コロナ禍でも退職者ゼロ。100年続く木下大サーカスが守った「絆」

2021年3月31日

空中で大技を決めるパフォーマー、世界でも珍しいホワイトライオン、巨大な鉄球の中を疾走するオートバイ、表情やしぐさが愉快なピエロ……。

子どものころ、真っ赤なテントで彼らを見た記憶のある方もいるのではないでしょうか。

全国各地を数カ月ごとに移動しながら、子どもからお年寄りまで楽しめるパフォーマンスを披露する、木下大サーカス。

明治35(1902)年に中国の大連で旗揚げ後、戦時中も毎日公演していたという不屈の歴史を持つサーカスですが、新型コロナウイルスの流行を受けて119年の歴史の中で初の休演を余儀なくされます。

再びサーカスが幕を開けたのは、休演から5カ月後のこと。

カナダの有名なサーカス「シルク・ドゥ・ソレイユ」が団員を大量解雇するなどのニュースが届くなか、「団員は家族」という思いのもと、1人の解雇・退職者も出さない状態での再開でした。

木下大サーカスは、どのようにコロナ禍の危機に向き合ったのでしょうか。

団員を率いる常務取締役であり、現社長・木下唯志氏の息子でもある木下龍太郎さんに、お話を伺いました。

ショーという形で貢献できなくても、地域に恩返しがしたい

「2020年春、新型コロナウイルスの感染拡大が始まったときは、福岡公演の真っ最中でした。公演は3月8日までの予定でしたが、その間に劇団四季や宝塚など大手の劇団が続々と休演を決定し、私たちも2月末には公演を打ち切りました」

とはいえ当初はまだ、この状況は長く続かないと思っていたそう。一行は気持ちを切り替え、3月22日に開催を予定していた石川県・金沢へと移動。初演に向けて準備を進めていました。

しかし国内の感染状況は、日に日に悪くなっていく一方。苦肉の策として初演を一週間延期して開催したものの、地域の人々からは「こんな状況の中で開催するのか」「クラスターが起こるのではないか」と不安の声が上がりました。

結局金沢では3日間だけ公演し、その後は打ち切りに。戦時中も一度も休演せずに木下大サーカスにとって、119年の歴史の中で初めての事態でした。

「金沢での休演中、テントに隣接したコンテナハウスに住む団員たちとその家族には、ステイホームを徹底してもらいました。

いつもなら休日は滞在地域の観光をしたり、敷地内で仲間とバーベキューを楽しんだりしていたのですが、それも一切禁止。

地域で場所を間借りしている立場でありながら、感染者を出して迷惑をかけるわけにはいきませんから。すごく神経質になりましたね」

***

そうした苦しい状況が続く中、近隣からは、寄付のために訪れてくれる人が次々に現れました。

「貯金箱に小銭をたくさん集めて持ってきてくれた方や、2回、3回と寄付をしてくれた方。ご自身も大変な中で『動物たちの食事代にしてください』と寄付をしてくれた医療従事者もいらっしゃいました。

ショーという形で地域に貢献することもできず、自分たちの存在意義を見失っていました。しかし、そうした地域の方々の想いを受けて腹が決まったような気がします。

とにかく自分たちにいまできることを全力でやろう、と」

ショーができなくても、何かの形で地域に貢献しよう──。まず取り組んだのは、当時流通が不足していたマスクの制作でした。300枚以上のガーゼマスクを手づくりし、地域の福祉施設に配布したのです。

また、公演で販売する予定だったペットボトル飲料やお菓子など約400点を、金沢市内の子ども食堂や社会福祉協議会に配布。少しでも金沢の方への恩返しがしたい──。そんな想いが、団員たちを突き動かしていました。

そうした地域貢献活動のほか、これまで手をつけられていなかったサーカス運営の助けとなる技能の取得も進めました。場越し(移動)やメンテナンスに役立つ重機周りの免許取得や、ショーに使うオートバイホイール(車輪)の修理に役立つ溶接の資格などを取得することで、これまで外部に委託していた仕事をサーカス内でできるようにしたのです。

問題は山積み。でも「こんなにも応援してくれている人がいる」

しかし、新型コロナウイルスの流行が長引くにつれて、さまざまな問題が顕在化してきました。

ひとつは、お金の問題。公演ができないため、当然サーカスとしての収入はゼロの状態でした。それでも、動物たちの食事代と健康を管理するための空調や水浴びにかかる費用は毎日のように発生します。現在木下大サーカスでは、ライオン7頭、象2頭、シマウマ3頭、ポニー2頭を抱えています。食事代だけでも1日数十万円はかかります。

また、公演はしなくても、機材や設備の維持費用や人件費はかかります。雇用調整助成金などを活用しながら、約90名の社員へのお給料も毎月欠かさず支払っていました。しかし、休演を続ければ続けるほど、資金繰りが苦しくなっていくのは目に見えています。

この問題の解決策として挙がったのが、「クラウドファンディングをしよう!」という案でした。


当初その案が出たときには、「みんなが大変な状況の中、私たちだけ助けを求めるのは甘えではないか」と、社長はかなり葛藤されたそう。しかし、背に腹は代えられない状況であることも事実です。最終的に、支援金の一部を医療従事者へ寄付することを条件に、実施に踏み切りました。

その結果は……、大成功!

