでの旅でたくさんの人に親切にしてもらった。恩返しをしたいのに、いいものが浮かばなくてもどかしい』と話したら、和尚さんが『誰かにもらった恩は、次の人に渡せばいい』と。特定の人がいなければ、広く社会に返していけばいいんだよ、と教えてくれたんです」

のちにそれが「恩送り」と呼ばれていることを知った清輔さん。

「とはいえ、一番は、“やってみたらすごく幸せだった”というのが大きいです。もともとボランティアに熱心だったかというとそんなこともありません。葉田甲太さんの言葉で、印象に残っているものがあります。『最初からチャリティーをしようと思わなくていい。気付いたら人のためになっていた、でいいんだよ』と。たしかにそうだよな、と思いました」

清輔さんのように「やってみたいこと」をやった結果、誰かが喜んでくれたのなら、それはすでに社会のためになっているのかもしれません。

清輔さんの現在の目標は、ブックサンタを、10年後に「毎年100万冊」集まるプロジェクトにすること。

「書店の数は限られています。もっと多くの方に知ってもらって、個人だけではなく企業や団体とも連携していきたいですね。業界の垣根を超えて、子どもたちに本を届ける“国民運動”にするのが夢です」

(文・写真:原 由希奈)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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