なんと、約3,000万円を超える支援金が全国各地から集まったのです。若手のスタッフが頭をひねって考えた「バックヤード見学」や「空中ブランコ体験」などのユニークな返礼品も好評でしたが、返礼品を希望しない支援者が多かったことにも驚かされました。

「みなさん、『頑張ってください!』『いつも元気をもらっています』など応援メッセージとともに支援をしてくださって……。クラウドファンディングをしたことで、こんなにも全国に私たちを応援してくださっている方がいるんだ、とあらためて実感することができ、勇気をいただきました」

***

そしてもうひとつ、経営陣の頭を悩ませていた大きな問題がありました。

サーカスの滞在場所についでです。

「金沢公演の次には、新潟での公演を予定していました。しかし、おさえていた新潟の会場は、コロナ患者の受入れをしている病院のすぐ隣。そこへ移動するのは適切な判断とは言えません。

とはいえ、金沢の会場をいつまでもお借りするわけにもいきません。そのままでは、サーカスの団員が暮らす場所を失うことになります。なんとかして代わりの滞在地を見つける必要がありました」

各所との交渉は難航したものの、本来9月に移動を予定していた立川に早めに移動できることに。立川の不動産開発会社・立飛ホールディングスが、サーカスの状況を心配して、予定より2カ月早い、7月からの滞在を許可してくれたのです。

こうして7月には、サーカスの巨大テントと団員の生活空間であるコンテナハウスを金沢から撤収。数百トンもの機材を大型トラックやトレーラー約100台に積み、立川へ移動しました。

ちなみにこのときの作業には、団員が取得した資格がフル活用されたそう。これまで外部の企業に外注したり、アルバイトを30名ほど雇ったりしてお願いしていた作業の多くを、サーカス内でまかなうことができたのです。

「ステージごとにギャラが発生する契約形式だった外国人アーティストは、休演中、100万円の持続化給付金と、1人当たり10万円の特別定額給付金で生活を維持していました。少しでもその足しになればと彼らに作業を発注すると、みんな喜んで取り組んでくれました。力を合わせてひとつの作業をしたことで、サーカスの一体感もより強まったんですよ」

団員の絆を守り、見る人の絆を繋ぐサーカスに

そして8月1日、ついに立川での初演に至ったのです。

「200名に満たない観客数での開催でしたが、団員たちの喜びはひとしおでした。印象的だったのは、受付スタッフの笑顔。普段からいい笑顔のスタッフでしたが、その日はこれまで以上の……“はちきれんばかり”という言葉がぴったりの笑顔で対応していまして。あれには思わずこちらまでうれしくなってしまいました(笑)」

その後、入場数を制限しつつ立川公演を完走。12月には横浜公演をスタートし、2度目の緊急事態期間に突入するも、各回ソールドアウトになるほど好評を得ながら3月の終演を迎えました。

福岡での公演打ち切りから、誰ひとり欠けることなく丸1年が経過していました。

「私自身は子どものころ岡山に住んでいましたが、夏休みや冬休みなどの長期休暇中にはサーカスがやっているところに出向いていくのがお決まりでした。そこで団員の子どもたちと一緒に遊んだり、正月には大人たちからもたくさんお年玉をもらったりしてね(笑)。

田舎の祖父母の家に行くような感覚だったと思います。団員というよりも、親戚のおじさんおばさん、いとこたちのような感覚ですね。みんな、家族のようなものなんです」

119年前に始まって、2度の世界大戦を乗り越えてきた木下大サーカス。コロナ禍においてもその底力を発揮して奮闘する背景に、どのような考え方があるのか教えてもらいました。

「今回のコロナ禍で社長が言っていたのは『自ら断崖絶壁の淵にたて。 その時はじめて新たなる風は必ず吹く』という松下幸之助さんの言葉です。どんなに苦しいときでも、あきらめなければ最後の最後でなんとか乗り越えられる。

木下大サーカスは、戦時中でも一度も休演をしていないんです。男性団員がみんな戦争にかり出されても、女性団員だけで芸を披露し続けていました。そうした歴史を持つ百年企業としてのプライドとあきらめない強い想いが、私たちをここまで連れてきてくれたのだと思います」

新型コロナウイルスと共に生きていくことが求められる時代、オンラインで体験できるコンテンツはどんどん増えていくでしょう。

しかしサーカスのショーは、人々の熱気や、パフォーマーの緊張感、まばゆい光、心躍らせる音などを、身体中の感覚を使って体験することに価値があります。

「これからの時代は、そうした体験がいままで以上に求められるようになる」と龍太郎さん。オンラインコンテンツが主流になるからこそ、体験できることが求められるようになる。だからこそもっと進化を続けていきたい、と今後の展望を語ってくれました。

「いまは、サーカスのオリンピックと言われる『モンテカルロ国際サーカス・フェスティバル』で、金メダルに匹敵するゴールド・クラウン賞獲得を目指して技術を磨いています。そうした日々の鍛錬で磨き上げられたパフォーマンスから、明日を生きる勇気や活力を受け取っていただきたいと思っています。

サーカスを楽しむのには、言葉も知識も不要です。小さなお子さんからご年配の方まで一緒に楽しんでいただけます。

実際、『自分が子どもの頃に見た木下大サーカスを、孫に見せたくて来ました』というお客さまも多くいらっしゃるんですよ。そうした世代を超えた絆を、サーカスを通して繋いでいきたいと思っています」

ニューノーマルのはたらき方のヒント

●仲間や、応援してくれると心をともにする。ときには頼ることも必要

●苦しくても、あきらめずに続けること。そうすれば、最後には乗り越えられる

(取材・文:坂口ナオ 写真提供:木下大サーカス)

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ライター坂口ナオ
東京都在住のフリーライター。2013年より「旅」や「ローカル」をメインテーマに、webと紙面での執筆活動を開始。2015年に編集者として企業に所属したのち、2018年に再びライターとして独立。日本各地のユニークな取り組みや伝統などの取材を手がけている。

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